古代日本の歴史を謎解き

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古代の漢字の使い方(人名)

2020-06-20 17:23:09 | 歴史
前の投稿で、地名に使われた漢字の使い方を紹介しましたが
続いて、人名について考えてみます。
魏志倭人伝に登場する
邪馬台国の女王  卑弥呼 <= ヒミコ
敵国狗奴国の男王 卑弥弓呼<= ヒミヒコ
ヒミコ、ヒミヒコと云う呼び名があって大陸人が勝手に当て字にしたものです。
ヒミ が王(?)或いは祈祷師(?)
コ  が女性、ヒコが男性(?)
現在でも 〇〇子 女性 〇〇彦 男性の名前はありますが
明治になって、天皇中心の時代に古代の印象から始まった物でしょう。

鉄剣・鉄刀に刻まれた名前(銘文)は5世紀後半

それでも
ヲワケの臣。上祖、名はオホヒコ・・・
乎獲居臣。 上祖名  意富比垝・・・
ワカタケル(クヮクカタキル)の大王の寺
獲加多支鹵大王
かなり難しい漢字を 読み一期に対して漢字一つです。
鉄製の刀に刻まれた文字ですので
大陸から呼び寄せた刀鍛冶や彫金を行う技術者に漢字を充ててもらったのでしょう。
527年に起きた 筑紫磐井の乱 ですが
筑紫と云う一族の氏(現在の苗字) と 磐(或いは 磐井)と云う名前が使われてます。
この数十年の間に、自ら(親)が漢字で名前も決める習慣が出来ています。

「古事記」「日本書紀」に登場する初代天皇 神武天皇も
神日本磐余彦天皇(かむやまといわれびこのすめらみこと)
彦火火出見(ひこほほでみ) など多数の呼び名漢字にしています。
かむやまといわれびこのすめらみこと の いわれびこ(磐余彦)以外は後に加えられた文字でしょう。
現在に、この様な難しい名前を持つ人はいません。
地名は一度決めたら代々続きますが
名前は時と共に変わりますので、古代の風習を残した人名はないのでしょう。

生まれた子供に漢字で意味ある名前をつけるは、地名より後の様です。
大和朝廷が始めたとされる氏姓制度(古墳時代?)
朝廷に使える一族に氏名が与えられます。
大伴氏、物部氏、海部氏など朝廷に対する役職などに応じて氏(ウジ)が与えられたようです。
一方、筑紫などは既に地名に漢字を使っていて、朝廷はそのまま、筑紫氏と云う氏名で呼んでいます。

平安時代には、源頼朝、平清盛など苗字と名前を意味狩る感じで名乗っています。
自ら親が子供の名前を漢字で決める時代になっています。
それでも、かなり力があり歴史のある一族か、その分家に当る人のみです。
一般の人が感じで名前を持つのは歴史的にはかなり後の事です。

古代の漢字の普及は
・古墳時代(多分、古墳初期) 筑紫など国名に漢字を使い始めた。
・古墳時代(多分、中期、後期)に、氏の名前に 漢字を使い始めた。
     これが氏姓制度の始まり。大和朝廷は天皇に仕える一族に一族に氏名を与えた。
     これが始まりで、有力な一族が氏名(苗字)を名乗るようになった。
・飛鳥時代 大陸から仏教が伝わり漢字も普及した。
・平安時代 漢字の他に ひらがな が出来て、清張納言など作家も活躍する。
漢字の普及は 地名 =>氏名(一族の名前:苗字) =>書物 までは
数百年の歴史を過ごしています。

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