Ⅱ-⑭ 原理本体論 Ⅱ前編 第1章 創造原理(p 213~230)

2019年04月17日 08時57分20秒 | 原理本体論

Ⅱ-⑭ 原理本体論 Ⅱ前編 第1章 創造原理(p 213~230)

 原理本体論 Ⅱ.前編

 第1章 創造原理


 参考2(p 213~230)

 真の父母と成約時代

 神様の創造理想は真の父母と成約時代の完成です。神様がエデンの園にアダムとエバをおつくりになった目的は、彼らを通して神様の創造理想を成就するためです。

 真なる父と 真なる母になることが、アダムとエバの一番の望みです。神様は真の父母になることを創造理想として立て、アダムとエバを創造しました。神様の願いも真の父母になることであり、アダムとエバの願いも真の父母になることです。アダムとエバが真の父母になれば、神様もアダムとエバの実体をもった 真の父母になるのです。ですから、神様の願いとアダムとエバの願いは同じです。


 神様の創造理想

 真の父母になることは、神様の理想であると同時にアダムとエバの理想です。神様はその理想を成すことができるように、アダムとエバに三大祝福を下さいました。

 創世記1章28節の「生めよ ふえよ 地を従わせよ……」 という 内容のみ言が、まさに三大祝福です。言い換えれば、個性完成、家庭完成、主管性完成が三大祝福なのです。

 三大祝福は神様のみ言だといって、そのまま成就するわけではありません。それは神様がアダムとエバに下さった約束です。約束はすぐに成就するのではなく、相手側が守るべき条件があります。同様に、神様が先に約束されたとしても、アダムとエバがその条件を守ってこそ成就するのです。それがアダムとエバの責任分担なのです。

 アダムとエバが真の父母になる理想は、責任分担を通して完成されます。アダムとエバは、責任分担を通して三大祝福を成就するのです。アダムとエバがその責任分担を完成すれば、真の父母になります。アダムとエバが真の父母になるという話は、み言で約束した三大祝福が 成就するということです。

 アダムとエバが真の父母になれば、無形の真の父母であられる神様が、アダムとエバの実体をまとうようになります。アダムとエバが一体となって、神様の創造理想を成就するのです。

 三大祝福は、まだ成就していない約束です。それはみ言としてのみ、与えられた約束です。神様はアダムとエバに三大祝福という約束をしてくださるとともに、条件として「善悪を知る木からは取って食べてはならない」(創世記2章17節) という戒めも 一緒に下さいました。それがアダムとエバの責任分担です。アダムとエバが三大祝福を成就するためには、善悪の果を取って食べてはならないのです。

 アダムとエバは善悪の果を取って食べずに成長すれば、真の父母になります。したがって、神様の願いである 真の父母の理想も成就するのです。ところが、アダムとエバが善悪の果を取って食べたので、その約束は成就しませんでした。

 しかし、必ずその約束が成就する時が来ます。エデンの園の約束(三大祝福)を成就する時が、まさに成約時代です。成約という言葉は、約束が成されるという意味です。神様が創造理想を成すために、エデンの園でアダムとエバに三大祝福を下さいましたが、その祝福を成すのが成約なのです。


 旧約

 アダムとエバが神様の下さった約束(三大祝福)を成就できなかったので、成約の時を迎えられず、神様は新しい約束のみ言(=旧約)を下さいました。それで旧約時代が出発したのです。旧約時代は、ユダヤ教を立てて、神様の約束を成就しようとした時代です。

 アブラハムが祭物献祭で鳩を裂いたなら、アダム、ノア、アブラハムの三代を経て、家庭を中心とした メシヤのための基台が完成します。しかしアブラハムが鳩を裂かなかったために、その子孫がエジプトに行って400年間苦役に服さなければならなかったし、アブラハムが100歳の時に生んだ 息子のイサクまで モリヤ山に行って献祭としてささげなければなりませんでした。エジプト苦役400年を経たのちに、神様はモーセを通してイスラエル民族を連れてエジプトから出発させます。イスラエル民族を選民として立て、メシヤを迎える準備をするようにしたのです。


