どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設19年目を疾走中。

どうぶつ・ティータイム(221) 『浩宮様と応徳温泉』

2019-06-05 00:02:31 | エッセイ

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    浩宮様

  (1992年8月群馬・新潟県境の白砂山など登山の後、応徳温泉入浴)

 

 年号が令和に代わって、世の中がなんとなく新しく感じられるのは気のせいだろうか。

 新天皇の即位の礼も済んで儀式も一段落したかと思われるが、これからは公務に追われる日々がつづき、皇太子時代のように自由に登山などできなくなるのだろう。

 とはいえ、多くの国民に祝福され、雅子様ともども晴れやかな表情を見せているのは心強い。

 自然災害が絶えることはないだろうが、なるべく穏やかな令和年間となることを願いたい。

 

 さて、大分気温が上がってきたので、5月下旬に一週間ほど北軽井沢の山小屋に滞在してきた。

 例年は5月の連休に営業を開始する「絹糸の湯」がまだ営業していないので、連日六合村の応徳温泉通いとなった。

 ここの温泉はややぬるめながら、うっかり入り過ぎるとあとからキク~ッということになる。

 ぼくは二十数年前に6か月ほど毎日のように湯治に通い、おかげで48キロまでやせ細っていた体が60キロ近くまで回復した経験を持つ。

 さまざまの温泉に入ってきたが、ぼくにとっては応徳温泉がことのほか相性が良かったのではないかと思っている。

 

 久しぶりの応徳温泉に入って気づくのは、入り口フロアの上部に掲げられた浩宮様の3葉の写真である。

 以前とは設置場所が変わっているが、応徳温泉に立ち寄られた時の同じ写真がにこやかに迎えてくれる。

 当時の浴槽や木の羽目板、それに窓からの眺めなどが思い出されて実に懐かしい。

 とろっとした泉質の温泉につかりながら、浩宮様も登山で疲れた体をここで癒されたんだなと感慨ひとしおである。

 この時はおひとりで(随行の人は別に)下記のような行程をたどったはずで、けっこうハードな距離を走破したと思われる。 

 *1992年8月 白砂山/堂岩山(群馬・新潟・長野)県境の山々の登頂〈登山口と山頂に記念碑があるそうだ)

           

 

 *(皇太子の登られた百の名山ガイド)(西東社)などを参照

             

 

 引用させてもらった『皇太子・登山一覧』によれば、関東甲信越の山々を中心に海外の山まで150座に迫る登頂を果たされているらしい。

 当時の皇太子妃雅子様とも、東京都の高水三山を皮切りにかなりの回数山歩きをされていて、おふたりの仲睦まじい姿が報道されている。

 そういう経緯の中で六合村の応徳温泉に入湯されたことは、この美しい村にとっても誇らしい出来事として記憶されるに違いない。

 

 一方、同じ六合村にあった赤岩温泉(長英の隠れ湯)は、ご無沙汰している間に閉鎖されたようだ。

 中之条町と六合村が合併したあと、財政面から維持できなくなったのだろうか。

 江戸の牢獄から大火に紛れて逃亡し、追手の目を逃れて一時六合村の湯本家にかくまわれていた高野長英ゆかりの温泉だけに、ここの施設が閉められたことは残念でならない。

 重伝建指定の歴史ある街並みの一角に湯本家が現存する以上、そして「長英の隠れ湯」という看板が受け継がれてきた以上、近い将来の赤岩温泉復活を願いたいものだ。

 事情はわからないが、六合村ファンの一人として切望するものである。


     (おわり)

 

 

 

 

             

 

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