みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

[翁長雄志知事急逝]命を削り公約守り抜く/翁長知事が死去 命懸けで職務を全うした/翁長氏死去悼む声

2018-08-09 21:38:36 | 花/美しいもの
昨夜、沖縄県知事の翁長雄志知事が急逝され、
一夜明けて、ワイドショーの話題はボクシング協会の不祥事、
ニュースは台風13号のことばかり。

沖縄を差別し軽視する姿勢は翁長さんが亡くなっても変わらない。

名護市辺野古沿岸の新基地建設阻止のために
文字どおり命をかけて国とたたかった翁長さんの矜恃と遺志を、
わたしたち一人ひとりが継いでいくしかない。

翁長雄志さんのご冥福をお祈りいたします。

11輪開花した胡蝶蘭も、きょうはひときわうつくしい。。



夜になってから玄関のチャイムが鳴って、
こんな時間に誰だろうと思ったら、ヤマトの宅急便だった。
エアコンが故障中なので、急場しのぎにネットで探して注文した
窓用エアコンと冷風扇を今日のうちにと届けてくれたらしい(感謝)。

エアコン修理は、明日メーカーのパナソニックが修理に来てくれるとのこと。

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  社説[翁長雄志知事急逝]命を削り公約守り抜く  
2018年8月9日 沖縄タイムス

 翁長雄志知事が8日夕、膵臓(すいぞう)がんのため、入院中の浦添市内の病院で急逝した。67歳だった。
 そのわずか1時間半ほど前、謝花喜一郎副知事が県庁で記者会見し、知事の職務代理を置くことを発表したばかりだった。
 あまりにも突然の訃報というしかない。
 翁長知事は4月に膵臓の腫瘍の摘出手術を受け、ステージ2の膵臓がんだったことを公表していた。5月に退院した後は、抗がん剤治療を受けながら県議会や慰霊の日の式典など公務をこなしてきた。
 しかし新基地建設を巡り埋め立て承認撤回を表明した7月27日の会見以降、公の場には姿を見せていなかった。がんは肝臓にも転移し、7月30日に再入院していたという。
 糸満市摩文仁で開かれた慰霊の日の沖縄全戦没者追悼式で、知事は直前までかぶっていた帽子を脱ぎ、安倍晋三首相を前にして、声を振り絞って平和宣言を読み上げた。
 「新基地を造らせないという私の決意は県民とともにあり、これからもみじんも揺らぐことはありません」
 翁長知事は在任中の4年間、安倍政権にいじめ抜かれたが、この姿勢が揺らぐことはなかった。安易な妥協を拒否し、理不尽な基地政策にあらがい続ける姿勢は、国際的にも大きな反響をよんだ。
 知事は文字通り命を削るように、辺野古反対を貫き、沖縄の自治と民主主義を守るために政府と対峙(たいじ)し続けたのである。
 その功績は末永く後世まで語り継がれるに違いない。心から哀悼の意を表したい。
■    ■
 翁長知事は政治家一家で育った。
 旧真和志村長だった父助静さんは、軍用地の一括払いなどを巡る「島ぐるみ闘争」の超党派代表団に選ばれ、沖縄の声を全国に伝えた。
 元副知事の兄助裕さんは、1994年の知事選に立候補し「保革を超え、県民の心を一つにした県政を」と訴えた。
 翁長知事は父親や兄から保守中道の姿勢を受け継ぎ、県民が心を一つにして基地問題に取り組むことが必要だと説き続けた。
 仲井真弘多前知事が2010年11月、再選を期して立候補した時、辺野古反対を公約に掲げるよう仲井真氏に直談判したのは翁長知事である。
 4年前の知事選では翁長氏が仲井真氏に10万票近い大差をつけて当選、保革を超えた新しい政治潮流の台頭に全国から多くの期待が寄せられた。
■    ■
 公選法により後継を選ぶ知事選は、県選挙管理委員会に死亡を通知後、50日以内に実施される。9月中となる見込みだ。
 県政奪還を狙う自民党県連などでつくる候補者選考委員会は既に宜野湾市の佐喜真淳市長の擁立を決めている。
 県政与党や知事を支える県選出国会議員、オール沖縄の代表は、一日も早く今後の対応を協議し、志半ばに倒れた翁長知事の遺志を受け継ぐ後継候補を決めなければならない。
 県内政治の流動化が一気に加速しそうだ。