 新約

 旧約を成就するために来られたメシヤがイエス様です。アダム以降 4000年目に旧約の歴史を終結し、神様の三大祝福を完成するために来られたお方がイエス様です。

 旧約時代は、モーセが神様から授けられた律法を中心として、律法のとおりに生きる時代でした。その時代は、律法に従って生きなければ許されません。律法では安息日を絶対的に守るようになっています。ところが、イエス様が来られて安息日に伝道してまわり、おなかが空けば、小麦の穂を折ったりもしました。それは、許されない 律法違反の罪に該当したのです。

 しかしイエス様は、律法を完成させるために来られたお方であって、律法に縛られた人になるために来られた お方ではありません。マタイによる福音書5章17節で、イエス様は「わたしが律法や預言者を廃するために来た、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するために来たのである」 とおっしゃいました。それは旧約摂理の歴史を終結し、新しい歴史を出発するために来られたという意味です。

 けれども、ユダヤ教徒たちには、そのみ言が耳障りであり、それによってイエス様を不信するようになりました。イエス様がピリポに、「わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに 父を示してほしいと言うのか」(ヨハネ14章9節) とおっしゃったみ言や、ニコデモに「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」(ヨハネ3章3節) とおっしゃったみ言も、ユダヤ人には理解できなかったのです。

 そのようなみ言ゆえに、ユダヤ人たちはイエス様を異端者と見なしました。律法にない話をしてまわると言って、後ろ指を差しました。ユダヤ人たちは神聖を冒とくしたと言って、イエス様に罪を被せ、結局は民族の反逆者として追い詰め、十字架を背負わせたのです。

 もしイエス様が亡くならなかったとすれば、旧約の歴史が終結し、神様がアダムとエバに下さった 本然の約束が成就したことでしょう。けれども、イエス様が亡くなられることによって、本然の約束が成就できなくなりました。ですから、神様がイエス様を通して再び立てた約束が新約です。イエス様は メシヤとして来られましたが、ユダヤ人たちが 信じて侍ることができなかったことによって、結局、キリスト教を中心とした新約時代が出発したのです。新約は、もう一度約束をしたという意味です。

 新約の核心は、イエス様が「また来る」 とおっしゃった約束です。その約束がまさに再臨主の降臨なのです。多くの宗教が、終わりの日にはこの世を救うために自分の宗教の創始者が再び来るという再臨思想をもっています。キリスト教ではイエス様が来られ、儒教では孔子が、仏教では釈迦が、ユダヤ教では自分たちが信じて信奉する教祖が再び来て、乱世を収拾し、理想世界を成就すると言います。あらゆる宗教は、それなりにメシヤ思想をもっているのです。

 しかし全体を収拾し、神様の創造理想を完成されるお方は、お一人しかいません。その方が、再臨主という名前をもったメシヤなのです。再臨主は再び来られるイエス様のことをいいます。そうかといって、2000年前に亡くなったイエス様が再び肉身をもって、生きて帰ってくるのではありません。

 イエス様を 後のアダムというのは、アダムの肉身をもったイエスをいうのではなく、その役割を中心としていう言葉です。イエス様は、アダムが果たせずに残した 神様の創造理想を完成するために来られた 後のアダムです。同様に再臨主の役割も、アダムとイエス様が残した神様の創造理想を完成することです。

 再臨主は、救世主という名前で呼ばれもします。アダムとエバの堕落によってサタンが造りあげた悪の世界を収拾するので、救世主なのです。神様の創造理想が家庭ですが、サタンはその家庭をサタンを中心とした家庭にして悪の世界を造りあげました。ですから救世主は、その家庭を収拾し、その家庭を救援しなければならないのです。

 アダムとエバの堕落によって、サタンの血統を受け継いだ 家庭を成したので、その家庭を救援するためには、祝福を通して新しい家庭を立てていかなければなりません。そうするためには、救世主は真の父母にならなければなりません。ですから、救世主は真なる父母として来られるのです。そうしてサタンが造った世界のすべての国には代表者、王がいますが、そのお方は、その主権を中心としたあらゆる体制を収拾する 王の中の王として来られます。そのお方は王の中の王 実体の神様になられるのです。


 蕩減復帰

 真の父母様は、この地に来られて数多くの受難の道を経られます。それが統一教会40年の歴史です。

 統一教会は1954年5月1日、「世界基督教統一神霊協会」 という 名前でスタートしました。それはただ一つの教会を造り、ある教派をつくろうとしたのではありません。

 今まで神様は、たくさんの宗教を立てて善を追求してこられましたが、その中において中心の宗教がキリスト教です。あらゆる宗教が神を信じて、またその創始者を信じますが、神様を父として信じ、人間に対して神様の息子・娘という貴い価値を設定し、お立(た)てになったお方が、イエス・キリストです。

