テーマ:九州発見♪(524)
カテゴリ:九州ぐらし
続いて、やって来たのは、この坂道。
名島城址公園だそうです。 坂道を登ってやってきたのは、 こんな広場が整備されていました。 名島城、ちょっと小高い丘の上にあって、向こうに大友氏の重臣・戸次鑑連(立花道雪)の居城だった立花山城のある立花山も見えます。 そして、名島城址と刻まれた立派な石碑も建立されていました。 この名島城は、立花山城の出城として築かれたのですが、九州平定を果たした豊臣秀吉が、毛利氏の重臣であった小早川隆景に筑前国や近隣諸国を与えたところ、 三方を海に囲まれたこの名島城を水軍の本拠としても利用できることから、名島城を大改修して居城としたそうです。 この大木は、 「不断梅」と呼ばれる梅の木で、栃木県足利市にある足利学校から持ってきた梅の木で、誓願成就、学問探求の古木だそうです。 長い戦乱による人々の学問不足を嘆いた小早川隆景は、慶長元年(1596年)、足利学校にならって学舎、名島学校を設置し、聖廟を建て武士や庶民を問わず学問を奨励した。このとき隆景は、足利学校から僧侶を招き足利学校同様の教育を施すよう求めたそうです。 名島城址のとなりある名島神社です。 ここからは博多湾が見下ろせました。 名島神社への石段です。 この下は海になっています。 結構、長い石段でした。 海辺から見たところです。 名島神社の下に広がる博多湾です。 そしてこの近くにあるのが、「名島帆柱石」です。 よほどの名所なのか、石碑が2柱、そして説明板も設置されていました。 名島の帆柱石はこの石碑の後ろの海岸べりにあります。 この石の柱に囲まれて、ゴロンと横たわった円柱形の石が帆柱石です。 直径は約60cm、分断されたものを合わせた長さが10mほどで、約3,500万年前のカシの樹木の化石、つまり珪化木が帆柱石です。なぜ帆柱石と呼ばれているかというと、神功皇后が新羅・高句麗・百済へ三韓征伐の出兵を行って凱旋した後に、この地に置かれたという軍船の帆柱が、化石となって残っているのだと伝えられいるからだそうです。 そして、西鉄貝塚線名島駅に戻ってきました。名島城に因んでいるのか、駅舎が和風の造りになっていますね。 【了】 人気ブログランキング 名島さるき(その2) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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