カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

あなたは何を信じているのか ー キリスト論の展開(1)

2019-04-22 22:54:43 | 神学


 今月の学びあいの会はカテキスタのS氏によるご自身のキリスト論の紹介であった。神学に造詣の深いS氏がご自分の信仰をどのように語るのかと興味を持って会に出た。実際には氏の報告は、氏が神学に関して強く影響を受けているイエズス会の岩島忠彦師のキリスト論を自分なりに整理したもののようであった。とはいっても、S氏の個人的信仰論も垣間見られ、興味深いものであった。

 長い四旬節、聖週間、過越の三日間、と、みなさん疲れた(体重も減ったか)。だけど昨日の復活祭でお祝いしてみなさん晴れやかであった。出席者も多かった。

岩島師は組織神学がご専門のようで、キリスト論と教会論が中心のようである(1)。岩島師は、現在の日本のカトリック者が自分の信仰を見直すためには以下の三点が必要だという。

①正確な知識―私たちが何を信仰しているのかを反省し、人にも語れるようになる、
②私との関係―信仰が自分自身にとって何を意味しているかを考える、
③現代との関係―伝統的宗教の踏襲ではなく、今の教会・日本社会・世界との関係で信仰をつかみ直す

 もっともなご指摘である。私みたいに、ただぼーっと日曜日ごとにミサに出ていればよいというわけではないですよ、と言われているようだ。

 さて、S氏による今日のキリスト論は、古代キリスト教会におけるキリスト教の教義の形成過程をフォローする形でおこなわれた。
 キリスト教の教義は、使徒教父たちによる伝承、新約聖書の形成、初期教会のおける公会議での教義の確定、ラテン教父たちによる教義の発展、という過程を経て固まってきた。キリスト論と三位一体論の確定、これが古代公会議で発展・展開されたものであり、この意味ではキリスト教の教義はすでの古代において完成・完結していたとも言えそうだ。 第一回公会議はニケア(ニカイア)公会議(325)でニケア信条が定まり、キリストの「神性」が教義として確定する(2)。今日の話はそれ以前の話だ。それでは本論に入ろう。

Ⅰ 原始教会のキリスト信仰(3)

1 最初のケリグマ(信仰告白)

 これは新約聖書成立以前のキリスト論、キリスト信仰のことだ。それは「主の復活」だ。それは、十字架でも、昇天でも、再臨でもない。イエスの復活。これこそキリスト教信仰の中核である。使徒たちは、イエスの復活によって、はじめてキリストの十字架が人類救済のための贖罪行為だと理解する。復活という出来事こそキリスト教信仰の原点である。

第1コリント15:3 「最も大切なこととして私があなた方に伝えたのは、私も受けたものです」(協会共同訳)

 このパウロが述べるケリグマは、パウロ自身のものではなく、パウロが原始教会から「受けたもの」だという。パウロはイエスに会っていない。イエスを直接には知らない。だから、これは原始教会に、エルサレムに、すでに定着していたケリグマだと考えれている(4)。

 ではそのパウロが述べるケリグマとはなにか。それは、

①イエスが人類の罪の贖いのために十字架で死んだ
②神がイエスを復活させた
③このイエスこそ主(キュリオス)キリストである

つまり、キリストの贖罪の死・復活・出現、がキリスト信仰の中核になる。

2 最古のキリスト論の形式

 最古とはパウロ以前という意味だ。それには二つあるという。一つは、「霊肉キリスト論」、つまり、霊肉二元論、二段階キリスト論などと呼ばれているものだ。ロマ書1:3-4,ペトロ3:18にみられる。「肉によればダヴィデの子孫、聖なる霊によれば復活信仰」。イエスを、人間を、霊と肉にに分類して議論する思考は現在でも見られる。

