人間関係が問題なのだ
『貧困』ブログ、カテゴリーでブログ書いている人で、『偽ブログ扱いされた』という文章を書いている人達がいるが。
しかし、人のブログを『偽ブログ』と言っている人達と、『偽ブログ』と言われているブログを書いている人達と、どちらがお友達とか、知り合いになりたいかと言えば、人の書いているブログを、『偽ブログ』とか言っている人達だと思う。『偽ブログ』だと言われているブログを書いている人達とは、お友達とか、知り合いになりたくない、と。
結局、人のブログを『偽ブログ』と言う人達は、『こんなデタラメな人間いるはずない』とか、『こんな不幸な人間いるはずがない』と思っているから、人のブログの事を『偽ブログ』扱いするのだろうな、と思う。
結局、不幸を語っていても、信じられていないのだよね。『こんなデタラメな人間いるはずない』とか、『こんな不幸な人間いるはずがない』と。
で、まあ、「友達とか知り合いになりたいのは、人のブログの事を『偽ブログだ』と言っている人達で。友達とか知り合いになりたくないのは、『偽ブログ』扱いされているブログを書いている人達だな」と思う。
人間としては、人のブログを『偽ブログ』と言っている人達が、まともな人達で。『偽ブログ』と言われるブログを書いている人達は、人間としては、友達とか知り合いになりたくない人達、と。
結局、問題なのは人間関係なのだよね。
その人が良い人なら、良い人が近寄ってくるし。ダメな人間なら、ダメな人間が近寄ってくるし。
『偽ブログと言われた』とブログに書いている人達は、良い人であるとは思えないし。友達にも知り合いにもなりたくないし。
人のブログの事を『偽ブログだ』と言っている人は、言っている事に間違っている部分もあるかも知れないが。日常生活的には、彼らの方が信用に値する人間であろう、と。そして、『偽ブログと言われている』ブログを書いている人達は、日常生活的に見て、間違った人間である、と。
インターネット大学みたいなものをやってみた事があるが、やる気に全然なれない。多分、何をしたとしても、誰も怒らないのが、分かっているからだと思う。
中学校3年生の冬休みに、塾の冬季講習に初めて行った事があるが(塾に行ったのはそれが初めて)親が、私の成績が上がったと喜んでいた。家で勉強するより、塾に行って勉強した方が成績は上がるのだと思った。結局、『怒られるから』授業を聞こうという事が成績の上がる理由になるのだと思う。
高校3年生の時、先生が、『家で勉強した方が良いからという理由で、学校に来ない人は、成績が上がらない』と言っていたが。それも、同じ理由だと思う。文章を、目で見るだけでは、あまり成績が上がらない。結局、『怒られるから』というのは、重要な動機だと思う。結局、『相手を傷つけたくないから』という理由は、自分の幸福を実現する事に関しての重要な動機、と。
人間関係は神聖だよ。それでないと、出来ない事、分からない事があるから。
世界に自分しかいなかったら、きっと何もしないと思う。
『こんなダメな人間いるはずがない』と、まじめに生きている人達は思ってしまうのでしょうね。
だって、『偽ブログ』扱いされているブログを書いている人達が、まともな人間には思えないもの。
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『貧困』ブログ、カテゴリーでブログ書いている人で、『偽ブログ扱いされた』という文章を書いている人達がいるが。
しかし、人のブログを『偽ブログ』と言っている人達と、『偽ブログ』と言われているブログを書いている人達と、どちらがお友達とか、知り合いになりたいかと言えば、人の書いているブログを、『偽ブログ』とか言っている人達だと思う。『偽ブログ』だと言われているブログを書いている人達とは、お友達とか、知り合いになりたくない、と。
結局、人のブログを『偽ブログ』と言う人達は、『こんなデタラメな人間いるはずない』とか、『こんな不幸な人間いるはずがない』と思っているから、人のブログの事を『偽ブログ』扱いするのだろうな、と思う。
結局、不幸を語っていても、信じられていないのだよね。『こんなデタラメな人間いるはずない』とか、『こんな不幸な人間いるはずがない』と。
で、まあ、「友達とか知り合いになりたいのは、人のブログの事を『偽ブログだ』と言っている人達で。友達とか知り合いになりたくないのは、『偽ブログ』扱いされているブログを書いている人達だな」と思う。
人間としては、人のブログを『偽ブログ』と言っている人達が、まともな人達で。『偽ブログ』と言われるブログを書いている人達は、人間としては、友達とか知り合いになりたくない人達、と。
結局、問題なのは人間関係なのだよね。
その人が良い人なら、良い人が近寄ってくるし。ダメな人間なら、ダメな人間が近寄ってくるし。
『偽ブログと言われた』とブログに書いている人達は、良い人であるとは思えないし。友達にも知り合いにもなりたくないし。
人のブログの事を『偽ブログだ』と言っている人は、言っている事に間違っている部分もあるかも知れないが。日常生活的には、彼らの方が信用に値する人間であろう、と。そして、『偽ブログと言われている』ブログを書いている人達は、日常生活的に見て、間違った人間である、と。
インターネット大学みたいなものをやってみた事があるが、やる気に全然なれない。多分、何をしたとしても、誰も怒らないのが、分かっているからだと思う。
中学校3年生の冬休みに、塾の冬季講習に初めて行った事があるが(塾に行ったのはそれが初めて)親が、私の成績が上がったと喜んでいた。家で勉強するより、塾に行って勉強した方が成績は上がるのだと思った。結局、『怒られるから』授業を聞こうという事が成績の上がる理由になるのだと思う。
高校3年生の時、先生が、『家で勉強した方が良いからという理由で、学校に来ない人は、成績が上がらない』と言っていたが。それも、同じ理由だと思う。文章を、目で見るだけでは、あまり成績が上がらない。結局、『怒られるから』というのは、重要な動機だと思う。結局、『相手を傷つけたくないから』という理由は、自分の幸福を実現する事に関しての重要な動機、と。
人間関係は神聖だよ。それでないと、出来ない事、分からない事があるから。
世界に自分しかいなかったら、きっと何もしないと思う。
『こんなダメな人間いるはずがない』と、まじめに生きている人達は思ってしまうのでしょうね。
だって、『偽ブログ』扱いされているブログを書いている人達が、まともな人間には思えないもの。
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