  [大弦小弦]生粋の保守政治家だった翁長雄志知事の転機は…
2018年8月9日 沖縄タイムス

 生粋の保守政治家だった翁長雄志知事の転機は2013年1月、那覇市長として参加したオスプレイ配備撤回を求める東京行動だったのではないか。「沖縄の総意」を示そうと銀座をパレードした県内全市町村長らが、沿道から「売国奴」「琉球人は日本から出て行け」などの罵声を浴びた
▼東京のど真ん中で体感したむき出しの沖縄差別に「衝撃を受けた」という。翌年の知事選に「イデオロギーよりアイデンティティー」を掲げて出馬した際、動機の一つとして繰り返し語っていた
▼政府と鋭く対立して一歩も引かなかった背景にはあの日の屈辱があったはずだ。15年、辺野古新基地建設反対の県民大会での「ウチナーンチュ、ウシェーティナイビランドー」の言葉は多くの県民の心に響いた
▼6月の県議会でやせ細った姿で懸命に机の縁につかまって歩いていた。本来は治療に専念すべき病状だったのだろう
▼7月27日の埋め立て承認撤回を表明した会見。基地建設阻止の公約の実現性を疑問視する質問に一瞬笑みを浮かべ、気色ばんで反論した。「何十年先も沖縄は振興策をもらって基地を預かったらいいですよ、などというのはとても容認できない」。最後の公の場となった
▼沖縄の知事が在任中に亡くなったのは初めて。志半ばでこの世を去った無念さは想像に余りある。ご冥福を祈りたい。(田嶋正雄) 


 <社説>翁長知事が死去 命懸けで職務を全うした
2018年8月9日 琉球新報
 
 膵臓(すいぞう)がんの治療を続けていた翁長雄志知事が8日、死去した。67歳だった。4月に手術を受けたが、がん細胞が肝臓に転移していたという。心から冥福をお祈りしたい。
 翁長氏は、名護市辺野古沿岸の新基地建設阻止を公約に掲げ、2014年の知事選で36万票余りを獲得し初当選した。復帰後7代目の知事だ。
 就任直後から基地建設を強行する政府と全面的に対立してきた。さまざまな心労、疲労が積み重なったのだろう。
 前知事による辺野古埋め立て承認の撤回を、7月27日に表明したばかりだった。がんの苦痛を押して記者会見に臨んだと思われる。文字通り、命懸けで政治家の職務を全うした。
 もとより、沖縄県の知事は他県とは比較にならないほど厳しい重圧にさらされる。国土の0・6%にすぎない県土に全国の米軍専用施設面積の70%が集中し、凶悪事件や米軍機の墜落といった重大事故が繰り返されてきたからだ。
 歴代の沖縄県知事はことごとく、過重な基地負担という深刻な課題に向き合い、苦悩してきた。その重みは健康をむしばむほど過酷だ。
 屋良朝苗氏から革新県政を引き継いだ第2代知事の平良幸市氏は山積する政治課題の処理に追われる中、1978年7月、東京に公務出張中、脳血栓で倒れた。入院を経て同年10月に辞任している。
 第3代の西銘順治氏も84年に都内の病院で胃がんの手術を受けた。当時は胃潰瘍と胆のう炎と発表され、本人にもがんであることは知らされていなかったという。
 第4代の大田昌秀氏は92年の2月定例県議会開会中に風邪やめまいの症状が出るなど体調を崩して入院した。51日後に公務復帰している。
 第5代の稲嶺恵一氏は入院こそしなかったが、基地問題のことが常に頭を離れず、日々大きな精神的重圧にさらされていたと語っている。
 第6代の仲井真弘多氏も、07年6月23日の沖縄全戦没者追悼式に出席した直後に、軽い脳梗塞のため緊急入院している。
 翁長氏は機会あるごとに「辺野古に新基地は造らせない」と言い続けた。志半ばで病に倒れ、さぞかし無念だったことだろう。
 知事職務代理者は、謝花喜一郎副知事に続いて、富川盛武副知事が務める。9日には辺野古沿岸部の埋め立て承認の撤回に関し、沖縄防衛局側の言い分を聞く「聴聞」が控えている。まずは、基地問題への対応を含め、県政運営に混乱を来さないよう万全の態勢を取ってほしい。
 現職知事の死去に伴う知事選挙は50日以内に行われる。既に自民党など野党が推す宜野湾市長・佐喜真淳氏らが出馬を表明している。今後、与党側の後継候補人選が本格化する。どのような対決構図になるにせよ、基地問題に真正面から向き合い選挙戦を展開してもらいたい。


