国際仙骨後頭骨学会の山口純子さんによると
同じストレスでも、受け止め方で、骨がゆがむ受け止め方とゆがまない受け止め方があるんだそう。
みるみる治っていった人は、
『次は、こういう行動や言動をしてみよう』と対策を取った人。
逆に、みるみる骨がゆがんでいった人は、
『つぎは、こういう感情を持つようにししよう』と考えた人。
つまり、人をきらったことを反省し、次は、きらわないようにしようとすると、骨がゆがんでいくのだそう。
イライラしたことを反省し、次は、イライラしないようにしようとすると骨はゆがんでいく。
やる気のないことを反省し、やる気を出そうと努力すると骨がゆがむ。
つまり、反省すると骨はゆがむ。
逆に、反省はしない。ただ、その時に感じた自分の素直なネガティヴな気持ちをそのまんま罪悪感なしに感じるだけだといくらストレスが強くても、骨はゆがまないという。
例えば、朝からイヤな奴に会ってしまった時に、
礼儀として、一応、笑顔で「おはようございます。」
『はぁ~~~、もう、朝っぱらから不愉快だ。』とつぶやいたときは、骨はゆがまない。
でも、あいさつをした瞬間に
『あ~~~、わたし、また、この人を嫌いだと思ってしまった。わたしってなんて心の狭い人間なんだろう。人には、よいところもあれば悪いところもある。でも、わたしは、悪いところばっかりに目がいってしまう。この人のことをダメな人、苦手な相手と決めつけてしまっている・・・。こんなことではいけない。』
などと、反省し始めると、なんとこの人の骨はゆがんでくるのです。
つまり、自分の感情を消そうとしている人は、🦴をゆがめてしまう。
きらいという感情をなかったことにしょうとすると🦴がゆがむ。
ネガティブ・狭い・醜い・レベルが低いと思う感情
①うっとうしい
②きらい
③イライラ
④干渉したくなる(気になる)
⑤やる気が出ない
⑥断れない(イヤだ)
⑦疑い 疑心暗鬼・不安
⑧恨む
⑨無関心
⑩絶望
⑪飽きっぽい
⑫見下す・ねたむ
⑬人の目が気になる
⑭小さいことが気になる
⑮腹が立つ・怒り
⑯根に持つ
いやはや、あの世に行く頃までには、自分の中のこんな感情とおさらばできたらいいなという思いで生きている私にとっては、衝撃的な本だった。
嫌いな人も、私を苛めてくる人にも『かわいそうな人』というレッテルを頑張って貼って、心が傷つかないよう、そして、心の傷を癒そうとかなり努力してきた。
そう。自分の傷ついた気持ちをできるだけ早くスルーして、なかったことにしようとする作戦で、傷つかないようにしてきた。
逆に、嫌いと感じる自分に、人間できていないなって反省したり、こんな人間になりたくないと見下したりして、その見下す自分が残念に思えたりして・・・。
だから、右股関節に激痛が走ったのだろうか?
物心ついた頃から、将来の夢が、何が素敵なのかよくわかんないくせに、『素敵な女性になりたい・・・。』だった。そのせい?
つまり、人生の大半を自分の素直な気持ちの封印のために使ってきた。
これがいけなかった。
素敵とはなんぞや?
怒らない?優しい?心が広い?妬まない?
私は、人生の大半を、自分の中にあるはずの負の感情を見て見ぬふりをしたうえに、他人の中にある負の感情を見るたびにその人に幻滅して、『素敵』を追い続けてきたような気がする。
もちろん、自分の中にある負の感情を受け入れて、人間、みな、そんなもんさと思えるようになって、遅まきながら、思春期の壁を乗り越えては来たけれど、やっぱり、いい人になりたいという根強い意識は後遺症として残った。
私の右股関節は、反省の賜物だったのか。
てっきり、右ばっかりで噛んでいたせいだと思っていた。
改めて、イヤイヤ期や思春期の反抗期は、あってしかるべきかと・・。
『クソババァ』『べつに…。』『うざい』の三点セットは、もしかしたら、骨が歪みにくい体質を作る豪華三点セットなのかもしれない。
今、感じている本当の気持ちときちんと向き合って、味わい尽くす。
あ~~~、今、私は、あんなことを言われて無性に腹が立って、悔しいという気持ちなんだなぁ~。
私は、あんなことを言われると、怒りが溢れてくるんだなぁ。
悔しい。悔しい。悔し~~~~い。
と、叫ぼう。
発生したばかりの自分の気持ちに名前を付けて、言葉にすると客観的に自分の気持ちに向き合えて、自分を否定せず、受け入れられていくのかもしれない。
そうすると、骨はゆがまない。
なんかおもしろくなってきた。
瞬間瞬間の自分の気持ちをメモって、丁寧に自分の気持ちをかき集めて行こう。
長男が小1の時、学校に行きたくないと鉛のような曇り空のような顔で言い始めた時に、カウンセリングを受けたことがある。そのカウンセラーの助言が、『〇〇さんは、怒りの感情が未分化です。だから、息子さんも混沌としてわけがわからなくなっているのです。』
衝撃だった。
要するに、ほんとうに、自分の中の負の感情を見て見ぬふりをしていい人を演じて生きていくと、胃がんや股関節だけでなく、息子たちの心の領域まで悪影響を与えてしまうほどの哀しみを味わうことになるということ。
どうかどうか、いい子に育てないでください。
いい子は、怒りの感情の発達障害だと自分の体験からそう思う。
ひょっとして、もしかして、子育てとは『気持ちのネーミング大会』の場?
