古代日本の歴史を謎解き

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最後に 卑弥呼の敵 狗奴国(くなこく)の卑弥弓呼、狗古智卑狗は

2018-11-24 15:52:11 | 歴史
邪馬台国の南に位置する狗奴国(くなこく)
唯一、卑弥呼の倭国連合に加わらず、邪馬台国を攻めていたようです。
狗奴国男王の卑弥弓呼(ひみひこ)
その国の官 狗古智卑狗(こくちひこ)
熊本の菊池彦の説が有望です。
卑弥呼が大陸 魏 に応援を依頼しなければならないほどの強敵です。
その卑弥呼も応援に駆け付ける張政らが到着する前に亡くなります。

さて、魏志倭人伝に戻って、対馬国、一支国の官が卑狗(ひこ)と紹介されています。
後に男子の名前に使われる 彦(ひこ)で間違いないでしょう。
狗古智卑狗(こくちひこ)も官です。
王ではありません。卑弥呼も同様で祈祷師であり王ではありません。
王家より官の方が権限を有していたのでしょう。
大陸の国 魏 が交渉したのは、王ではなく官です。
狗奴国は、狗古智卑狗(こくち彦)と彦の前に名前が付きます。
複数の官(彦)がいて、その頂点にいたのが菊池(こくち)の名を持つ官(彦)だったのです。
しかし、男王 卑弥弓呼 も 卑弥彦 です。
卑弥弓呼 と 狗古智卑狗 は同じ一族の家系でしょう。

さて、邪馬台国(やまと国)の卑弥呼 (ひみこ)
と  狗奴国 (くな 国)の卑弥弓呼(ひみ彦)
ひみこの 子 は女性
ひみひこの彦 は男性 が使う呼び名だとすれば
ひみが共通で何かの意味がありそうです。

仮説
卑弥呼は、狗奴(或いは邪馬台)国生まれで 国王 卑弥弓呼 の一族だった。
そのため、ひみ と云う同じ呼び名を持つ。
・倭国動乱は、玄界灘側の奴国、伊都国連合と有明海側の邪馬台国連合の争いだった。
・邪馬台国出身の卑弥呼を倭国の代表とすることで国がまとまった。
・しかし、卑弥呼は魏に貢物を贈るなど旧奴国、伊都国連合と同じ政治を行った。
・卑弥弓呼らが連合から離れて狗奴国を作り独立、卑弥呼と争った。
・卑弥呼は狗奴国との争いを拒み、平和的な解決を図るも亡くなる。

つまり、邪馬台国 VS 狗奴国 の争いは一族の権力争いであった。
狗奴国が敵国であれば、卑弥呼の宮殿が狗奴国と近い地域になる事をさけるでしょう。
元々は同じ一族であった卑弥呼と卑弥弓呼の分裂が原因であった。
隣り合う国どうして争く事になりました。
「古事記」「日本書紀」でも皇族一族で権力争いの説話が多数登場します。
狭い有明海側の南北戦争だったのではないでしょうか。
しかし、「卑弥」ひみ と呼ばれる一族の名前は登場しなくなります。
後に、苗字を持たない一族が天皇です。
数の数え方にも、1,2,3・・・が ひい、ふう、みい・・・
日、ひ は、何事にも一番だった文字ではないでしょうか。
ひみこは、ひいこ
ひみひこは、ひい彦??

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