 そのようなイエス様が、人間の不信によってこの地でみ旨を成し遂げられずに、「また来る」という 言葉を残して十字架にかかって亡くなりました。イエス様が再び来られるとき、新婦になり、新郎として来られるそのお方を迎えなければならないのがキリスト教の使命です。ところが、キリスト教がその使命を果たせなかったのです。

 キリスト教が責任を全うしていたならば、「世界基督教統一神霊協会」という看板も必要なく、キリスト教徒たちが名づけた統一教会という略称も現れなかったことでしょう。イエス様当時、ユダヤ教が責任を全うしていたならば、キリスト教も現れる必要がなかったのです。その時すでに、宗教が必要のない世界になっていたことでしょう。

 真の父母様も宗教が必要のない世界をつくるために、この地に来られました。そのお方を中心として一つになれば、すべてが神様のもとに帰って「神様は私の父母であり、私は神様の息子 娘」だという貴い価値を得るようになるのです。今まで信じてきた観念的な考えではなく、実際的に信じ、神様と共にある 私たちの生活になっていたことでしょう。

 今までキリスト教徒たちが統一教会を異端だとしながら反対するのも、自分たちと考えが違うからです。自分たちが信じている理念と違うというのです。彼らは 知らなくてそうなのであって、真の父母様が立てられたこの原理は、神様を中心として出発したものです。彼らはイエス様を中心として出発しましたが、真の父母様はイエス様を越えて、神様を中心として、イエス様も果たせなかった神様の理想を成就するために、原理本体から出発したお方なのです。

 ですから、この地で世界のキリスト教、世界的キリスト教を統一し、その基台の上で神様のみ旨を成就しなければなりません。それで「世界基督教統一神霊協会」としたのです。けれどもキリスト教では、その「世界基督教」という言葉を看板から取り除けと言います。その言葉さえなければ、反対する理由がないというのです。それは、仏教 儒教のようなキリスト教と関係のない宗教団体になって、自らの教権を主張する教派をつくれという意味なのです。

 しかし真の父母様は、その言葉を取ることはできません。真の父母様は メシヤとして来られたので、世界基督教という言葉を使われたのです。神様の摂理の中心思想をもってこられたので、「世界基督教統一神霊協会」という名称をつけなければならないのです。このようにして、キリスト教2000年の基盤の上(うえ)で、初めて「世界基督教統一神霊協会」が出発するようになります。

 統一教会は40年の期間の間に蕩減復帰 摂理歴史を経ますが、それは、新約時代を蕩減復帰し、旧約時代を蕩減復帰し、アダムとエバが堕落してから旧約時代 以前の全体歴史も 蕩減復帰する期間です。堕落と不信の歴史をすべて蕩減するのが、統一教会の歴史なのです。

 アダムから2000年を経過して、アブラハム家庭でイサク・ヤコブを経てメシヤを迎える基台を立てたのであり、アブラハム家庭において三代目であるヤコブからイエス様を迎える準備を始めました。それから2000年間 準備した基盤の上にイエス様が来られたのです。イエス様は2000年の歴史を総合した 実体相として、アダムの堕落以降 4000年の歴史を終結するために来られたお方です。

 真の父母様は、イエス様が来られたのちの 2000年間の歴史、さらにはアブラハム家庭でメシヤの基台を成功した時から4000年間の堕落歴史を蕩減し、復帰歴史を清算しなければなりません。堕落以降、旧約・新約時代を通した蕩減復帰歴史を終結しなければならないのです。

 真の父母様の当代において蕩減復帰歴史を清算するためには、旧約時代4000年を 40年で蕩減する道しかありません。期間をさらに短縮して、4年の間に成(な)せればよいのですが、4年はあまりにも短い期間です。そうかといって、400年間で成すこともできません。真の父母様が400年間この地にいらっしゃるわけにはいかないからです。


 完成・完結

 真の父母様が 支払うことのできる 蕩減期間は最小限40年です。そして新約2000年を蕩減する最小限の期間が20年です。それで6000年全体を蕩減する期間が、真の父母様の生涯60年でした。その期間を経て、真の父母様は初めて成約時代を宣布するようになったのです。

