その日、僕は胃が痛かった
今日は人に会わなければならない
決まった日の約束はしていないので、
今日でなくとも良いのだが、
今日、なのだ。
人は、会える時に会わなければ、
次に機会がいつ来るかは分からない。
例え、
息がドブの匂いがしている日でも、だ。
僕はそう思っている。
歯と舌を念入りに洗い、
支度をして家を出た。
味気ない、地下鉄の風景
僕の目には、
無彩色に映る風景
自分の意識が、
他人事みたいに思える
東京のメトロは、
何処か冷たく、
規則的で連続性を持った重い空気を感じてしまう。
「それがメトロと言うものだよ」と言われればそれまでだが、
ロンドンやニューヨークで、車内に音楽家が乗り込むみたいな事や、
パリのメトロ駅の通路に美しく響く生演奏、
または
イスタンブールみたいに、
猫とか犬とかが自由に乗れるくらいの柔らかさが、
東京のメトロにも欲しい、
といつも思う。
でも、
良くも
悪くも
日本人の気質的、社会性的に無理かな
浅草に着く
最近、浅草近辺に来る用事が多い
道中、雷門周辺の道路には、
白のアルファードとかの、
大人数乗り大型車が列をなして路上駐車している
車からは、何人かの中国人がゾロゾロと降りてくる
観光客だろう
運転席に残るのは、
車内でタバコを吸うヤカラみたいな中国人
今は、そーなっちゃってるんだね
と思いながら、
僕は浅草の奥へと足を進める
浅草は古い日本の風景が残る
東南アジア系の親子連れの観光客が、
スマホをいじりながら店から出てきていた
みぞれ肉そば、大人のオモチャ
エロい言葉だ。
官能的である。
ドロンしたい(昭和)
浅草は面白い店名の店が多い
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知人に会い、
建設的でポジティブな話ができた事に、嬉しさを感じる。
彼は、美しい感性と深い心を持ち、
柔らかな空気感をまとわせ、
相変わらず、穏やかだった
美しい、古き良い日本文化
お寺は落ち着く
蔵前らへんにて
少し散歩をして、
浅草を後にする。
渋谷
駅前の喫煙所には、
入りきらないほどの若者で溢れていた
イギリスでは2009年以降生まれの人は、
タバコの購入は生涯禁止されるらしい
少し前にオーストラリアのニュースでも
似たような事を耳にした気がする
今や多くの世界で、
タバコの喫煙は悪として認定されているだろう
まぁ、間違ってはいないだろうが、
個人的には、
昔、若い頃のケイト・モスが喫煙する姿は、クールに見えたもんだ。
今でもクールな女性だと思えるが、
ザ・リバティーンズのピート・ドハーティと付き合っていた頃は、
退廃的でかっこよく見えた。
世間的には大不評だったようだが。
ドハーティも若くして亡くなれば、
伝説になったかもしれないが、
今や、太ってしまって、
病気はあるが健康的な生活をしているらしい。
突出した才能と共に、
破滅的な生き方をしていた、
エイミー・ワインハウスや
カート・コバーンもそうだが、
若くして、この世を去ると、
「若い姿のまま、人々の記憶に残る」
リンキン・パークのチェスター・ベニントンが
自ら命を絶った時はショックだったが、
彼の魅力的な歌声と、
何処か、悲しみを纏った容姿は、
人々の記憶に残るだろうと思う
才能があるかどうか、
いつ、あの世へ旅立つか、は置いておいて、
僕は「死ぬ時は美しい姿でいたい」と思う
帰路、
平日の帰宅時間帯に重なってしまった
ホームに溢れかえる人、人、人
そう言えば、
午前中に人身事故で大幅に遅れていたっけな
何年も前、
やたらと、人身事故が起きる瞬間に出くわす事が多かった時期がある
先頭車両に乗っていて、
ドンッと言う軽い衝撃
そのすぐ後、
ゴリゴリッと何かに乗り上げる感覚
それらの感触は今も忘れない
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山手線の駅のホームに立っていて、
すぐ隣、
1メートルも離れていない人が電車に飛び込む姿
ホームと電車の隙間に吸い込まれる影
急停車した車内の人々と、
ホームに居た僕の目が合った日
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他の日には、
飛び込みがあった直後に、
僕はホームに居た
救急隊員もまだ到着していない
飛び込んだ人がホーム脇に置いていたであろう、傘
数分前には、生きていた誰かの持ち物だった、その傘
寂しそうに見えた
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様々な人生
交差する生と死
その僅かな間を僕らは生きる
その繰り返しが、
人生って呼ばれるのかもしれない
多くの人にとって、
人生ってのは、
良い事と
悪い事は
均等ではない
本人の捉え方次第だが、
辛い事や大変な事の方が多いかもしれない
日常ってのは、
人を幸せにする一方、
不幸せや、
退屈にもさせる
旅っていう非日常が、
もし幻想ならば、
僕はいつまでも夢を見ていたい
覚めない夢を。
さて
そろそろ
また、旅をする時かな