Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

阪神・淡路大震災 25周年に寄せて

2020-01-17 21:41:55 | 社会・経済

今日は 1995=平成7年のこの日生じた、阪神・淡路大震災から 25周年に当たる。被災規模では 2011=同23年発生の東日本大震災に及ばずとも、6000を超える犠牲と数万規模の負傷被害、更に 20万棟超といわれる建物や交通港湾等の大規模被害とその対応、更に震災後復興のあり方にも、数々の課題を残したも事実である。被災の中心・神戸市には 拙者も昭和の終盤に 2年弱程住んだ土地でもあり、縁浅からぬものがある。改めて、犠牲各位への弔意と 今尚復興途上の各位へのお見舞いの意を新たにしたく思います。

結果論かもだが、「あの震災」に際し 警察、消防、自衛隊を含む行政の初動対応が鋭さを欠いたものだった事は事実の様だ。主な原因は、制度面を含む通信手段の未整備が、行政各機関相互の円滑な意思疎通を阻んだ所があった様だ。兵庫県知事からの、当然に必要な対自衛隊出動要請の遅れがその典型。まだインター・ネットは黎明期だったし、電話連絡や既成メディアの報道態勢だけでは 敏速情報取得に無理があったは事実かも知れない。ただ、教訓は残る。関係各位には、こうした通信面の課題を最大限克服する努力を願いたい。そうする事が、災害などの緊急時に、住民各位に間違ったサインを送る失態を防ぐなどの効果に繋がる事も期待できるからだ。

申したくはない気もするのだが「あの震災」発生当時の政権は、村山社会党連立内閣だった。村山元総理は震災直後に報じられた早朝 6amの TVニュースをチェックされていたとかで、被害概要はとも角、内閣レベルの詳報把握は後付けとなり、その事が行政初動の鈍さに繋がった所はある様だ。又 当時の社会党は災害時の内閣権限強化にも反対だった由で、その事が「あの震災」への適切な対応を欠く事にならなかったか、今からでも謙虚に検証する必要がありはしないか。

阪神・淡路大震災の検証を含めた回顧は、多くの事項に及ぶ大変な質量に及ぶ事共の為、今回は詳細まで踏み込むのは控えるが、我々国民市民は、折々東日本大震災と共に、防災に臨む姿勢や遭遇した時の備えなど、普段から考えておくべき事共を 折に触れ復習して、いざという時 努めて冷静に対応できる様 心構えを持つ事ができればなどと愚考している所。最大の肝はやはり「自らは、自らで守る」の一点に行き着く様にも感じる所だ。今回画像は、先年訪れた京都・二条城の夜間イヴェントの折に捉えた一枚。コンピュータ・グラフィックをも動員した幻想的な夜の演出が好感だった思い出がありまして。


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