救急車が駆けつけても受け入れ先が見つからず、見殺しにされる最悪ケースも生じている(写真:HARUYOSHI YAMAGUCHI Copyright: © Bloomberg)© 東洋経済オンライン 救急車が駆けつけても受け入れ先が見つからず、見殺しにされる最悪ケースも生じている(写真:HARUYOSHI YAMAGUCHI Copyright: © Bloomberg)

 新型コロナウイルスの感染拡大が続く中、東京都での自宅療養を余儀なくされている感染者数は、入院調整中を含めて約2万5000人を超える。容態が急変して、亡くなる悲劇も相次いでいる。

 医療を受けられずに重症化している感染者を救う手立てはないものか。自宅療養の患者を診療する在宅医からの「もう限界だ!」との悲痛な叫びに突き動かされて、東京都医師会の尾﨑治夫会長が提案するのが"野戦病院"だ。

 感染者を一堂に集めれば症状を見守ることができる。医療側にとっても効率的だ。だが、行政の腰は重い。「都は現場をわかっていない」と怒りの声を上げる尾﨑会長のいら立ちは、頂点に達している。

 「国も東京都も、やる気がないんだからムリだね。かつて安倍(晋三首相)さんは民主党政権を『悪夢』と言ったけど、今の状態こそ悪夢だよ」

 感染者の急増が収まらない8月18日のことだ。筆者と電話で話す尾﨑会長の声は、明らかにいら立っていた。

「野戦病院を作らなければ乗り切れない」

 自民党員である尾﨑会長が、本心から「悪夢」と思っているのかは、うかがい知れない。だが、憤懣やるかたない思いを抱いていることだけは確かだ。

 尾﨑会長がFacebookに、突然"野戦病院"構想を打ち上げるメッセージを投稿したのは、その3日前の8月15日の深夜だった。

 「悲惨な状況を見聞きして、野戦病院を作らなければ乗り切れない、その想いに至りました。関係各所には伝えましたが、明日のモーニングショーでも訴えます」

 いつもは長文の投稿が多い尾﨑会長のFacebookだが、珍しく短文だ。尾﨑会長の決意の表れか。

 "野戦病院"という呼び方には語弊があることを承知している。だが、そう表現しなければ、事の緊急性や施設の規模感のニュアンスが伝わらない。多くの感染者を収容できて、病状を広く見渡せる大型施設でなければ、この未曾有の"災害"は乗り切れない。そんな切迫した思いが込められている。

 尾﨑会長をその気にさせたのは、自宅療養を担っていた在宅医の悲痛な叫びだった。感染者宅を回る彼らは、現場の切実な状況を肌で感じていた。

 まず感染者の急増で、保健所の手が回らなくなっている。PCR陽性の判定を受けた感染者が、保健所から連絡を受けるまでに、3日~1週間も待たされている。もちろん保健所の業務過多は尋常ではないことも知っている。だが、放置される患者の不安は計り知れない。

 自宅療養者のなかには、血中の酸素飽和度(SpO2)が90を切っている感染者がいる。93を下回ると中等症Ⅱで、重症の一歩手前だ。相当に苦しいはず。だが、多くの場合は入院先が見つからない。仕方ないので在宅医が酸素濃縮器を持ち込んで、酸素投与に踏み切る。都が用意した500個の濃縮器は瞬く間になくなった。

 酸素や投薬を繰り返せば、1人の医師が回れるのは日に5~6人が限度だ。2万5000人もいる感染者のうち、無症状の人を除いたとしても医師の診察を受けられる感染者は、ごく一部だ。医療の手が回っていない。

 尾﨑会長は、ある在宅医の声が耳から離れない。

 「重症化していく感染者を入院させられずにいることは、本当につらい。もう限界です」

 尾﨑会長は突き動かされた。

 「こうなったら"野戦病院"しかない」

 自宅療養やホテルでの宿泊療養では、診療するにも個別の部屋を訪問しなければならないので、効率が悪い。体育館などの広いスペースにベッドを並べる"野戦病院"なら、個々の病状をひと目で見渡せるし、医師も看護師も少なくて済む。酸素が必要な感染者のためには、酸素を送る配管があればベストだ。だが、当面は濃縮器でもやむをえない。少なくとも感染者の不安は解消できる。