 「執念に身震い」「羅針盤なくした」翁長氏死去悼む声
2018年8月9日 朝日新聞

 沖縄県の翁長(おなが)雄志(たけし)知事の急逝から一夜明けた9日、県内各地で悼む声が相次いだ。
翁長・沖縄県知事死去
 米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設工事が進む名護市辺野古。米軍キャンプ・シュワブの工事用ゲート前には、正午ごろまでに300人ほどが集まった。
 名護市の松田藤子さん(78)は、キャンプ・シュワブから大浦湾を挟んで北側の汀間(ていま)地区に住む。「悲しみに耐えきれずにここに来た。私たちが頼りにしていた羅針盤を失った」と涙をぬぐった。
 翁長氏が繰り返した「イデオロギーよりアイデンティティー」との言葉に共感し、前回知事選で1票を投じた。「沖縄県民を思う心が強く、政府と対峙(たいじ)し続けた。多少意見が違う人も束ねることができる人だった」と惜しんだ。
 午前8時には、参加者が1分間、黙禱(もくとう)した。「翁長さんありがとう」「志は引き継ぐ」などと書いた紙を手にする人もいた。黙禱を呼びかけた沖縄平和運動センターの山城博治議長(65)は「病気が進む中、命を懸けて新基地建設反対を訴えた知事の執念を思い起こすと身震いがする」と声を詰まらせた。
 普段は午前9時ごろから護岸用の砕石などを積んだ車両がこのゲートから基地内に入るが、この日は出入りがなかった。6日から来ていないという。午後には参加者がキャンプ・シュワブ前をデモ行進。海上でも約20人が、腕に喪章を付けてカヌーに乗って抗議活動をした。
 那覇市の翁長氏の自宅には多くの弔問客が訪れた。照屋大河県議によると、知事の枕元にはブルーの帽子があった。辺野古への土砂投入阻止をめざす11日の県民大会のために用意したもので、ブルーは主催者がテーマカラーとして着用を呼びかけていた色だった。照屋県議は「家族も含めて、その思いをつないでほしいと託された。取り組みを引き継いでいきたい」と話した。
 5月に翁長氏から県民栄誉賞を贈られた歌手の安室奈美恵さんは、追悼するコメントを公式ホームページで発表した。「今思えばあの時も、体調が優れなかったにも関(かか)わらず、私を気遣ってくださり、優しい言葉をかけてくださいました」と振り返り、「心から、ご冥福をお祈り致します」と結んだ。
 安倍晋三首相は平和祈念式典出席のため訪れた長崎市での記者会見で「常に沖縄の発展のために文字通り命がけで取り組んでこられた。沖縄の発展のために尽くされたご貢献に対し、敬意を表したい」と語った。
     ◇
 沖縄県は9日、翁長氏の通夜と葬儀の日程を発表した。通夜は10日午後6時、葬儀は13日午後3時から那覇市松山1の9の1の大典寺で。喪主は妻樹子(みきこ)さん。 


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