不幸せは、自分への裏切りから始まる。
幸せは、自分を裏切らないことから始まる。
自分を裏切っている人は、自分の小さな箱の中にいる。
自分を裏切っていない人は、自分の小さな箱から脱出している。
自分を裏切っている人は、人の陰口とか批判をせずにはいられない。
自分を裏切っていない人は、人の陰口を言ったり批判したりしない。
自分を裏切っている人は、実は、自分のことしか考えていない。
自分を裏切っていない人は、人のために役立ちたいといつも思っている。
自分を裏切っている人は、人を物として見ている。
自分を裏切っていない人は、人をいろんな感情をもった人間として見ている。
人は、わかる。
あ、自分は物としてしか見てもらえていないな。とか、
あ、この人は、私を人間として尊重してくれているなという雰囲気を。
そう考えると、私って、あんまり尊重されているなっていう空気の中で息していない気がする。
私の職場は、物職場。
今、気づいた。
私って、結構、職場批判しているなって。
有能な上司のもとで働きたいとか、仕事の内容から仕方ない部分もあるのだけれど、優等生タイプじゃないと務まらないので、つまんないなとか・・・・。
私が、物として見ているから、私も物として見られている?つまり、尊重してもらっているという空気にならないのかもしれない。
まず、隗より始めよ・・・か。
ところで、では、自分への裏切りとは、なんぞや?
例えば、何か問題が発生したときに、最初に、パッと感じた、今、人として何をすべきかという思いが、自分。
そして、3秒後に、打算の結果、それを選択しないということが、自分への裏切り行為となる。だから、考えすぎると、打算しすぎて、考えれば考えるほど自分を裏切っていくということになる。
最初に、人として、今、何をすべきかという閃きって、おそらく、その人が持っている良心だと思う。
良心に添った生き方をしていく。
きっと、それが、シアワセにつながる道。
そう考えていくと、
悩み
とはなんぞや?
悩みなんて、3秒後、どころか、ず~~~~っと、打算している状態。ずっと、自分のことばっかり考えている。
おそらく、きっと、そんなんじゃ、シアワセの道を歩けない。
いったん、悩みは置いといて、
一瞬、一瞬、感じる閃きというか良心みたいなものを信じて、行動することに重きを置いてみたら、どうだろう?いつの間にか、悩みが消えていくっていうことになるやもしれない。
悩んでいるんです。
=打算人間なんです。
自分を大切にしてこなかった私が、まず、気づいたこと。
それは、自分=自分の気持ち。
つまり、私は、生まれてこの方、おそらく、小学校に入ったころから、自分の気持ちを大切にしてこなかった。強風に煽られないと埋もれた自分の気持ちに気づけないから、夫のような暴風と結婚せざるを得なかった。
強風夫のおかげで、強風に煽られながらもどうにか自分の気持ちを発掘できたはいいけれど、強風の日々はしんどくて、どうにか、凪になりますようにと、また、自分の気持ちを抑え込む日々=自分を大切にしない人生を歩いてきた。ここ最近、なぜだか、夫が凪になって、めったに強風が吹かない。
しかし、強風が長すぎた。私の心が頑なになってしまった。夫を人として尊重することがどうしてもできない。きっと、夫のことを物としてしか見ていない気がする。夫に対しては、自分への裏切りの連続だ。つまり、対夫に関しては、ずっと、批判している。ずっと、自分の利益のことばかり考えている。ずっと、悩んでいる。
自分を大切にする⇒自分の気持ちを大切にする⇒自分がパッと閃いた最初の気持ちを大切にする
ここまでたどり着くのに30年かかった。
今、人生のターニングポイントだと思う。
もし、私が自分の小さな箱から脱出したいなら、つまり、ほんとうのシアワセを手にしたいなら、夫を人として見るという人生最大の課題をクリアすることが必須だ。
相手がどんな人であれ、人間として〇〇すべきという良心に添って生きる。
きっと、日本では、その心を 慈悲 というんだろうなぁ。
伊勢白山道さんの本に、転職や離婚など、人生で大きな決断は、迷って決められない間は、決断しない方がよいと書いてあった。
正しい決断ができるようにするためには、自分の良心を育てることですとも書いてあった。
まず、良心
が、先。
自分の小さな箱から脱出する方法の著者は、自分を裏切らないで、人としてすべきと思ったことをすることで人は至福の喜びを感じるもので、その至福の喜びの連鎖の中にいると、相手を変えようなんて思わなくなる。仕事もどんどんはかどるし、アイデアも溢れてくる。
と。
私は、夫に変わってほしいと思ってきた。父親なんだから、これくらいは当然よねって感じで。いやはや、ほんとうに、それくらいヤバかった。
自分を裏切らない日々を積み重ねていけば、相手が変ることを望むなんていうことに頭をすり減らさなくて済むようになれるのであれば、生きることも楽になりそう。
なんだか、やっと、楽しく生きていけそうな入り口に立てた気がする。