むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

膳所城(滋賀県)

2020年01月27日 | 百名城以外の城
膳所城ぜぜじょう
別名石鹿城・望湖城・浮城
構造平城
築城者徳川家康
築城年代1601年(慶長6年)
指定史跡
場所大津市本丸町 地図
城郭検定出題あり

膳所城は松江城、高島城とともに日本三大湖城のひとつとされています。
関ヶ原の戦い以降、徳川家康が最初に築かせた城は膳所城で、大津城を廃して造らせています。
縄張りを行ったのは藤堂高虎で、湖面に張り出し琵琶湖に突出した形状をしています。
築城の資材は明智光秀の居城であった坂本城や、大津城の解体した資材を
利用して築城しています。


城跡公園の城門

本丸跡は現在膳所城跡公園となっていて、入口には模擬城門が建てられています。


膳所城跡公園

古来から東国と京都を結ぶ要害の地でもありました。


案内看板

公園にある城門は模擬城門ですが、城下には移築された城門が多く残されています。
現存している移築門を訪ね歩くのもいいですね。


模擬城門

公園入口には城門を模した門が建てられています。
模擬とは言え、なかなか立派な門構えです。



瓦には本多氏家紋(本多立ち葵)が入っています。
屋根の隅にはまさに葵が立っています。


模擬城門(裏)

裏に廻って見ると高麗門であることがわかります。
屋根には鯱も載って、とても立派そうに見えます。



市民の憩いの場となっている本丸。


平和の礎

滋賀県戦没者英霊塔があります。
戊辰の役から大東亜戦争に至る多くの戦いで国難に殉じ、尊い命を国家にささげた英霊を
慰さめ平和の祈りを込めて慈母観音を祀っています。


城祉碑

この城祉碑の文字は最後の膳所藩主で本多康穣氏の甥で本多亀男氏の揮毫です。


石鹿地蔵尊

ここに並ぶ石地蔵は、最初に織田信長が明智光秀に命じて築城した坂本城に使用した礎石で、
もともとは焼き討ちした比叡山延暦寺にあった石地蔵です。
その後豊臣秀吉が浅野長政に命じて坂本城を築城した大津城の礎石となり、
更に藤堂高虎が膳所城築城の際にも礎石となった石地蔵です。
なにもそこまでお地蔵さまを礎石に使わなくても…^^;


三角点

膳所の三角点で~す。


お手洗い

屋根にど根性な草が生えてますが、公衆トイレに鯱鉾が載ってます^^;


浄水場

二の丸にある浄水場は城跡らしく景観良く考慮された建物です。



至る所にちらほらと見える石。
城に使われていた石とは確定できませんが崩されたり残されたりした部分が見え隠れしているので
こういった部分を探して歩くのも面白いと思います。





膳所市民センター

お城を想像させる建物は膳所市民センターです。


膳所城の位置図

膳所市民センターにある膳所城の位置図。
他にも大津絵なども展示されています。


膳所神社表門

この表門は、膳所城二の丸より本丸への入口にあった城門で
明治時代の取り壊しの際に、移築されたものです。



この門は薬医門で、屋根瓦には膳所城城主本多氏の
立葵紋が鬼瓦の他に魔除けの飾り瓦にもみられます。


北門

表門だけでなく、北門も膳所城の城門でした。
こちらの屋根の一番高い所の鬼瓦には本多氏の立葵紋もありますが
軒丸瓦は違うものが…寺紋に葺き替えられているのでしょうか。



表門とは左右反対の位置にくぐり戸が付いています。



「旧膳所城門一棟 東郷長右エ門」という標柱があります。


今回は城下に残る城門を探してみました。
近くを通りすがったので、予定外のちょい寄りでしたが
とりあえず1ヶ所膳所神社の国宝の門を見て参りました。
まだこの他にも篠津神社は北大手門、鞭崎神社は南大手門、若宮八幡神社表門は犬走門、
芭蕉会館には本丸にあった二重櫓が移築されています。
また次回のお楽しみということで…。

平成30年5月29日登城
令和2年1月3日再登城


よくわかる日本の城 日本城郭検定公式参考書
小和田 哲男
学研プラス

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。