人の言葉の中での修行修行 2020年08月11日 | 法理 私たち衆生は「何か目標を持って産まれて来た」という人は一人もありません。 「不知不識生(知らず識らずに生まれた)」なのです。 また、「無目的という目的」が有(在)って生まれてきたという、そういう事も有(在)りません。 本当に「縁」に因って生じ、「縁」に因ってこのような営みが出来ているということです。 それには、よく言うように、意義付けることも、意味付ける事も、何も有(在)りません。 ですから、出来るだけ「人の言葉の中での修行」ということを止めないといけません。 « 修行の目標2 | トップ | 実地の修行1 »
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