 成約時代になったという話は、統一教会を中心として40年の蕩減復帰摂理歴史を 終結したということを意味します。蕩減復帰という言葉は、代価を支払って本然の位置に帰ることを意味します。蕩減には適当な条件がなければなりません。それで蕩減条件を立てるというのです。

 1954年に「世界基督教統一神霊協会」が創設され、それから40年過ぎた1995年に「世界平和統一家庭連合」が スタートしました。その時、真の父母様は成約時代を宣布したのです。

 アダムに下さった言約が 成就する時が成約時代です。それは真の父母が顕現したという話です。真の父母が顕現したという話は、神様の希望である創造理想が完成されたという意味です。アダムとエバが果たせなかった創造の理想を、真の父母が完成されたのです。それによって「世界平和統一家庭連合」を中心とした新しい歴史が出発します。

 1954年から1995年までは「世界基督教統一神霊協会」、すなわち教会を中心とした摂理を行った時です。教会は個人を復帰するためのものです。ですから、個人の救援のためには教会が必要です。個人を救援してから家庭を復帰するようになるのです。

 個人を復帰する活動から家庭を復帰する活動に移るときは、教会を中心とした摂理は終わります。摂理歴史が教会を中心とした蕩減路程を経て、家庭を中心とした蕩減路程に移るのです。この時、「世界基督教統一神霊協会」の看板を下ろし、「世界平和統一家庭連合」 という 看板を掲げるようになります。祝福家庭が自分の家庭のためにだけ生きるのではなく、連合して神様の創造理想である 世界平和統一を実現するための路程が始まったのです。

 メシヤはこの地に神様の真の愛の種を持ってこられ、創造当時の本然のみ言を持ってこられます。そのみ言が原理です。その原理を通して『原理解説』が出版され、『原理講論』が出版され、この『原理本体論』が出版されるようになったのです。宗教が追求する目的は、神様を正しく教えてあげることですが、『原理本体論』の核心も、神様を正しく教えてあげることです。

 真の父母様は神様を正しく教え、神様のもとに帰れるように祝福の道を開くみ業をしてこられました。堕落世界の人間たちを、直ちに祝福してあげることができないので、原理のみ言をもって弟子たちをお育てになりました。メシヤと同じ考え、メシヤと同じ思想、メシヤと同じ理念をもって、メシヤが悲しむときに一緒に悲しみ、喜ぶときに一緒に喜ぶことができる、苦楽を共にすることのできる弟子たちとして 訓練させたのです。弟子たちが、自分の父母より真の父母様をいっそう信じて従うとともに、一つになったとき、弟子たちに祝福をしてあげるのです。

 祝福とは、真の父母によって堕落の血統を変え、神様の血統を相続するものです。真の愛・真の生命・真の血統の本体であられ、「絶対性」の本体であられる 神様の中から実体として来られる 真の父母様が、初めてその理想を実現し、相続してくださるのが祝福です。それによって、真の父母は天地真の父母になります。天の真の父母と地の真の父母になるのです。

 ですから、「天地真の父母 統一安着」、「天地父母 天宙安息圏宣布」というような み言を宣布する時代がありました。そのみ言を成就する道を真の父母様が歩んでこられたし、私たちにもその道を行くように導いてこられました。その次に、天の父母と地の父母が真の父母として一つになるのです。

 そうして「天宙平和 統一家庭堂」を立てました。この家庭堂の堂の字は、今日(こんにち)の政治の集団を意味する 群れの党の字ではなく、家を意味する堂の字です。家を正しく治め、家を平和的に統一できる 家庭にしなければならないという意味です。それで「天宙平和 統一家庭堂」です。家庭は天宙の縮小体であり、天宙の核です。その家庭の構成員がみな、神様に似た人になって聖子の道理を完成しなければならないというのです。その次に、天一国時代が到来します。


 解放・釈放

 天一国時代が到来すれば、家庭連合時代のすべての摂理を完成・完結するようになります。本来、メシヤたる真の父母は、来られて蕩減を払わなくてもよいのです。蕩減の道はそのお方が行かれるべき道ではありません。真の父母は来られるやいなや、栄光の王冠をかぶって万民を治め、本然の世界に連れていくことのできる 主人として来られたお方なのです。

