生きていると、問題はどんどん降ってくる。
あまりにも強い雨が降ってくるので、最近は、さぁ、次のお題は何?って感じで、受け入れて受け流す力がついてきたような気がする。
ただ、ふと、このアインシュタインさんの名言を見て、もしかして、私の意識が根本から変わっていないから、意識が変わるまで問題がどんどん降ってくるのだろうか?と思ってしまった。
意識って、変わろうと思っても、そう簡単に変わるものではない。
10年前、胃がんの手術して、生き方、考え方を変えなきゃ。一度、死んだと思って、もっと、自分のやりたいことを中心に生きていかなきゃ・・・と意識するけれど、すぐ、元の生活だったり、考え方に戻ってしまって。結果、どうだろう?10年前と、生活も生き方もそう変わっていないような気がする。
これじゃぁ、また、再発しちゃうじゃん。
ほんとうは、意識を変えるには、環境を変えるのが一番てっとり早い。住む家を変えたり、仕事を変えたり・・。自ずと、日々の意識も変化する。しかし、今までと同じ環境で、意識を変えるって至難の業だ。
意識を変えるって、つまり、例えば、自動車免許を取る前、取った後のようなことだと思う。最近は、オートマオンリーの免許を取る人が多いけれど、昔は、ギアチェンジに泣いた人が多かった。
私も、隣でギアチェンジする先生が、神に見えた。
神業だと思った。
同時に、右手右足左手左足の全てが、違う動きをしながら加速していく。そんなことできるわけがないと思った。
しかし、今はなんのことはない。
これこそ、意識を変える。
できないと思ったことも、日々、意識的にチャレンジし続けることによって、無意識の領域にまで持っていけたら、頭を使わなくても運転できるようになる。誰だって運転できてる。
最初は、意識的にしんどくても毎日コンスタントにやり続けることで、無意識の領域にまで到達した時、意識が変わる。
なので、意識を変えるためには、日々、ちょこっとしんどいと思いながらも、踏ん張って、それを、やり続けるしかない。
さぁ、意識を変えましょうと宣言しても、三日坊主で終わってしまう。
継続は力なり。
この言葉は、真実だ。偉大だ。
プロと呼ばれる人たちは、才能と日々の練習の継続の賜物を得た人たちだと思う。
好きなこと、才能のあることは、継続しやすい。
しかし、今の自分は、おそらく、好きなことや才能のあることを継続してきた結果なのだから、それで、もし、病気とか問題が起こっているのだとしたら、今の自分の意識を変えない限り、問題は解決には向かわない。
継続しているうちに、いつの間にか、無意識にできるようになる。そうなると、ストレスを感じない。
年を重ねるとは、おそらく、きっと、意識してやり続けていつの間にか無意識にできるようになることが、増えていくということではないだろうか。一方、年を取るとは、オンギャーと生まれてから意識的に取り組んで無意識の領域までもっていくことを怠った場合をいうのかもしれない。
年を重ねるってそういうこと。
例えば、ダイエットが趣味という人がいる。
世にはびこる様々なダイエット法にチャレンジし、意識的に取り組むけれど、あと一息、無意識の領域まで到達できないで、諦めてしまう人なのかもしれない。
1週間で〇キロやせるというようなダイエット法には飛びつかない方がいいかも。
意識を無意識の領域まで持っていくのに1週間では短すぎる。
車のギアチェンジは、3か月くらいかかったかな?
車のギアチェンジは、ゼロからのスタートだから、まだいい。
しかし、ダイエットは、どう考えても、食べることが大好きな人が、しかも、おそらく、ケーキとかから揚げが大好きな人が、食べる順番とか食べる量の意識を変えるというチャレンジをするわけで、無意識の領域までたどり着くには、日々の我慢がセットになってくるから挫折しやすい。そして、一番の問題は、運動(ウォーキングではダメなんだそう)を併用しないダイエットは、✖であるということ。
体重を落とすとき、筋トレ(特に一番筋肉の体積が大きい大腿部の筋トレ)をしないで食べる量を減らすだけだと脂肪と同時に筋肉も落ちてしまう。たんぱく質である筋肉が一度落ちて脂肪に変身するとインスリン抵抗性という体になってしまう。やせない。諦める。リバウンド。
ダイエットをしようと決意したら、一生に1回という気持ちで、そして、一生継続できると自信のあるちょこっとしたこととちょこっとした筋トレを併用してを意識的に替え、無意識にそれが苦痛なくできるようになったら、少し、ハードルを上げるというようなやり方で、ボチボチやるのがいいかな。
ダイエットが趣味になりませんように。