タイトルのまんまである。
先週の三連休に、「ツールド東北2018」に参加するために往復合計18時間電車に乗る機会があった。で、思ったのだが、乗り換えもある電車の旅の友は、あんがい辞典だな、と思うのだ。下のリンクのようなやつ。
国松 昭 | |
新星出版社 |
学生のころは、京都駅で西村京太郎なんかを買って、家に着くまでに読み終えたりしていたんだけど、小さな活字を追うのがしんどくなってきたし、ある程度集中力が必要な小説を読むのがシンドイときが増えてきた。
そんなわけで、家にあった文庫サイズの上の辞典を持って拾い読みをしていった。
六十年生きてきて、知らないことわざがたくさんある。さらに「いい加減なことわざ」「真に受けてはいけない間違ったことわざ」もけっこうあるのに気がついたのだ。
好物に祟りなし
「~好きなものならたとえ食べ過ぎても体をこわすことはない」
いや、だめでしょう。カラダこわしますよ。へたするとガンになるかもしれない。こんなことわざを免罪符にしないでほしい。
芸術は長く人生は短し
「人間の命は短いがすぐれた芸術は作者の死後も永久に残るので、よい作品を残すために努力せよ」
意外かもしれんが、このことわざは大間違いだと思う。創作をする人はこんなたわごとを教訓にしたりすべきではない。
このことわざを真に受けて、どれだけたくさんの人が挫折したことか。彼らの未完の作品の多くは引き出しの中にしまいこまれて、作者からも忘れ去られるだろう。つまり、結果として作者の人生よりもはるかに作品の方が短命だったりするのがオチだ。
そもそも、このことわざは、
Art is long,life is short.
というギリシャの「医聖ピポクラテス」の言葉(の英訳)の和訳なのだが、あきらかに誤訳なのである。
ここでいうArtとは、Marshal arts(武芸・武術)などのArt、つまり術とか芸というほうの意味。
つまりピポクラテスは「医術を習得するには人生はあまりにも短い、怠らずに勉強せよ」ということを言いたいのだ。
少年老い易く学成り難し
がもっとも正しい訳文だといってもいい。が、これはピポクラテスの言葉の訳文ではない。
朱子学の創始者、朱熹(しゅき)の言葉である。そして、この言葉には「一寸の光陰軽んずべからず」と続く。
まさにピポクラテスの言葉と同じことを言いたいのだ。
「役に立つ言葉」「こころにしみる」ことわざとしては、誤訳から生まれた「芸術は~」なんかより、どう考えたってピポクラテスや朱熹の方がはるかに上だと思う。
「小説作法」はぼくが生まれる前からあり、変幻自在に変化しながら、ぼくが死んだ後もずっと続いていく。だからぼくは学び続け、書き続けなければならない。
ことわざ辞典に載っているからといって、すべてのことわざをありがたがる必要はどこにもない。
なんてことをウグイス色の東北新幹線に揺られながら思った次第。