 ところが、2000年の間準備したキリスト教が真の父母を不信しました。キリスト教は旧約時代の結実ですが、そこにサタンが侵犯しました。それを全部蕩減して復帰しなくては、新しい時代に越えていくことはできません。

 本来、アダムとエバが堕落しなかったなら、アダムとエバが直接、成約時代を迎えたことでしょう。アダムとエバは、その時すでに真の父母になり、創造理想をエデンの園で完成していたことでしょう。けれども、アダムとエバの堕落によって、その約束が今まで延長され、成約時代になるとともに、真の父母がみな蕩減し、家庭を中心として 完成して完結するのです。

 メシヤはこの地に真の愛と原理を持って来られました。原理とみ言をもってサタンのうちに存在する人々を教育し、世の中の人々を分別しました。それが伝道だったのです。その時は個人を復帰しなければならないので、教会が必要でした。そのように選別して原理のみ言と真の愛を教育して、初めて祝福家庭が立てられたのです。

 祝福家庭が立てられたという話は、真の父母が顕現したという話です。父母なしには子女が存在し得ません。子女がいなければ、家庭が成り立ちません。家庭が成り立たないという話は、息子・娘を祝福してあげられないということです。

 ですから、真の父母が顕現したという話は、息子・娘を持ったという話であり、息子・娘を持ったという話は、結婚させてあげられるという話であり、結婚させてあげたので家庭を立てたという話です。祝福家庭が立てられたので、祝福家庭 王権即位式も可能になりました。家庭は国家の基本単位なので、いよいよ国が立てられるのです。

 それで、天一国理想を宣布したのです。天一国理想は、天一国時代に入る関門です。天一国時代は、真の父母様が来られて神様を責任分担圏から解放し、万人類を罪悪世界から釈放する時代です。真の父母様は完全に解放と釈放時代を完結して、初めて神様の創造理想を完成した主管主として顕現するようになるのです。その時代が天一国時代です。

 天一国時代は 天宙開闢時代であり、神様が創造されていた心情の原点に回帰する時代です。今までの蕩減復帰時代と復帰時代を経て、神様の中において、夜の神様がアダムに善悪の果を取って食べるなとおっしゃる前の 神様の心情圏に帰る回帰時代です。回帰時代は天一国理想の門を開く時であり、天宙開闢の時代なのです。

 神様の摂理は2000年周期でなっています。アダムが堕落したあと、アブラハムまでの家庭を中心とした摂理が2000年です。けれども、アブラハムが神様に供え物をささげることに失敗し、縦的に続いてきた アダム・ノア・アブラハムを通した 摂理を失うようになりました。

 神様は、アダムを象徴する供え物、ノアを象徴する供え物、アブラハムを象徴する供え物、このように三つの供え物に勝利すれば、アダムからノア、アブラハム三代全体を勝利したという条件を立てて、メシヤを送ろうとされたのです。けれども、アブラハムが三つの供え物をささげる時に失敗を犯しました。それで、再び摂理の周期によってアブラハムの時からイエス様が来る時まで、2000年の歳月が流れたのです。そして、イエス様の時から再臨主が来る時までが2000年です。全6000年です。それが聖書的に見た神様の摂理歴史です。イエス様以降、2000年が過ぎて、初めて神様の王権を樹立するようになるのです。

 真の父母様は、1999年度に「世界平和 超宗教 超国家連合」を創設されました。それは、今まで神様が宗教を通して摂理された 歴史を超越し、サタン世界が国家を築いたのでそのサタンが築いた基盤を 超越しなければならないという意味です。それが宗教を超越し、国家を超越して、本然の創造理想に向かう出発点です。その基盤の上(うえ)で、2001年1月13日、神様王権即位式を奉献します。これにより、エデンの園におけるアダムの堕落によって創造理想を失い、嘆息される神様に、初めて創造主の位置を取り戻し、王権を取り戻してさしあげるようになったのです。

 また2003年2月6日、真の父母様のご聖誕日に、真の父母様が二つの意味ある行事を挙行されました。その日は、真のお母様の還暦に当たる日でもありました。朝7時に、「天地父母様 天一国開門 祝福聖婚式」を挙行されました。天の父母と地の父母が実体をもって真の父母になられて、天一国の門を開く祝福聖婚式です。真の父母様が天一国の門です。父母様が門を開かなければ誰も入(はい)れません。その門は狭き門です。

