カテゴリ:絶対存在論
神の存否-455
定理六〇 身体のすべての部分にでなくその一部分あるいは若干部分にのみ関係する喜びあるいは悲しみから生ずる欲望は人間全体の利益を顧慮しない。 証明 例えば身体のAという部分がある外部の原因の力によって強められて他の諸部分より優勢になると仮定すると(この部第四部定理六 ある受動ないし感情の力は人間のその他の働きないし能力を凌駕することができ、かくてそのような感情は執拗に人間につきまとうことになる。により)、この部分は、それだからといって、身体のその他の部分にその機能を果させるために自分の力を失おうと努めるようなことはしないであろう。何故なら、そうしたことをするには、その部分は自己の力を失う力、乃至、能力を持たなければならぬであろうが、そうしたことは(第三部定理六 おのおのの物は自己の及ぶかぎり自己の有に固執するように努める。により)不条理だからである。ゆえにその部分、したがって(第三部定理七 おのおのの物が自己の有に固執しようと努める努力はその物の現実的本質にほかならない。及び、第三部定理一二 精神は身体の活動能力を増大しあるいは促進するものをできるだけ表象しようと努める。により)精神もまた、その状態を維持することに努めるであろう。このゆえに、そうした喜びの感情から生ずる欲望は全体を顧慮しない。また反対に、Aという部分の働きが阻害されて他の部分がそれより優勢になる場合を仮定すれば、こういう悲しみから生ずる欲望もまた全体を顧慮しないということが同じ仕方で証明される。Q・E・D・=これが証明すべきことであった。 備考 ところで喜びは大抵身体の一部分のみに関係するのだから(この部第四部の定理四四の備考抜粋: 人間がただ一つの対象から強く刺激されて、その結果それが現在していない場合にもそれを自分の前にあるように信ずるのを我々はしばしば見かける。により)、この故に、我々は多くの場合、我々の有の推持を欲しながら全身の健康を顧慮していないことになる。これに加えて我々を最も強く拘束する諸欲望は(この部第四部の定理九の系 未来あるいは過去の物の表象像、言いかえれば現在のことは度外視して未来あるいは過去の時に関連させて観想する物の表象像は、その他の事情が等しければ、現在の物の表象像よりも弱い。したがって未来あるいは過去の物に対する感情は、その他の事情が等しければ、現在の物に対する感情よりも弱い。により)現在のみを顧慮して未来を考慮しないのである。 (悲観・楽観主義≒ニーチェ) 哲学・思想ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年06月30日 02時02分12秒
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