ねぎ置き場~ひっそり貯えるネタの貯蔵庫~

(自称!)青春系ダンスユニット○~まる~の左。ダンスやったり、表現したがりな三十路が送るブログエンターテイメント

暗いニュースでお腹いっぱいにならないお腹になればよいのか

2020-03-12 21:54:19 | 小説及び小説になりうる原料
 日本全体が打ちのめされているイメージがある。コロナで日本中がダメージを受けているイメージがある。空になったスーパーをみると、いよいよ異常事態だということを自覚してしまう。気持ちを盛り上げようとテレビを観ると「○○件で新たに○人」…プツンと切る。
 楽しみにしていたイベントがなくなる。
 楽しみにしていたイベントがなくなる。
 楽しみにしていたイベントがなくなる。

これからどうやって希望を見いだせばいいのかわからなくなる。

そうして、自分自身も気がつけば愚痴をいう、上の判断に文句をいう、反実仮想を連呼する。これが一番よくない気がする。

意図的なマスコミの報道もある。不安を煽る。不満を強化する。実は愚痴や文句をいっている自分もそちらに加わっていることになる。

世界が終わったかのように思えて外に出てみると、空が異常に青くみえた。思ったよりも世界はいつも通り動いていた。久しぶりに実家に電話をしたら、相変わらず呑気な家族の声が聞けた。家族と過ごす時間が増え、息子と出かける冒険が増えた。娘のわがままに付き合うことで絆ができた。

当たり前に歩いていたんだ。
それは、実は当たり前じゃなかったんだ。

仕事が休めないから、家族の時間をとれない。暇であることは絶対悪。仕事でストレスは溜まるものだ。

仕事は休めるんだ。自分のペースで歩いていいし、たまには止まってもいい。

そう、今、僕のなかで文句や愚痴をいう時期は過ぎた。

 楽しみにしていたイベントの代わりにできることを探す
 楽しみにしていたイベントの次のイベントを2倍の力で造り上げる
 楽しみにしていたイベントに関わってくれていたすべての人に感謝する

身体のメンテナンスをする
心の手入れをする
コロナが去った後のいいイメージをもつ
来年度から楽しみなことを考える

自分は表現者。今は何でも描ける。
止まない雨はない。
雨が止んだとき、既にスタートダッシュを切っている自分になりたい。


「いい人」なのか「どうでもいい人」なのか

2020-02-09 12:19:22 | 小説及び小説になりうる原料
 人のために動ける人は確実に一定数存在はするが、その数と同じくらいの勢いで人にしてもらって当たり前と思ってしまうひともいる。そして、人のためにといいながら、「あの人はお礼も言わないのね」と不満を漏らすひともいる。結局、それは人のためにではなくて、誉めてもらいたい、見返りがほしい自分が本当にいて、そのために動いているのかもしれない。
 それなら、いっそ。人の行動を期待する行動原理を捨てた方が楽になれる。「自分のため」に人に何かをするのだ。例えば、勉強を教えるというシチュエーション。テスト前に勉強を教えるというのを、見返りを求めてしまうとする。テスト前に「人のため」に時間を割いたのに、利用されるだけされて、お礼も何もないと損した気分になる。そればかりか、自分のテストの点数が悪かったのは、あのとき人のために時間を割いたからだと思うようにすらなってしまう。そうではなく、「自分のため」に考える。人に勉強を教えることによって自分の頭の整理をして、より定着化させ、結果自分のテストの点数アップを図る。そう考えれば、それはもはや自分のために自分の行動をしていることになる。他人がお礼を言おうが言うまいがこちらの気分に影響はしない。これが、行動原理を自分に絞るということである。
 人のため、というのは一見いい人に見えるが、結果のよい悪いを人に託す、他人本意で生きている人なのかもしれない。なるべく自分のための人生を自分で決めるために、行動は自分の基準で決めるべきなのかもしれない。
 他人の人生の部品になるか。自分の人生の主役を生きるか。答えはすぐ出せるはずだ。

