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幸福の科学では、洗脳はできません! ばくちゃんの独り言から

2019-01-18 09:27:34 | 幸福の科学

幸福の科学では、洗脳はできません!

2019-01-16 23:52:51 | ばくちゃんの独り言

「僕の彼女は魔法使い」

「僕の彼女は魔法使い」2019年2月22日上映開始 https://happy-science.jp/info/2018/41633/ 

 

 

千眼美子(清水富美加)さん主演の映画、『僕の彼女は魔法使い』の全国封切りまで、あと1か月とちょっととなりました。

高知では、いつもお世話になっている老舗『あたご劇場』で上映されます。

千眼美子さんと言えば、かの幸福の科学への出家騒動以来、というか、この手の宗教が絡む話題では、度々話題となるのが、「洗脳」というワードですかね。

全く、「”宗教=洗脳”と言っとけば、仕事が終わるなんざぁ、コメンテーターという仕事は、ホント勉強しなくてよくて、とっても楽な仕事だなぁ。」と、幸福の科学信者の私は、もう常日頃、いっつも思うちょるがです。(爆笑)

って言うか、「宗教=洗脳」とレッテル貼る方であっても、何かしらの思想信条というものはあるはずなんですよね。

絶対にあるはずですよ。

人間は、”何かを信じている存在”だからです。

「私は何も信じていない」と仰る方は、「何も信じられるものなんかない」ということを信じていらっやるわけです。(笑)

そうでしょう?

そしてそれは、確固たる哲学や、科学的根拠に基づいたののではないはずです。

ということは、「何も信じていない」という方は、「”何も信じられるものなどないという信仰”をお持ちなのだ。」ということですよね。

そういうことなんですよ。要するに、「無信教」です。 

「僕の彼女は魔法使い」の画像検索結果

そして私は思うのですが、かつて、千眼美子さんに対して、「宗教=洗脳」で非難なさったコメンテーターであるとか、雑誌等の記者の方とかは、最低限、御自身の思想信条は、表明してから行うべきだと思いますよ。

でなければ、フェアではないです。

少なくとも千限さんは、「自分は、幸福の科学の信者だ」と表明しているわけで、現在の日本の宗教環境であるならば、それだけで色眼鏡をかけられてしまうわけですから、批評する方も、思想信条を表明しないとフェアではないし、ずるいと思うんですね。

たとえば、「私は無神論者だが」とか、「〇〇学会だが」と前置きするのが、正当な批評スタイルであって、海外では、「私はカトリックだが」とか「ユダヤ教徒だが」とか「無神論者の立場からすると」などと言って批評に入りますからね。

それが国際基準なんですよ。

海外のテレビとか映画とかで、思想信条を公式に批評するときには、この前置き、絶対にやってますから。

それを、自身の思想信条表明せずに、日本国民の良識の代表みたいな顔をして、ひょうひょうとコメントをする人たちは、はっきり申し上げて、卑怯だと思うし、私はそう言う方を尊敬することはできないし、正当な批評とは言えないから、絶対に鵜呑みにはしません。

「僕の彼女は魔法使い」の画像検索結果

さらにはっきり言いますと、幸福の科学で洗脳はできません。

不可能なのです。 なぜならば、 

まず第1に、幸福の科学では、幸福の科学関連以外の情報収集が自由です。たとえば、どんな本を読んでもいいし、他の宗教の教義を学んでもOKなんです。

それは、僭越ながら、当ブログ記事を読んでいただければわかると思います。

稚拙であるかも知れませんが、ここでは、「可能な限り、広い分野の記事を書こう。」としているということは理解していただけると自負しています。

しかしそのためには、布教の母体である幸福の科学という教団が、開かれた知形態で、オープンな情報収集可能でなければ絶対にできないことです。

「情報収集が自由」ならば、当然そこには、「選択の自由」があるわけですし、瞬間的に「選択の必要性」が生じるわけで、これでは”洗脳”は不可能です。

洗脳には、”情報統制”が必須だからです。

創始者大川隆法総裁は経典「智慧の法」で、「自分で考える信者をつくりたい。」と述べているわけですから、これは洗脳とは真逆の遺伝子を持つ宗教と言わざるをえません。

教義も経典も、秘儀であるはずの霊言だって公開し、講演会を中心とした布教は、正々堂々の布教の陣であるので、「洗脳呼ばわり」される所以はありません。

http://www.irhpress.co.jp/special/h640/

第2に、幸福の科学は入退会が自由です。

これは、幸福の科学発足以来、ずっと続けているものです。

入退会自由で、さあどうやって、洗脳できましょうや?(笑)