 尾﨑会長が考える臨時施設は、酸素を投与すると同時に、ステロイド薬の「デキサメタゾン」などを使った治療ができる施設。それに発症間もない軽症者に有効な抗体カクテル療法を施せる2種類が必要だ。もちろん同じ建物で役割を分けてもいい。抗体カクテル療法は、基礎疾患などの高リスク感染者の重症化を70%軽減できるという。重症化を減らせれば、医療の逼迫も防げる。ただ、副作用にも注意を払う必要があるため、数時間、あるいは一晩は泊まることになる。

日本医師会とのタッグも都は及び腰

 日本医師会の中川俊男会長にも相談した。厚労省や官邸に提案するためだ。説明を聞いた中川会長も、すぐに呼応してくれた。経団連に保養施設などの提供を要請した。

 だが、肝心の東京都が及び腰だ。

 8月18日、尾﨑会長は都の福祉保健部局の幹部と、オンラインで会合を持った。渋谷区に酸素ステーション130床を置くことや、パラリンピックのデポ施設を大会後に酸素ステーションに転用する。抗体カクテル療法についても、都立・公社病院内で実施する予定だという。

 尾﨑会長は不満だった。酸素ステーションでは、受け入れ病院が見つからない救急搬送患者を主に収容するという。だが、自宅で救急車も呼ばずに、重い症状にあえいでいる感染者は数知れない。在宅医が要入院と判断した患者を収容して、投薬を含めて治療できる施設こそ求められている。それにしても、130床では心もとない。

 それに病床不足が深刻ななか、軽症者に限定される抗体カクテル療法を、なぜ都立・公社病院が担うのか。むしろ中等症以上の感染者の治療に全力を挙げるべきではないのか。

 都が"野戦病院"を渋る最大の理由は、人材の確保だ。臨時施設を作っても、それを診る医師や看護師を確保するメドが立たないという。それより、病院での病床確保を優先したいらしい。

 都のホームページを見ると、入院している感染者数は4300人を超えているが、都の確保病床は約5900床ある。さらに将来的には6400床を見込んでいるという。

 まだ余裕があるはずなのに、入院先が見つからないケースが相次ぐとはどういうことだろう。受け入れを表明しながら、実行していない病院が存在するか、そもそも確保病床そのものが確約されていなかったということになる。

 結局、都は "野戦病院"の開設については、最後まで首を縦に振らない。

 尾﨑会長がいら立っていたのは、この日の夕方の電話でのことだ。

 「被災現場を見ないで対策を立てているようなもの。130床の酸素ステーションとか、ちまちまやっている場合ではない。病院への協力要請で80床を確保したいって都は言うんだけど、これだけの自宅療養がいるのに、80床ではどうにもならないでしょ。集める場所さえ確保してくれれば、人材はぼくらが集めるって言っているのに」

小池都知事からの電話でキレる

 8月23日、小池百合子都知事から、尾﨑会長の携帯電話に連絡があった。自分の診療所でワクチン接種をしていた正午すぎだった。

 「これから田村(厚生労働)大臣と医療機関への協力要請を話し合いに行くが、都医も協力してちょうだい」

 尾﨑会長は、少々荒っぽい言葉で言い返した。

 「協力してくれと言うばかりで、こちらの要望も聞いてほしい。もはや野戦病院のような施設を作らないと限界ですよ。建物さえ用意してくれれば、人材はこちらで何とかするから」

 そう言って、具体的な候補地として、調布市の「味の素スタジアム」と、それに隣接するパラリンピック会場ともなっている「武蔵野の森総合スポーツプラザ」を挙げた。

 キレ気味の尾﨑会長の口調に、小池知事も負けていない。

 「場所はあなたに言われることではなく、私たちが決めること」

 険悪なまま電話は切れたが、小池知事も相当追い込まれているのだなと、尾﨑会長は思った。

 そして、その直後に小池知事は田村厚労相と面会し、知事と厚労相は夕方の会見で都内の医療機関に対して協力を要請することを表明した。コロナ感染者の受け入れや人材の派遣などの要請で、応じない場合は病院名を公表するという。案の定、"野戦病院"については、触れなかった。