生きるために生きてるんじゃない

2019-12-29 11:43:27 | 小説及び小説になりうる原料
小学生の頃は、外に行く度にミラクルが起こる気がして、ドキドキしながら新品の帽子をかぶったりしてみた。大好きな子の家の前を通りすぎるだけで心臓が破裂しそうなくらい緊張した。どの日も特別な1日で、ただ過ぎていく日なんて1日も無かった。同じ通学路も毎日が異なる冒険の舞台であったし、ちょっとでも変化があったとしたら(例えば通学路のお店が閉店したり)、それは大事件だった。通学路は飛ばすことのできないフィールドの1つであり、そこも含めて毎日が新しかった。

今の自分はどうか。通勤路に何か変化があっても立ち止まらずに時間を気にした。なるべくならば通勤路に時間をかけたくなくなった。どの日も似たような1日で、週末までワープしたくてしょうがなくなった。

もっと、端的に言うと、ドキドキしなくなった。外にいくときのアクシデントが怖くて仕方なくなった。トラブルがないように予約サイトで予約をし、みんなとなるべく同じ1日を過ごすことに気を使った。

毎日がドキドキしなくなった。特別を排除した。場所と場所をつなぐ道はただの手段になった。

そのときに気づいたある日はとても悲しくなった。
今からでも遅くない。不確定な未来を楽しめる大人を再開します。

人間関係から「しか」

2019-10-20 09:07:00 | 小説及び小説になりうる原料

ある哲学者が言う。
すべての悩みの原因は人間関係にある。
人は多くのことを自分の他に求める。
失敗したときに自分の他にぶつける。
今うまくいかないのは○○のせいだと思う。
自分は悪くないのに、と思う。

しかし、すべての自分の苦しみを作り出している最終発信源は自分自身に他ならない。あらゆる通過点を越えて、最終ジャッジの「自分」に届く。

「自分」のとって、受け取ったものを「負」と感じるのは、そのものが「負」であるからではなく、そのものが「負」であると自分が決めているからである。

なので、ふとした気持ちの変化や考え方を再構築することによって、さっきまでのブルーがまるで嘘かのように、何ごともなかったような心境になることが多い。

もちろん、この世には絶対的に許されない悪がいる。その悪によって取り返せないほどの傷を受けることもある。そんなとき、自分のこの先が見えなくなり、一人で閉じ籠ることを選択せざるを得ないときがある。

すべての悩みの原因は人間関係にある。それは悪に対しても同じである。

しかし、である。

すべての悩みの原因は人間関係にあるが、すべての悩みの突破口も人間関係にある。

抱えきれないほどの悪は、一人では解決できない。
受けたダメージに対して、立ち上がるエネルギーは相当のもので、部外者が言えることではないが、「悪」もいれば、絶対的にあなたを信じてくれる人もいる。

同じところを巡り続けているのであれば、いけると思ったときに手を出してみるのもありかもしれない。
ときに、引っかかるかもしれない。「悩みの解決」に迎えない経路に変化が出るかもしれない。

すべての悩みの突破口も人間関係にある。

錆び付いたほうの線路

2019-07-13 07:44:00 | 小説及び小説になりうる原料


人は、大きな夢をもったとき

大きすぎて恐れる
すぐに取り消す
他人に否定されホッとする
ビックマウスにならないように無かったことにする

そうした青春時代にもっていたはずの大志を大人になってから振り返り

あの頃はあんなことを思っていて恥ずかしかった
あの頃は何も知らなかったからあんな夢みたいなことを言えたんだ

などと、同じ自分を下にみて、若い頃のことを否定しようとする

だが、それは本当に正しいことだろうか?

大人になった自分はあの頃とひとつづきのレールで繋がっている。レールは1つだったと信じ、夢をあきらめることが正しい唯一の道であったと思うようになる。

だが、レールは本当に一本だったのだろうか?

見えていたのに分岐点で無難な方のレールを選んだだけではないのか?

確かに、「大人になる」「みんなと同じように」のレールの方はみんなが使っているから、安全にみえる。

今の世の中、大多数の道が正しいようにみえる。「大学にいきなさい」「いい企業に勤めなさい」「男なんだから」

1つだけ言わせてくれ

あの頃、みた夢が嘘なんて思わないでくれ
きっとそれが本心で
それを否定する多くの要素に負ける人が多すぎるんだ

自分がみた大きな夢を信じろ

人と違うレールだったとしても
君が通ればひとつなぎになる
強い意志がなければ分岐点はみえない

強い心をもって
他人と比べないで

ただ1人

大きく進んでいこう

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