 聖書のマタイによる福音書19章24節に「 富んでいる者が神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」というみ言があります。ですから、真の父母様が天一国の門ですが、そこにはサタンが一切割り込むことができず、空気も入ることができないように通過しなければならないというのです。

 また2時間後の朝9時に、「天宙・天地真の父母様 平和統一 祝福家庭王 即位式」を執り行われました。初めて家庭を通して成就しようとされた 神様を中心とした 王権が立てられたのです。その二つの儀式を執り行ってから、真の父母様は初めて祝福家庭の王になられたのです。お二人は家庭にあっては家庭の王であり、氏族にあっては氏族の王です。堕落の歴史を清算し、神様の王権を立てられたので、真の父母様の家庭を中心として、初めて「天宙天地 真の父母様 平和統一 祝福家庭王 即位式」をされたのです。これによって、家庭王権が立つようになったのです。

 家庭王権を立てた基盤の上(うえ)で、2004年8月20日、国家王権即位式を韓国の国会で執り行いました。国家王権即位式をするためには氏族王権がなければなりません。先に真のお父様は「国家王権を立てる前に氏族王権を立てなければならない」 とおっしゃいました。そのみ言を成就してから、民族を代表して国家的祝福をするようになるのです。その国の姓氏の代表たちが、自分の氏族を代表して王権を復帰してさしあげることによって、民族が正しく立ったという条件となって、民族を中心とした国家王権を樹立することができるのです。

 最初に江陵劉氏の代表が氏族王権を立てる儀式を執り行いました。国家王権を立てるのに先立ち、氏族王権を樹立したという条件を立てたのです。それが2004年8月18日でした。そうして3日目に国会で、国家王権即位式を執り行いました。

 その後、2004年12月に米国のワシントンで、世界的基準で世界王権 即位式を挙行しました。世界的水準で王権を樹立するようになったのです。

 その基盤の上(うえ)で、2006年6月13日、「天正宮 博物館 奉献式および天宙平和の王 天地真の父母様戴冠式」 を行うようになります。神様王権を立てたので、実際の王宮を準備し、その王宮に神様を迎える儀式をささげるようになったのです。

 2008年12月、真の父母様はラスベガスで昼食を召し上がりながら、幹部たちを呼び集められ、「万王の王 神様解放圏 戴冠式」を奉献することを決意され、2009年1月31日に行事を韓国で執り行うとおっしゃいました。2009年1月31日は、真の父母様のご聖誕日です。

 その時までは、神様がサタン世界の あらゆる王権を認めるしかありませんでしたが、その発表がなされたあとからは、サタン世界のどの王(主権者) も認めなくなります。それで真の父母様は、米国大統領の就任日の1月20日より5日早い、2009年1月15日午前11時から、韓国の天正宮において 「万王の王 神様解放圏 戴冠式」をするようになります。

 ところが、この日 (2009年1月15日)の午後4時に、北朝鮮で突然、金正日委員長が、金正恩を後継者として宣布する行事を行いました。真の父母様がその時間に合わせなかった状態で、北朝鮮が三大王権(金日成・金正日・金正恩)を宣布していたとすれば、神様がサタン世界の王権を認めざるを得なくなるのです。

 原理的に見ると、人間が長成期完成級で堕落したので、二大までは認めますが、三大王権は許すことができません。真の父母様はもともとの予定どおりに、ご聖誕日である2009年1月31日の午前5時に、天正宮において万王の王 神様解放圏 戴冠式」を再度ささげられ、8時に飛行機に乗って米国のニューヨークに行かれ、2009年1月31日の午後4時に、「万王の王 神様解放圏 戴冠式」を、韓国でされたようにささげられました。韓国で31日に行事をされ、米国でも31日に行事をされたのです。聖書に「夕となり、また朝となった。第一日である」(創世記1章5節) とあるみ言のように成就されたのです。万王の王 神様解放圏 戴冠式」をささげたのち、米国のラスベガスで「神様の祖国と故郷は 大韓民国」 という み言を宣布する計画をお立てになりました。