 8月26日、北多摩南部保健医療圏(武蔵野、三鷹、府中、調布、小金井、狛江の6市)が各市長の連名で、「二次保健医療圏内の臨時医療施設開設に関する緊急要望」を都庁に持参した。その中心的な役割を担う調布市の長友貴樹市長と尾﨑会長とは、電話やメールでやりとりをする仲だ。この要請についても、相談を受けてきた。

 北多摩南部医療圏には、「味の素スタジアム」と、「武蔵野の森総合スポーツプラザ」がある。長友市長によると、「臨時医療施設としては格好の場所で、野戦病院に限定せず、酸素ステーションでも抗体カクテル療法ができる施設でもいい。自宅療養者を救うためだが、都からは『取り組むとしてもいちばんの課題は人材の確保だ』との指摘があった」と話す。

「人材は何とかする」は都知事には届かず

 尾﨑会長が、小池都知事からの電話の際、味の素スタジアムなどの具体名を挙げたのは、長友市長から後押しを頼まれていたからだ。

 8月27日、小池知事は会見でこの6市長の要請について問われ、こう答えている。

 「それぞれの地区の医師会の方と連携して、まず人を集めてもらわないと進みません。会場の問題というよりは、人の問題だということを、改めて皆さんと意識共有したいと思いますし、(中略)要は、箱ではなくて人だということです」

 「人材は何とかする」との尾﨑会長の言葉は、届いてはいないようだ。

 医師会というのは開業医の団体だ。お題目のように「国民医療のため」と唱えながらも、一義的には開業医の利益を損ねることには反対する。そういう医師会を批判的に取り上げてきた筆者だが、尾﨑会長の振る舞いは開業医の利益だけを考えているとは思えない。

 そもそも"野戦病院"を作っても、開業医にとっては利益より負担感のほうが大きい。昨年、PCR検査が目詰まりを起こしたときも、都医師会の主導で区市町村ごとにPCRセンターを設置した。全国に先駆けて、ホテルでの宿泊療養のスキームを作ったのも都医師会だった。感染者を集中させる専門病院の構想も、早い段階で唱えてきた。

 一方では、医師会に対する批判もある。開業医のなかには、依然として「発熱外来お断り」の張り紙を掲げているところもあるし、以前はPCRを実施してきた開業医も、最近になってPCRの看板を下ろすところが少なくない。PCRで陽性となれば、以前であれば保健所が健康観察を担っていた。だが、感染者の急増で保健所の手が回らない。自ずと開業医が感染者のフォローを引き受けざるをえなくなる。開業医にとっては、負担が大きすぎるからだという。

 だが、これを尾﨑会長にぶつけると、きっぱり言い切った。

「医師として当たり前の責任」

 「PCR陽性者の判定をした感染者のフォローするのは、医師として当たり前の責任だろう。それができないのはおかしな話だよ」

 これまで長年、医師会の取材を続けてきたが、開業医の行動に苦言を呈する医師会幹部はあまりお目にかかれない。尾﨑会長の本気度に触れた瞬間だ。

 9月上旬、東京の新規感染数は、下火の兆候を示している。だが尾﨑会長は、「いや、人流などを勘案すると、まだまだ増える可能性がある」と警戒する。

 そんななか、福井県ではすでに体育館に臨時医療施設の計画を進めている。感染者の拡大が続く大阪では、1000床規模の臨時医療施設の構想が具体化しそうだ。だが、東京では"野戦病院"の提案が実るかどうかの先行きは不透明だ。

 尾﨑会長にとって嬉しかったことが1つあるという。"野戦病院"の提案を知った在宅医からのメールだ。

 「涙が出るほど、うれしい」と。

 その向こうには、いまでも自宅療養を余儀なくされている感染者が、不安におびえている