長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

ワタシ ハ ケイコ

2019年02月23日 02時23分00秒 | 近況
 目が覚めたら、私はケイコになっていた。
 …つまり、宵寝から目覚めた母が、私をケイコさん!と呼んだのだ。

 そして、自分が声に出した、ケイコさん、という言葉に、そうだ、そうよ、あなたの名前はケイコだったわ!!
 ケイコ、ケイコ、ケイコよね?と、やっと思い出せた、という自分の確信に満足げに同意を求めるのであった。

 あのなぁ…と再び私は探偵物語の松田優作になった。

 なぜに、なにゆえ、ケイコ。
 もちろん私の戸籍上の名前はケイコではない。重なる子音すらなく文字数さえ合っていない。
 
 11か月前、父の通夜で7年ぶりに再会した母は、それからずっと私の名前を想い出せずにいた。
 つい1週間前、町内会の新年会で出席者の名簿を見て、苗字が自分と同じ方のフルネームを指差し、これ? これはあなた??と、目で訊いてきたので、いえいえ、そうではありません、第一私は苗字が変わっているでしょう、と説明したら、ふうんと、分かったような分からないような顔をしていた。

 ハクさまですか、千と千尋の神隠し??

 娘の名前が分からないならまだしも、母は自分の名前すらおぼつかない。
「私はどこへ行くのでしょう?」
 と、妙に哲学的な質問を、突拍子もなく聞いてくるのだった。

 そしてはたと思い当たったのが、日常、我が家での会話…稽古しなきゃ、稽古が間に合わない、はい、これから稽古の時間ですから静かにしていてね、ケイコ、ケイコですよ、ケイコの邪魔をしてはいけません…ケイコという言葉がすべてに優先していたのを、母は8か月の間、脳に刻み付けて蓄積され、ここへきてその記憶が発露されたのかもしれない、ということだった。

 翌朝、恐る恐る様子を見ていたら、そんなケイコさんのことはすっかり忘れて、私はお母さんに「おかあさん」と呼ばれる日常に戻っていた。
 あどけない子どもに戻っていると思うと、妙に理屈めいたことを言う日もある。
 脳内の神経細胞のシナプスがどうの…というよりも、母の様子を見ていると、脳の中が多数の部屋に分かれていて、一つのドアを開けて別の部屋に踏み込むと、前いた部屋のことは全く忘れてしまう、という喩えがしっくりくるように思った。

 ドアを開け閉めして、行ったり来たりできるときと出来ないときがある。部屋は突然なくなったりもする。
 襖を外せば自由自在…というような日本間ではなく、孤立している洋室なのだ。
 母を日々観察していると何かしら学術論文がかけそうな気さえしてきた。

 …いやまー、よしましょう。私はケイコなのだから。

 稽古を、さ、し、す、する、すれ、せよ。……サ変です。

 ケイコは強かれ。私にはそれが総てでなくてはならないのですから。
  

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