陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

愛は地球を救うが、二次創作者の偏愛は書いた本人しか救わない

2018-08-20 | 二次創作論・オタクの位相

もうすぐ夏恒例の24時間テレビの季節です。
以前、仕事の紹介でお世話になった某社の社員さんいわく、毎年、この日に社命でボランティアに駆り出されるそうで。お疲れ様です。「俺にできることはせいぜい地球を救うことぐらいだけど」とか、神無月の巫女の大神少年ばりに心の中でつぶやきながら(笑)、募金箱の底をチャリンと鳴らしてみましょうかね。

さて。
二次創作を手掛けているファンは大きく、以下の二つに二分されるのではないでしょうか。
ひとつは、創作意欲があるが、そのアバターというか素材として他から借りたい派。
もうひとつは、純粋にその原作物が好きで、その布教をしたい派。

前者の場合も、その行動形式が細かく分かれます。
小説をつくりたい、絵を描きたいのだけど、そのエスキース(習作)としての二次創作。その昔、狩野派の絵師たちが粉本というお手本をなぞって、技量を磨いたというのと似ていますね。作家肌であるので、制作態度に一家言あります。しかし、二次創作者はあくまでアマチュアでしかありません。他人のアイデアにちょっとばかし色をつけて、転売しているのと同じと見なされても仕方ない面もあります。同人誌発行してファンを獲得し、中には商業誌のアンソロジーで活躍したあとに、オリジナルの職業作家としてデビューする人もいます。

コミケで同人誌を売るサークルの中には、作家になりたいというよりも、ただ好きなことをして利益が欲しいという動機の方もいます。
この場合、流行りのメジャータイトルに乗り換えて、続に言う「薄い本」(キャラクターの性的描写を主目的とするお話)の製造者ですね。どっちかというと、文章書きよりも、絵師のほうが多いでしょう。青少年保護条例の問題からこのかた、この図画のエロ表現が規制対象になったりしますが、まあ色欲というのは人間の根源欲求ですから(笑)。江戸期の春画になぞらえて、それを芸術だと呼称する方もいますけど。人気のキャラクターだけ取り揃えて、人形の首だけ挿げ替えたみたいに、いつもおなじみのベッドインという、節操なしというか、ストーリー構築のかけらもない、というものもあるでしょう。

しかし、特筆しておきたいのは、このエロ表現に長けた猛者というのは、あんがい、すぐれた創造性を持っているのです。だいたい、惹かれる絵というのは、なんとなく艶っぽさがありますよね? 肉体美への追求度が半端ないので、デッサン力にすぐれている描き手もいます。あくまでも個人的な趣味ですが、絵や文体に色気がないものはこころを掴みません。色気がなければ、元気か陽気かで売るしかないのですが。

しかし、最近はですね、この性的表現の受容度が認知され過ぎたせいなのか、一般商業誌のコミックスの表紙とかでも過激なのを見かけるようになりまして。目のやり場に困るものです。また二次元への色情が勝れば、現実の恋愛がめんどうくさい、という人類の生存戦略上ゆかしき問題も含んでいます。一種のピグマリオン効果ですよね。

愛玩の対象に向かう飽くなきフェティシズムは、極まればすぐれた表現を生み出すこともある。ただし程々にしましょう。一般社会に戻れなくなります。世の中に背中を向けて創作をしてはいけません。あなたの性癖を誰かに押し付け、他人をひきずりこんではいけませんて。


【二次創作者、この厄介なディレッタント(まとめ)】
趣味で二次創作をしている人間が書いた、よしなしごとの目次頁です。
二次創作には旨みもあれば、毒もあるのですね…。




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