子育てとは、まず、親が自分の気持ちにいちいちネーミングするという親の基盤を作って、そこに、今度は生まれてきたわが子の気持ちにいちいちネーミングをつけていく素敵な場のことなり。
親自身が、自分の気持ちにネーミングできないのに、どうして、わが子の気持ちにネーミングできようか。
まず、隗より始めよ。
IメッセージとUメッセージが飛び交う家庭をめざそう。
『わたしはこんな気持ちなの~~。』『あなたはこんな気持ちなのね~。』合戦
ところで、発達障害と言われるお子さんは、自分の感情を上手に感じて上手に表現できにくい。でも、しっかりと気持ちはある。その気持ち(特に怒りの気持ち)を発散できないから、ストレスが溜まってしまって、不安ホルモンも溜って、それを物理的に発散せんとして、多動になったり、奇声を発したり、車や扇風機などに固執したりという二次障害を伴う。
学校に上がってから名の付く発達障害は、ほとんど二次障害なんじゃないだろうか。
二次障害を発達障害として見るのではなく、怒りのアースという視点で見てはどうだろうか。
傍から見たら、気になる行動だけれど、本人はそれで、どうにか心の安定を保っている。貧乏ゆすりもそうらしい。
イヤイヤ期も反抗期もしっかりあるいい子だけでなく、育てやすいいい子にしても、発達障害のお子さんにしても、子育ての基本は同じだと思う。ただ、いい子や発達障害のお子さんの喜怒哀楽の感情を察して代弁してあげるのは、難しい。
そのためにも、まず、隗より始めよ。
親の気持ちをiメッセージで素直に表現し、子の気持ちをyouメッセージで
代弁してあげる・・・ただそれだけ。
怒りが高じて、家の物をぶっ壊すくらいの激しさで慄きそうになっても、『爆弾レベルの怒りのアース』ってネーミングして、あたたかく見守れるくらいの太っ腹になれたらカッコイイ。
子どもを生んだら、肝っ玉母さんを目指そうよ。
叶えば、爆弾レベルの怒りになる前の、手りゅう弾レベルの怒りだったり、もっと手前の怒りの表情レベルでyouメッセージの表現をしてあげれたら、最高なんだけど、親自身が私みたいに自分の怒りの感情に鈍感だと、子どもの気持ちにも鈍感で、爆弾レベルでないと気づけない。
『こうまでしないと、お前は気づけないのか~~~。いい加減、気づいてくれよ~~~。俺ときちんと向き合てくれよ~~。』という魂の叫びが家庭内暴力なのに・・・。どうかどうか、警察に通報とか先生に相談とか安易にしないでといいたい。
爆弾レベルの怒りのメッセージに対して、子どもは親に日本刀レベルの真剣勝負を求めている。
逃げてはいけない。
何のために生きるのかというヤバいドツボにハマる思春期の問い。
その答えは、瞬間瞬間に感じる自分の気持ちに名前を付けて、いろんな自分の気持ちを味わい尽くす。
おそらく、日々、自分の気持ちに名前を付けていく癖をつけていったその先には、自分が好きになる。そしたら、誰かのために生きていきたくなる。誰かに喜ばれる。社会貢献したくなる。仲間ができる。分かち合うという喜びの渦に巻き込まれていく。
幸せってやつがわからない。ワクワクが見つからないってぼやいてきたけれど、自分の気持ちのキャッチ力の弱さのせいだったのかもしれない。
幸せの青い鳥をずっと、探し求めていた。
幸せの青い鳥は、こんなに近くにあったというお話だったけど、わかったようでよくわからなかった。
今、わかった。
幸せの青い鳥は、自分の気持ちキャッチ力だと。
相変わらず私の右股関節は、疼くという感覚により存在感をアピールしてくる。
一大決心だ。
右股関節のためにも、今日から、自分の気持ちメモ魔になるぞ!
ところで、なぜ『国際仙骨後頭骨学会』なのか。
仙骨は後頭骨と何か関係があるのだろうか?