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西郷どん 第30回「怪人 岩倉具視」 笑福亭鶴瓶が怪演も視聴率10.3% 番組ワースト

2018年08月14日 | 歴史 民俗

↑ パラパラとめくってみたが、妖怪岩倉には、ほんのすこししかふれていない。登場人物たちの言葉づかいもTVよりずっとやわらかだ。

=====5分で分かる「西郷どん」第30回『怪人 岩倉具視』 https://youtu.be/UUNg-oJxd2U

西郷どん 第30回「怪人 岩倉具視」 笑福亭鶴瓶が怪演も視聴率10.3% 番組ワースト
 
最低視聴率は、 岩倉具視の出番が多すぎたせいなのかも知れないな。
維新の三傑がそろって岩倉の賭場で、賭けに興じるなど、面白すぎて、おもろない、と
思われたのかも知れない。
東日本の人たちだけでなく長州のひとにも逃げられたのかも。
これまでの登場人物が、ときどき一斉に消えたり、長い間でなくなるのもさびしい。
でもま、笑福亭鶴瓶さんの顔と怪人 岩倉具視の顔は、聞いただけではピンとこなかったが
演技を見ていると、あの旧500円札の岩倉に似てくるから不思議だ。
ネットショッピングのページでは、旧札が3700円とか7000円などの数字がおどっている。
ま、あれですね、大久保や西郷が薩摩の殿からとか言って金を渡す。
それをひったくるように懐にいれる岩倉。
それっち、島津の殿が島のサトウキビを搾りにしぼって、さらに島民の必需品も高く売って商売して
儲けた金じゃないか、などと彼岸で見たりしたので楽しめたのだが。
===
いまでは教科書からも江戸時代の「士農工商」という表現は消えた(それほど身分は固定的ではなく、現実に施行された制度ではないことが1990年頃から理解されるようになった)そうだが、
官尊民卑、男尊女卑などの封建的イメージの強い(かった)鹿児島藩が
じつは、儒教では卑しいとされる金儲けや、密貿易、さらには贋金作りなど
堂々?とやっていたところが、薩摩の強さ、おもしろさで、それが維新の原動力にもなり、
これからドラマでは、攘夷、攘夷と観念論的なアブナさが見ていられない長州が描かれそうだが、アブナイ長州の原動力(長州も商売をした)がなければ欧米列強のアジア進出で阿片戦争、アロー戦争などで半植民地化の道へ突き進まざるをえなかった清国の二の舞になったかもしれない、という歴史の面白さ不思議さ。
その薩長同盟は、次の次32回で成立するという。あ、坂本龍馬も教科書から消えていくらしい。
あゝ昭和も遠くなっていく、平成最後の夏、明治維新150年。
ーーー
西郷と岩倉は、いくらか共通点もなくはない。調べてみた。
西郷は貧しい下級武士の出身とうたわれるが、西郷家は貧しくはあるが城下士で、武士人口が全国平均の2倍あまりも高い薩摩藩には、その下に外城士(郷士)や郷士格(奄美にもあるんですよ)などさらに低い身分の多くの人たちがいる。土佐藩の武士階級はやや複雑だが、商家出身で下士の坂本龍馬は裕福ではあったが身分的には西郷の方が上だろう。(西郷と岩倉は、身分が低いということと貧困にあえいだ経験を持つという意味では似ている)

一方の岩倉。名門五摂家鷹司政通へ歌道入門したり、朝廷改革の意見書を政通に提出し下級公家にすぎない岩倉具視は、朝廷首脳に発言する機会を得ているが、
これも西郷が斉彬に農政改革の意見書を提出して、大抜擢されたことと似てなくもない。大久保も久光の好きな碁をならい殿にの信頼を勝ち得ている。また、岩倉は、天皇にも親幕派と疑われ、1862年蟄居命令を受け、帰参が許される慶応3年(1867年)まで、岩倉村で5年間も蟄居生活を送ることとなるが、
西郷の島暮らしも、時間的に3年ほどの差があるが計5年ちかくにおよぶ。奄美島に安政6年(1859年)から3年半ほど、そして沖永良部島から鹿児島に帰ったのは元治元年(1864年)2月。
 
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