ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

武士のアルバイト

2018-06-10 19:18:03 | 日記
 いよいよ梅雨に入りました。これからしばらくは鬱陶しい日々。読書にいそしむのもいいかもしれません。

 さて、江戸時代の武士といえば名目上は支配階級。生活に困ることなんてなかったように思いますけれど、御家人クラスの下級武士たちは経済的に困窮していました。現代でもひと昔前までは公務員の給料が安いといって嘆いていた時代がありましたけれど、その比ではなかったようです。
 武士を卑しめていう言葉に、「サンピン」というのがありますよね。あれは貧乏御家人の年俸が三両一人扶持(いちにんぶち)だったことに由来します。これは大工の稼ぎの六分の一くらいに相当するそうで、武士の体面を保ちながら生活するのは大変でした。

 福沢諭吉の家は十三石二人扶持でしたが、麦や粟を買い、お粥や団子にしてその日を凌いでいたことが『旧藩情』に書かれています。

 また三百石取りの武士であっても、俸禄に見合うだけの兵員(三百石取りの場合七人)を抱えていなければならないので、決して楽なものではありませんでした。家臣への給料や食費だけでも俸禄の三分の二以上が費やされるため、大抵の場合赤字でした。まして「三百石以下の下級武士においてをや」です。


 ところがそうした下級武士たち、暇だけは持て余すほどありましたから、自然アルバイトに精を出すことになります。それも組織的に行われていたんですね。青山百人町の傘といえば有名ですが、これは甲賀組が製造していました。御家人は組屋敷を与えられ、役職の同じ者と同じ区域に生活していましたから、体制を敷くのにも都合がよかったのです。またその屋敷地といえば、三十俵二人扶持の同心クラスでも百坪前後あったといいますから、作業する場所には事欠きませんでした。拝領屋敷の敷地を利用して盆栽を作ったり、植物を栽培する組もありました。新宿の伊賀組によるツツジ、下谷御徒町の御徒士組(おかちぐみ)による朝顔は有名で、後者は「入谷(いりや)の朝顔市」の起源にもなっています。

 朝顔作り

 傘張り仕事
 図解『江戸の暮らし事典』より

 他にも牛込弁天町では根来(ねごろ)組による凧張りと提灯作りが盛んでしたし、代々木・千駄ヶ谷では鈴虫を繁殖させていました。小鳥や金魚などもそうですが、これらはペットとして人気があったようです。

 また武士ならではのアルバイトといえば、用心棒、手習いの師匠といったところでしょうか。いろいろありますけれど、武士もなかなか大変だったんですね。


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