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明治の勲功

2020年11月30日 | 日記

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2020 11 30 明治の勲功【わが郷】

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50年前の、1125日は

三島由紀夫氏の、命日だそうな。

 

文学者がどうした訳か、自衛隊市ヶ谷駐屯地において。

自衛隊員にクーデータを促す演説をしたのち、

割腹自決を行った。

 

 

川端康成氏が、三島の死後 2年して

ガス中毒での自殺をした。

 

親交の深かった三島氏に、川端氏が。ノーベル賞を譲ってほしいとか、そうした話がある。三島由紀夫氏の割腹自決は、そうした川端氏の自責の念の結果なのか。

2011 06 12『 帝国主義 』 を粉砕するぞ おおおお~。【わが郷】

三島氏が自決した、1970年の頃は。学生運動が盛んで、儂等のような若い衆にとって、ノーベル賞なんて、どうでも良い事だった。米軍のベトナム侵略で、多くのベトナム国民や、ベトコンなどの兵士が、殺されていた。儂はベトナム独立の戦士と、大東亜戦争を戦い抜いた、父や叔父たちを重ね合わせてみていた。米軍は、アジア各独立国の、敵である。

B-52 戦略爆撃機【岩水・米軍装備】 B-52 戦略爆撃機 USA 軍装備

政治的には、日本はサンフランシスコ講和後、独立国ではあったが。軍事的には、米軍に。まったく虚仮にされどうしだった。沖縄の米軍基地から、B-52 などの爆撃機が、ベトナム人を殺戮するために、飛び立っていた。

こうした非道を止めさせるために、沖縄では。学生だとか、若い労働者の、「沖縄返還闘争」が、沸き起こっていた。そして、ほどなく、米軍はベトナム戦争に敗退し、撤収した。そして、沖縄は、施政権を日本が、取り返した。

儂等にとって、米軍は敵であった。

そして、米軍のギブミー・チョコレート。アメの犬が、ウヨクであった。

だが、三島由紀夫氏は、日本の真正保守派を、自任していたのであろうか。

 

ノーベル平和賞

儂は、国立大学の教育学部。国語科の教員になる過程いにいた。だが、文学にはそれほど、興味はなく。ヘーゲルの哲学書だとかを、読むのが好きな。いわゆる左翼青年であった。三島氏の自決の後か、その前からだったのか。記憶が定かではないが、氏の作品を読んだ記憶がある。特段、変わった作品ではないような、印象が残っている。川端氏の作品は、学校の教科書で知っていた。そして、ベトナム反戦闘争や、反帝・反スターリン主義の戦いの中にあり。そのような、文学とかが。何程の意味がある。それは、大した意義はない。とか思っていた。そうした感覚は、今でも変わらない。普通の人々は、働いて、ゼニを貰う。そうした日々の中で、時を過ごしている。ならば、一番の関心事は。社会の中での、経済活動の在り方。ちょうど、この頃から。公務員の制度改革に事寄せて、「労働者の労働諸権利を、著しく侵襲する。」 構造改革論議が、始まりだした頃。

こうした、リアルな社会状況からは、まったく遊離した。上級国民様の、ブルジョア出版会の寵児さま。そうした方々の、浮ついた。浮名のお話に、すぎぬこと。そう、思っていたのだが。まさか、死ぬこともあるまい。そう、感じていた。生きて、何事かを為してこそ。わが人生なのだと思う。

それから、50年経ったこんにちは、あいも変わらず。政治は、左右とも、アメポチ様の、他を廃しての独壇場である。小沢一郎氏の為した、小選挙区制への 『民主主義の変更(嗤)』 は、政党とか議員のメンツを、固着化させたまま。これでは、かつてのソ連や、支那狂惨党の、一党独裁制とそれほど変わらない。

2009 12 01 曾祖父の青年もしくは壮年時代【わが郷】

最近になって思う事。

明治の時代も、戦後の日本も。

さほど、違った世界ではない。

 

どちらも、米欧ユダヤの金融支配に、阿(おもね)た時代である。

ただ、戦後になって。女性も普通選挙権を得た、形式的には。民主制の、より徹底された世の中になった。ならば、人々の多くは。明治時代の制限された、『人権抑圧』 の世界には、戻りたくはない。そして、自決を遂げた。三島氏の血脈には、明治の元勲とか。それに連なる、高級官僚政治家の、DNAが息づいていた。

とにかく、此の現代社会は、戦争の出来ない社会となった。

ならば、戦争以外の手段で、日本は。というか、日本人の大衆は、自分の自立を達成せねばならない。

あるいは、三島氏や川端氏のやうに、文学に精進する。それも、結構な事だ。

絵画や、スポーツ。様々な分野がある。建設業とか、精密機械工業。そして、情報処理技術の分野もある。ただ、政治や思潮の分野では、50年も昔の。イデオロギーを曳きづっているような。

2011 08 18 何度でも 竹島を返すべし と言う【わが郷】日帝の支配下では平和だった。日本が退いたとたんに、朝鮮には塗炭の苦しみがはじまった。

ユダヤは、左右の勢力に、仮託の敵を想定して。庶民には、無駄な労力を強いる。そうした、分断策が、大得意。

2017 12 15 マルクスは、国際金融の手先だった。【わが郷】 マルクスは、国際金融の手先だった。  わが郷

明治の日本は、カザール・ユダヤに乗せられて。表向きは、大英帝国との同盟であったが。英国の内実は、政治と経済は、ユダヤに壟断されていて。今も同様ではある。そして、日本はユダヤの故地、ロシア南部を開放。この手助けで、ロシア帝国の破壊に協力させられた。今日の日本は、工業経済の技術と資本を、とっととっとと。ユダヤに貢がされている。明治の代も、今日の世も。経済とかの真実に盲目ならば、たいしたことにはならない。

 

まずは、この辺りから脱出できねば。

アメリカは、二大政党制が、徹底的に固着化してしまっている。

どちらの、選ばれた大統領だって、決して庶民の味方で、あろうバスもない。

 

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