 そして「天地人真の父母定着実体 み言宣布」も、ラスベガスで決定され、まず韓国で開催されたあとに、第2イスラエルである米国を経て、第1イスラエルであるイスラエルの順で行事を進められました。過去においては、第1イスラエルから第2イスラエルに、第2イスラエルから第3イスラエルに帰らなければなりませんでしたが、今は第3イスラエルから始まって、第2イスラエルを経て、第1イスラエルで終結するようになったのです。

「天地人真の父母定着実体 み言宣布大会」も、サタン世界の実体相が結集しているラスベガスで決定し、出発したのです。2011年4月、ラスベガスから出発して、神様の祖国と故郷である 大韓民国でそのみ言を宣布され、キリスト教文化圏が出発したヨーロッパに行ってそのすべての大会を終え、サタン世界に勝利の勝ちどきを揚げるためにラスベガスに行かれました。今からは、神様の摂理圏が、真の父母様の願われるとおりに現れる時が来たということです。

 最後に、天地人 真の父母が 定着することだけが残りました。天地人の人は、天の父母と地の父母が人の体を持つことです。過去には、人の字が入らない 天地真の父母でしたが、今は、人の字が入った 天地人 真の父母が定着するようになりました。

 初めて実体の真の父母と無形の真の父母が一つの体をもって定着されて、み言を宣布されるのが「天地人真の父母定着実体み言宣布」です。神様の祖国と故郷が大韓民国としてすでに決定されたので、定着をし、その実体がみ言を宣布するのです。

 その次に「真の父母様御夫妻 最終一体 完成完結完了」の時代になります。それが神様の全体・全般・全権・全能が総体的に成就する時です。今後、真の父母様が成されるべき目標です。

 真のお父様は、「真のお母様が解放される日が残っている」 とおっしゃいました。真のお母様を誰が解放するのでしょうか。どのようにすべきなのでしょうか。真のお父様が解放します。エデンの園でエバが誤ることで、真の神様である父母を失い、真なる夫を失い、真なる息子・娘を失い、真の家庭を失いました。ですから、真の父母様ご夫妻が一体となり、最終的にそのことを完成しなければならず、完結しなければならず、完了しなければならないのです。

 それが「真の父母様 御夫妻 最終一体 完成完結完了」です。その時から、神様の全体・全般・全権・全能が真の父母様ご夫妻の実体を通して現れるようになります。人類が願い、神様が望んでいた 自由・平和・平等・幸福の理想世界が始まるのです。「真の父母様 御夫妻 最終一体 完成完結完了」によって、初めて真のお母様を解放してさしあげ、その基盤の上に 神様の結婚式があるだろうと見ています。エデンの園で堕落しなかったならば、エバは神様の新婦になったことでしょう。アダムとエバが結婚することが、まさに神様の結婚です。エバは、神様の永遠なる真の愛の種(精子)を受けられる真なる母になり、女王になったことでしょう。エバが堕落によって、そのような立場を失ったので、必ずそのひと日が来なければならないのです。

 1960年代の真の父母様の聖婚が 蘇生的祝福であり、2003年の祝福聖婚が 長成的祝福ならば、今後行われる神様の聖婚は、完成的祝福だといえます。神様をご聖婚させる日が来てこそ、神様の解放圏が完成されます。それによって、人類は神様が送られた真の父母様から堕落の血統を変え、永遠に原罪なしに生きる新しい摂理の時を迎えるようになるのです。


 蕩減と祝福

 「世界基督教統一神霊協会」という教会を通して、宗教圏を中心とした摂理を蕩減復帰し、その基盤の上で「世界平和統一家庭連合」を宣布することによって、蕩減の時代を終え、家庭を中心とした新しい摂理が出発するようになったのです。そのような基盤の上に「天宙平和 統一家庭堂」を立てました。

 家庭堂の堂は、政治家が言う 群れの党の字ではなく、家を表す堂の字です。世俗的な政治集団という意味ではありません。「天宙平和 統一家庭堂」は家を言うのです。それは教育する家です。天一国理想を実現するために教育する所です。

 天一国理想を成就するためには、祝福家庭がみ旨を成していかなければなりません。祝福家庭が氏族的メシヤの使命を果たさなければならないのです。氏族的メシヤの使命は、自分の氏族の祝福を完了することです。祝福家庭が氏族的メシヤの使命を完了すれば、国家メシヤと分封王に選ばれます。