 第二の形式は、「三段階キリスト論」と呼ばれる。フィリピ2:6-11のようなパウロ以前の「賛歌」にみられるという。つまり、

①キリストは神の領域に神ととも在る
②ヶノーシス(無にする)→下降→自発的従順
③高挙 (主という名が与えられ、礼拝される)

 パウロ以前にはこういう二つのキリスト論が併存していたのであろう。

3 パウロとエルサレム原始教会

 パウロのキリスト論、キリスト信仰の理解の仕方は、エルサレムの教会とは異なっており、ヘレニズム化されている、という説がある。ヘブライオイとヘレニスタイの信仰上の差異を強調し、各地の地方教会は異なる信仰を持っていたとする説だ(5)。
 ここでS氏は興味深い断定をおこなう。「これは誤り。パウロの信仰理解は、エルサレムの母教会のそれと完全に一致している。ヘレニズム化ではない」(6)。

4 Q教団の問題

 共観福音書におけるQ資料(Q文書、語録資料)がなにかについては説明するまでもないだろうが、このQ資料を重視する学者のなかには、Q資料には復活の話が多いので、別の信仰を持つ「Q教団」とも呼べる集団が存在したと主張する者がいるという。S氏はこれは謬説だという。Q資料はイエスの語録資料であって、つまりイエスが生きていた時の話であって、復活の記述はあり得ないという。

 少し長くなったので、新約聖書のキリスト論は次稿にまわしたい。

1 岩島師は上智大学神学部の学部長をつとめられ、現在はカトリック神学院でも教えておられるようである。現在のカトリック神学(教育)を支えている神学者のお一人と言ってよいであろう。ご自分でもホームページを開設しておられ、今も元気に活発に活動しておられるようである。
http://t-iwasi.my.coocan.jp/profile.html
2 公会議は異端との対決のために開かれてきた。キリスト教は異端説と対決しながら自らの教義をまとめ上げてきたとも言えるかもしれない。異端がなければ、あらたな教義を確定する公会議を開く必要はない。トリエント公会議(1545-63)は宗教改革への対応で、義化・義認論が教義として確定する。第一ヴァチカン公会議(1869-70)では教皇不可謬説が教義として確定する。その意味では、第二ヴァチカン公会議(1962-65)は、異端に対応するために開かれたのではない唯一の公会議という性格を持つ。それは現代世界に対応するための教会刷新のための公会議であった。われわれは今この第二ヴァチカン公会議後の時代に生きている。第二ヴァチカン公会議ではいくつかの教令などはだされたが、あらたな教義は打ち出されてはいない。
 第一コンスタンチノポリス公会議(381)では聖霊の神性が確定し、カルケドン公会議(451)ではキリストの人性と神性の位格的一致が確定され、三位一体論が確立する。なお、どの使徒会議、地方(部分)会議、公会議を公会議として認めるかはカトリックとプロテスタントでは異なるようだが、第5回公会議までの会議の重要性については、西方教会、東方教会、プロテスタントのあいだで意見が一致しているようだ。
3 原始教会とは初期教会のこと。イエスの死は一応「30年4月7日」ということになっているが、使徒を中心としたいわゆる「教会」の成立はイエスの死後30年くらい経ってから、つまり60年代だろう。「使徒行伝」によれば、聖霊降臨の後12使徒を中心に、特にペテロを中心にエルサレムに成立したされる(聖霊降臨は教会の誕生日とされている)。
4 にもかかわらず、キリスト教信仰にしめるパウロの位置は絶大だ。キリスト教は「イエス教」ではなく「パウロ教」だと揶揄する神学者もいるくらいだ。
5 ヘレニズムとは議論しだしたらキリがないだろうが、要はギリシャ風ということだ。ギリシャ語を話す人々とヘブライ語を話す人々は同じキリスト信仰を持っていたのかという問題だ。
6 これは興味深い断定だ。これがS 氏個人のものか、岩島師のものかはわからない。私には判断する力はないが、なぜここまで断定するのか、ということの方に興味がそそられる。

 

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