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山の仲間

ぼくと父と山々と

2018-10-16 11:30:07 | 旅行記

 僕の名前は「穂高」です。山登りが好きなお父さんが「豊かで永遠で、そして時には、けわしく立ち向かえ」という思いを込めて付けてくれた名前です。ところで、皆さんは「穂高」という山を知っていますか。高山の近くにある日本で三番目に高い山です。その穂高岳に今年の春お父さんと登る約束をしました。ぼくは今までに何度かお父さんと町内の納古山に登ったことがありましたが、今年は天王山に何度か登って練習し、穂高岳登山に備えました。天王山に登ったのはわけがあります。今年、僕たちの中切地域が神渕の一大行事「神渕神社例大祭」の当番になりました。当番になると祭りの準備や運営など、すべてのことをやらねばなりません。その中の一つに道の整備があります。毎年、車で祭りに来た人たちが一方通行でスムーズに行き来できるように道の整備をします。今年はそれに加え「葉津古道」の整備もすることになりました。昔は車の通れる道がなかったけれど、あちこいからのぼれる山道が何本もあったそうです。それらの道を通って白川や金山、武儀からたくさんの人が訪れたそうです。その一つが葉津からの「葉津古道」で葉津の人々が毎年少しずつ整備して守ってきてくれました。最近は「山ブーム」ということもあり、元々のの道を本格的に整備してみんなで山を楽しみながら神渕神社例大祭に訪れてもらえればと考えて本格的に整備を始めたそうです。でも当番地域の人と葉津のみなさんにはそれぞれお祭りの大事な役割があるのでお父さんが時間を見つけて整備してきまsぢた。その様子を見て僕も手伝うことにしました。葉津から神渕神社への山道は、たまにしか人が通らないので落石や木の葉で荒れ果てていたので最初はたどりつけませんでした。つるはし、スコップ、じょうれん、チエンソーなどで気を切り倒したり土を掘り起こして枯葉を除き、道案内の看板をたてたりしました。山は木の香りがします。木の葉の間から見える青空はとってもきれいです。汗をかいた後のかきのおいしかったこと。夕暮れに赤く染まる神渕の山々はとっても感動的でした。大変な作業でしたが木々に囲まれ、マイナスイオンをあびながらお父さんと一緒に楽しい時間を過ごすことができました。あいにくお祭りの当日は朝まで雨でしたが、昼頃にははれてきました。車で上に行く人もいましたが、この「葉津古道」を使って時間をかけて登っていく人もたくさんいました。その姿を見て僕は「整備してよかったな」と思いました。「葉津古道」を整備したことで天王山でのお祭りを盛り上げることができたのではないかと思います。神渕のお祭りが終わり五月五日、お父さんと西穂高岳に登りました。結構な急斜面を登り切り、二時間ほどで西穂高山荘につきました。ついたすぐは吹雪でしたが数分のうちにサアーっと雲が晴れお日様が顔を出しました。雪が青空にキラキラと輝き、キーンと冷たい空気がほほに当たり、目の前に穂高連峰の景色が開けました。ここでも自然の厳しさやすばらしさ豊かさを体で感じることができました。お父さんが「豊かで永遠で、そして時には、けわしく立ち向かえ」と僕の名前を「穂高」と付けてくれた気持ちはまだ全部わかりませんが「葉津古道」の整備を通しての山登りや西穂高岳の登山の体験して七宗の、そして岐阜の自然の厳しさやすばらしさ、豊かさを感じることができたような気がします。これからもお父さんとの山登りを通して自然の素晴らしさやふるさと神渕の良さについて感じ、それをみんなに広めていけたらいいなと思います。 神渕小学校5年 山田 穂高 ※広報「ひちそう」10月号ー少年の主張を聞く会ーより転載。追記ーその後、穂高くんはお父さん(山田クリニック、老健「穂」のオーナードクター)と8月に奥穂高岳に登頂されました。

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