国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

山陰本線、京都夜行「山陰」物語 第2話【戦後・混乱期編】

2020-05-09 00:00:13 | 国鉄思いで夜話

本日も、山陰本線、京都夜行「山陰」物語を始めさせていただこうと思います。

今回は、昭和21年から昭和28年までの、戦後の混乱期と言われた時代を中心にお話を勧めさせていただければと思っております。

太平洋戦争【大東亜戦争】が1945(昭和20)年8月15日に終結し、国有鉄道【当時は運輸省】の鉄道はGHQの管理下に置かれることとなったのは、すでに皆様もよくご存じのとおりです。

GHQ/SCAPは第8軍が東日本、第6軍が西日本を占領すると言うことで、京都烏丸四条の京都丸紅本社屋(現在のCOCON KARASUMA)に司令部が置かれることとなりました。

当初は、中国軍が来るという話もあったそうですが、結局アメリカの第6軍が和歌山から進駐することになり、和歌山線を使って京都まで入ったそうですが、直接「山陰」の話とは関係がないので、機会があればその辺のお話をさせていただこうと思います。

さて、早速昭和21年の時刻表を参照してみましょう

戦後すぐにも残っていた。大社行き列車

戦前同様に、夜行列車としての大社行きの列車が139列車として運転されています。

京都発22:05発で、大社には翌朝の9:44に到着するダイヤとなっています。(ただし、昭和21年8月の時刻表では、大社までは運転休止となっています)

ちなみに、この列車は東京発7:23、京都21:10着の139列車を受けて出発することとなっています。

139列車は、大阪行き普通列車で、大阪着は21:10ですので、14時間近くかかっていたことになります。

ちなみに、現在であれば、東京を7:28に出発して、細切れに乗り換えを繰り返しても、16:42には大阪まで到達できるようです。

京都発の809列車は、亀岡以遠は快速運転で福知山には0:43、鳥取4:40、松江8:25、出雲今市9:20のダイヤとなっています。

以下、詳細は下記時刻表参照してください。

石炭不足の列車削減で、消滅

昭和22年の改正では、石炭不足から京都発大社行き夜行列車は消滅してしまいます。

その代わりと言っては何ですが、大阪発大社行きだけが残ることになります。

 

当時の事情を、弊サイトから引用させていただきます

国鉄、石炭不足で急行を全廃(~4月22日) 1/4

旅客列車を大巾削減し1日の運転粁を15万kmとする。急行列車全廃、2等車の連結停止
主な長距離普通列車 東京~博多間1往復(所要32時間27分),東京~門司間1往復(所要31時間40分)等運転

国鉄があった時代 昭和22年前半

当時の時刻表は、下記を参照してください。

昭和22年2月時刻

京都発の列車が消えて、大阪発の夜行列車のみが残ることになりました

昭和25年には再び復活

昭和25年の時刻表を参照しますと、京都発22:00発 下関行きとして復活しています。

時刻的にも、昭和21年のダイヤとほぼ同じ時間帯ですので、復活とみて良いかと思われます。
また、詮議の混乱期でもあり、出雲大社への参詣よりも下関まで延長運転する方が良かろうという判断かと思われますが、長距離鈍行として下関には翌日の19:05に到着する設定となっていました。

こちらも、下記に時刻表を載せておきますので参照願います。

下関行きとして復活しています。時刻はほぼ同じですが。

左 福知山→出雲今市【出雲市】まで、右 出雲今市→下関までの時刻を掲載 

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