入退会自由ということは、退会しようが命に別状はないし、幸福の科学的に言えば、それが地獄行き決定論ではないということです。

「僕の彼女は魔法使い」

「僕の彼女は魔法使い」

そして第3に、教義です。

代表的なものでは、「人間の魂は、永遠の生命を持っている。」「死後は、生前の心に応じた霊界に赴く。」「死後地獄に行っても、反省すれば天国に還れる。」でしょうね。

「永遠に地獄の業火に焼かれる。」とか、「死んだら何もなくなる。」ですと、洗脳は容易です。

しかし幸福の科学の教義では、洗脳できないんです。たとえば、

「地獄に落ちるぞ!」と脅しても、「反省すれば、いいんでしょ?」と言えば良いわけですし、たとえ「天変地異が起こるぞ!」と言ったとしても、「生命は永遠ですよね。」と言えば、それで終わりだからです。

つまり幸福の科学では、学びが進めば進むほど、むしろ洗脳とは程遠くなるわけなんです。

こういう、幸福の科学の宗教としての大きな特徴を公表することなく、「宗教=洗脳」で語るのは、それこそむしろ、「洗脳」なのではないでしょうか?

なぜならば、そこに大きな、”情報統制”が入っているからです。

毛沢東の霊言 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=2132  

むしろ、無神論や唯物論的価値観の方が、死を恐れるので洗脳は容易です。

マルクス主義(社会主義・共産主義)は無神論ですが、共産主義国の中華人民共和国や北朝鮮において、国家による国民の、事実上監禁状態にあり、厳しい情報統制の中、厳重に自由の制限があるのはこのためです。

無神論の方が、洗脳は容易なのです。

宗教=洗脳というイメージは、無神論国家による、安い情報戦略に乗っているかもです。

むしろ、現代日本に必要なのは、無神論による洗脳を破邪できるほどの、実証性に富み、科学的思考や未来社会への示唆に富む思想を含んだ「宗教」なのです。

本日は、経典『新生日本の指針』(幸福の科学出版)より、宗教の正邪について語られている部分の抜粋をお届けいたします。

               (ばく)

 

破邪顕正

 

「さあ、乗って!」白魔女・千眼美子の杖が箒に早変わり!映画『僕の彼女は魔法使い』本編映像

  https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=167

宗教には正邪があります。(中略)

ただ、宗教の正邪を分けるということは、宗教の多様性を否定せよということではありません。私は、いろいろな個性を持った宗教が、日本にも世界にも数多くあることは、よいことだと思います。

宗教が、よいところをお互いに出し合って、人びとを導いているという姿は、実に頼もしいものだと思います。宗教の正邪を分けることは、その多様性を否定するということではないのです。

また、宗教の正邪を分けることは、宗教のいろいろな教えにおいて次元の高低を知ったり、高等宗教と初歩的な宗教とを分けたりすることを、否定するものでもありません。
このように、宗教の多様性や、程度の違ういろいろな宗教が現に存在しうるということについて、私は肯定的見解を持っています。

この地上を去った天上界においても、そのように、さまざまな人たちが、さまざまなグループをつくって、生活をしています。
しかし、天国と地獄だけは、はっきりと分かれています。これが、宗教として外してはならない一線なのです。正教と邪教は、ここに線を引くべきです。

邪教なるものは、悪魔や悪霊といわれるものに取り憑かれて、多くの人びとを狂わせている教えです。これを極力、小さなものとし、正しいものを推し進めることが、いまの日本の宗教界を浄化し、人びとを幸福にし、迷った人びとを救うために、ぜひとも必要なのです。

宗教の正邪を見分けることは、難しいかもしれません。しかし、一般の人にもわかるように、簡単にいうならば、「その宗教が社会に広がっていくと、犯罪が減っていくようであれば、それは正しい宗教である。逆に、その宗教が社会に広がっていくと、犯罪が増加するような宗教は、間違った宗教である」ということなのです。

その宗教が広がることによって、犯罪が増加するならば、その宗教団体のなかにも、犯罪を数多く重ねている人たちがいるはずであり、そのトップに立つリーダー自身の心のなかにも、犯罪を志向するものがあるはずです。それを見分けなくてはなりません。
『新生日本の指針』(幸福の科学出版)P24~29

 

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幸福実現党 釈量子(しゃく りょうこ)党首 https://hr-party.jp/    

 

 

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