むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

洲本城(兵庫県)

2019年05月30日 | 続百名城
洲本城すもとじょう
別名三熊城
構造山城
築城者安宅治興
築城年代1526年(大永6年)
指定史跡国指定史跡
場所洲本市小路谷 地図
スタンプ設置場所洲本市立淡路文化資料館
御城印洲本市立淡路文化史料館
城郭検定出題あり

洲本城は、豊臣秀吉の命によって脇坂安治の淡路支配の拠点となった城跡です。
三熊山の山頂に築いた「上の城」と山麓に居館を置いた「下の城」とで構成されています。
下の城では御殿が設けられ、藩の政治を執り行う場でもありました。
東と西の斜面には登り石垣配し、上の城、下の城両方のを一体化して
防御している様子が特徴的です。



大手口

登ってきてまずここで「おお~!」と思わせる石垣の大手門跡に圧倒されます。


馬屋曲輪

ここまでは車で登って来ることが出来ます。
ここが満車の場合は大手口下にも駐車場があり、麓にも駐車場があります。



ここから先は徒歩になります。
山城ながらここまで車で来られるのはありがたい。
では、いざ!


南の丸隅櫓跡(継ぎ足し石垣)

目の前に威圧的に飛び込んで来る高石垣です。
櫓台を継ぎ足したことで石垣も迫力を増しています!
石垣に継ぎ足しの切れ目があるのですが
なんとな~くお分かりいただけますでしょうか^^;
苔や草で覆われて分かりずらいのですが、2度の普請があったことを確認出来る場所です。


中務母義の郭

本丸下にある、脇坂安治の母の住まいがあったとされる郭です。


本丸大手
本丸を目前とした大石段。
ここを登ると本丸虎口が待ち構えています。


本丸虎口

枡形になった虎口で、門の礎石も残されています。


本丸

本丸に到着しました。
ちょっと日本風ではない?ような模擬天守がお出迎えです。


芝右衛門大明神
かつて三熊山のてっぺんには愛嬌者の狸が住んでいました。
満月の夜には陽気に腹鼓を打ち、時には人間に化けて木の葉のお金で買い物したり
いたずらもしましたが、夜道に迷った旅人を助けたり人々に愛される狸でした。
浪速の芝居を毎日観に行っていると、お金箱に木の葉が入っていたことで
狐か狸の仕業に違いないと思った芝居小屋の主人が犬を三匹連れて来きました。
「今日も面白かった。淡路に帰って皆の衆に話してあげよう」とつぶやきながら
何も知らずに芝居小屋を出てきた狸は、犬に発見され噛殺されてしまったそうな。
村人たちは悲しみ、そんな愛嬌者の狸を偲びここに芝右衛門大明神を祀るようになりました。

この辺りでよく狸の置物を見かけたのはこのような伝説があったからなんですね。
家の庭先に大きな狸の置物を置いているのを何軒か見かけて、ここは信楽?とさえ思って
とても気になっていましたがここに来てガッテンです。






小天守跡

小天守は台所櫓であったと考えられ、天守と渡櫓で結ばれていました。


模擬天守
昭和天皇の即位を記念して建てられた模擬天守です。
模擬天守としては日本最古と言われています。



天気が悪く、靄がかかっています。
晴天であればさぞかし綺麗な海が望めたのでしょうね。残念無念。
しかし、目の前の石垣の角に穴が!!


本丸北虎口

本丸天守台から見下ろした本丸北側の虎口です。


本丸搦手虎口

北側からの敵の侵入を防ぐために設けられた虎口で、
正面には鏡石があり、侵入者を威圧しています。


搦手口

脇坂氏在城初期の頃はこちら側が大手口だったと考えられ、
しっかりした造りになっていることにも納得がいきます。



北側から見上げた天守台と模擬天守。



このまま下って西登り石垣を見に行きたいと思います。


西登り石垣
かなりあちこち崩れてしまっていて直線に延びている様子はうかがえませんでした。
しかし、ここから上を見上げると山肌に転々と石垣が
小刻みに見えるのでそれを見て由としました。



このようなしっかりとした石垣が見えたりもしています。



道より上の方に石垣の一部が見てとれるのですが
山肌をよじ登ると崩れたり、遺構を破壊しかねない状況なので
せっかくここまで来ておきながら、ちゃんとした画像が撮れないのは残念ですが
道を外れてまで見に行くことは今後のことも考えて遠慮しておきました。


三熊山の岩石

岩の中に小石が混ざっているのが見えます。
まず登城し始めて石垣の石に小石混ざりの石が使われていたのがすごく気になっていたのですが
これで地場で伐り出した石で石垣が積まれていることがわかります。


本丸台南面の石垣

西登り石垣から引き返して南の丸まで戻って来ました。
南側の高石垣も見事です。


南の丸
南の丸は後に拡張され、南側の守りを強化しています。



中務母義の郭下から東の丸へ。
中務母義の郭側の石垣が大きく崩れてしまっています。


八王子社

洲本城の鎮守の神様で、安宅氏が築城の際に祀ったものと伝わります。


東の丸

東の丸(二段の郭)です。
この先、東二の門で区切られてその先は武者溜郭になります。


東二の門

本丸と水の手を守る重要な虎口で、ここには門も設置されていました。



この高石垣は文禄・慶長期のものですが、
この上の石垣は仙石秀久によって造られた、洲本城では最も古い石垣があります。


武者溜
かなり広い武者溜になります。
しかも眺めの良い位置にあります。



今は周囲に木があって一部の方向しか見渡すことが出来ないですが
この木が無かったら…と妄想するとかなりの範囲が見渡せることが想像出来ます。



木の途切れたところから見ると、素晴らしい眺めです。
ここでも晴れていたら絶景かなと悔しい気持ちでいっぱいになりました。
ここで、海から迫り来る海軍を見張っていたのではないでしょうか。


東一の門

直接山麓の居館へ登り降り出来る通路になっています。



武者溜のこの眺めなら逸早く敵の侵入を発見し、
ここから一気に下の城まで駆け降りて出陣出来たことでしょう。


日月池
谷地の湧水を石垣を築いて池にしています。
近くには井戸もあり、水は枯れることがありません。


日月の井戸

日月池のすぐ近くの南側にある井戸。
井戸の底の岩盤に日月の彫刻があると伝わります。



井戸の中を覗き込むと、水がすぐそこに見えています。
深さがどのくらいあるのかはわかりませんが、これならば水の心配は無さそうですね。


淡路文化史料館
下の城には現在「淡路文化史料館」がある場所に徳島藩の役所とされた東民政所がありました。



入口には芝右衛門狸の置物があります。
このようにこの城下では沢山の狸の置物を見かけます。


スタンプ設置場所

淡路文化史料館のロビーに続日本100名城のスタンプが設置されています。
こちらでは洲本城のクリアファイルと資料を買いました。


東民政所跡

淡路文化史料館には堀、石垣が残っていて写真の右奥には櫓台も見えています。


こんな立派な石垣がこれほど沢山見られるとは思ってなかったので
登城早々から雨だというのにハイテンションで行って来られました。
GW中だというのにこの天気の悪さからか、他に観光客も少数で
ほぼ貸し切り状態だったのは不幸中の幸いでした。
やはり一番残念だったのはこれだけの眺めの良い立地なので晴れていれば新潟県の村上城並みに
居心地の良い城跡であったのだろうなと想像すると、あ~悔しい。


令和元年5月1日登城



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続日本100名城公式ガイドブック (歴史群像シリーズ特別編集)
公益財団法人 日本城郭協会
学研プラス



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