ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

お盆の迎え団子と送り団子

2018年08月14日 | 俳句

 昨日は、大分でお墓参りと迎火を焚いて母たちの霊が戻ってくるのを待って、夜遅く宇部へ帰ってきました。

 12日、行くときは行橋の辺りで渋滞していましたが、4キロほどでしたので、日頃より30分ほど遅く着いたぐらい。帰りも渋滞ほどではありませんでしたが、やはり車の量が多かったので少し遅くなりました。

 ところで、「迎火」は、「墓参」と同じく秋の季語です。7月13日、月遅れの場合は8月13日の夕方、祖霊を迎えるために各家の門前や戸口で焚く火のことです。昨年は母の初盆でしたのでみんなで迎火を焚いて、迎え提灯を提げました。今年も同じですが、11月にはもう三回忌なんですよ。早いものです。

  風が吹く仏来給ふけはひあり   高浜虚子

 この句は、歳時記の〝迎火〟の項にありましたが、季語をと聞かれたらどう答えればいいのでしょうか。確かに季感はありますが…。

 わが家では昔からこの13日は精進料理とお団子を食べます。要するに帰ってきた祖霊に供えて、そのお相伴をするということ。その時のお団子は丸くしたものを手で押さえて平たくしたもので、それに小豆餡を掛けて食べます。さらに、16日は送り火を焚いて精霊流しに行きますが、その時の送り団子は俵形を少し引き伸ばしたようなもの…餡はつけずに白いままで、食べるときは砂糖をつけて食べていました。

  送り火や今に我等もあの通り   小林一茶

 この句は、一茶が亡くなる年に詠んだもの。ただ口ではこのようにあっけらかんと言っていても、本当は生への執着が強かったと思います。中風で二度も倒れていますので、死はいつも近くにあったでしょう。しかし、三度目の結婚をして、生れてくる我が子を心待ちにしていたでしょうから…。でもその願いは叶わず、この句を詠んだ年の陰暦11月19日、65歳で亡くなっています。

 さて、先ほどの団子の話に戻りましょう。なぜそのように変えていたのかは聞かないまま…恐らく父からの風習で母がそれを守っていたのでしょう。だから今は義姉が作ってくれます。いつもはお坊さんが来られる15日に帰省し、送り団子を食べて16日に戻るのが普通でしたので、迎え団子を食べるのは久し振り、懐かしかったですね。ああ、写真を撮ってくればよかった…ザンネン!食い意地が張ってるもんで、ついつい食べるのが先になっていつも写真を撮るのを忘れてしまいます。(笑) ゴメンナサイ!

 その時、兄にこのお団子の違いを聞いたのですが、知らないと…結局誰も知らないの?と聞いたら、末の弟が、〝送り団子はあの世に持って帰りやすいようにああいう形になっていると聞いたことがあるが、迎え団子は知らない〟と。

 家に帰ってからネットで調べてみましたら、ありましたよ。そこそこでいろいろな形や食べ方があるんですね。でも気持ちはみんな同じようなものでした。即ち、お迎え団子はあの世から帰ってきたご先祖様に、疲れを癒してもらうためのものなので、甘いものがいいという意味。送り団子は、お土産ですのであの世に持って帰ってもらった後、好きな味付けでたべてもらうため白いままでという意味があるようです。

 ああ、父は長崎出身でしたので、わが家にはいろいろと変わった風習がありましたが、今になってみると、それらはみな日本古来のいわれある事柄から伝えられたものだということを、俳句を始めてつくづくと知ることが何度もありました。今さらながら父や母にもっといろいろなことを聞いておきたかった…全て後の祭りですけれどね。ところで、団子の形は月見団子や御手洗団子のようなものが多く、わが家のような形は見つかりませんでした。これはフシギ!

 写真は、昨日の東九州道よりみた由布岳…真っ正面に見えるときがありますが、分かりますか?上弦の三日月も正面に出ていました。

 

 

 

 

 


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