 国家メシヤと分封王は、再びその国家で氏族の祝福を完了し、その氏族たちにみ言を与え、訓読をさせなければなりません。エデンの園で祝福のみ言を失ったので、血統を復帰したあとに訓読することによって、み言を生活化するのです。その教会は、今まで堕落した世界で人間を救援してきた教会ではなく、父の前に親孝行する方法を教える、家庭の教会です。集まる所が教会ではなく、家庭です。

 家庭教会は今までの概念ではなく、伝道の概念も原理的に正しく立て直し、教会の概念も変えなければなりません。一般的に、伝道は世の中の人々を自らの宗教圏に立て、そのみ言のとおりに生きるようにすることだと考えますが、真の伝道はそうではありません。

 キリスト教を見ても、イエス様が亡くなったあと、2000年の間血を流しながら数多くの人(ひと)を伝道しましたが、その中で天国に行った人は一人もいません。メシヤとして来られたイエス様も、天国に行くことができませんでした。イエス様は十字架にかかってお亡くなりになる時に、右側の強盗に「あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイス(楽園)にいるであろう」(ルカ23章43節)とおっしゃいました。

 キリスト教徒たちは楽園を天国と見ていますが、楽園と天国は根本的に異なります。天国に行くためには、神様の血統をもち、家庭を築かなければなりません。家庭で愛の理想を成し、心情の理想を完成しなければなりません。そのような家庭を単位として行く所が天国です。

 天国は原罪がなく、完成した人が行く所です。完成した人でも、家庭を築けなければ行くことができません。イエス様は神様の完成した息子として来られたし、原罪のないお方として、堕落人間を贖罪して神様の子女として救援するために来られたメシヤでしたが、そのお方は家庭をもつことができなかったので、天国に行くことができなかったのです。

 天国は愛の世界です。神様の心情を、実体の人間を通して実現できるところが家庭です。イエス様はそのような家庭をもつことができませんでした。この地で息子・娘を生んでみることができなかったし、息子・娘を愛してみることができませんでした。それ以前に、一人の女性と出会って 愛し合うこともできなかったのです。父母の愛を受けることができず、兄弟の愛も受けることができませんでした。選ばれた選民、ユダヤ民族からも愛を受けたことがないのです。

 イエス様は神様の真の愛を持って来られ、この世の中に教えてあげたかったのですが、その愛で愛することもできず、受けたこともありません。それがイエス様を最も困難にさせました。天国は愛の世界なのに、愛を受けたこともなく、愛したこともないので、一番大変だったという話です。

 それによって、イエス様は「また来る」という言葉を残してこの世を去らなければならず、その道を受け継いで再臨主であられる 真の父母が来られるようになりました。真の父母が来られれば、祝福を通して家庭理想を立てて亡くならなければならないのです。真の父母が歴代の聖人を祝福してあげたのも、その方々の願いが祝福だからです。霊界の指導者たちも祝福の価値を知って願っているのに、その方々を信じ 従うこの地の人間たちが、真の父母を目で見ながらも 信じることができないのが、残念な現実です。

 ですから、氏族を祝福して血統を変え、その次に彼らにみ言を与えて、家庭でみ言を訓読する教育をしなければなりません。その基盤の上(うえ)で、神様の祖国光復が成されるのです。

 神様がこの上なく待ち焦がれた祖国光復です。神様の祖国がないために、今までたくさんの人々が血を流しました。イエス様も祖国がなくて十字架を背負われたのです。真の父母様が悔しく無念な一生を歩まれたのも、祖国がないからです。聖書の記録を見ても、数多くの善なる人々が血を流しながら祈りました。それも祖国がないからです。神様は、彼らの祈祷を聞き入れたくても 聞き入れることができませんでした。すでにサタンが世界の主権、国の王権を握っているからです。

 神様の息子・娘を守り、保護できる垣根、家庭を守り、保護できる垣根が国家ですが、神様はその国家をもつことができませんでした。それが神様の恨みです。それが真の父母様の恨みなのです。

 ですから、この地で最後に成就しなければならないのは、神様の祖国です。神様の祖国がなければ、あの世でも神様の祖国が実体として現れません。イエス様も「あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう」(マタイ18章18節) とおっしゃいました。この地で神様の祖国を立てなければ、霊界でも神様の祖国が実体として現れないのです。

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