カテゴリ:霊魂論
「神秘学概論」概説
3 「主義」というもの 旧来は科学が「科学万能主義」になってしまうのは、科学という研究方法に即することではなく、研究対象を限定しその限定されたなかで現われてくることだけを研究しようとするからではないだろうか。とも云われていたが、現代物理科学理論は、我々人間存在が認識する世界を物理的には捉えきれないマルチバース宇宙論・因果律(*量子力学では不成立)の異なる異相世界など、我々現世宇宙の人類には「不可視・不可触」の世界にまで現代物理科学理論は世界の真相を究明する傾向が見えます。旧来の科学、なかでも物理科学が、科学主義、更には「物理教」ともいえる「主義」というのは、おそらくそうした傾向を持ち、自分の見たいもの、考えたいことだけのなかで、独善的とでもいえる一貫性やそれに都合のいい論理を求めることしかしないことにあるのかもしれない。学問が、専門領域に閉じてしまうことが多いのもそれに似ている。医療が人間を各種専門分野に分断し、病名に応じたところでしか治療を受けられないような状態になっているのも、様々な集団・組織内部の各部署が互いに協力し合うことなく、自分たちが保持する権限や利害にこだわり、外部からの干渉を排除しようとする排他的傾向のセクショナリズムの支配する役所的な在り方も、対象を限定することのほうに力点を置くがゆえに、そういう方向にならざるをえないのだろう。科学に限らず、対象にばかり目を奪われて、そこで自分が何をしようとしているのかには目が向けられなくなってしまっていることは多い。すでに量子力学などにおいても、観察行為が対象に影響しているというか、観察と対象が切り離されていないということは語られ続けているにもかかわらず、それは多くの場合お題目にしかなっており、科学主義という船に乗る者は、みずからの乗っている船のことを知らずにいる。まして船の航行している海のことなど気にもとめない。自分がそこで何をしているのか。自分がどういう乗り物にのって、今どこにいるのか、そしてどこに向かおうとしてそうしているのか(記:コロンブスの航海/Voyage of Columbus)。そうした態度というのが最も重要視されるのが「神秘学」であり神秘主義なのだ。 そうした態度が求められるなかにおいて、「神秘学論」が霊や魂、エーテル体・アストラル体といった言葉を使わないで済ませることを、如何にも積極的な態度であるかのように思っている態度というのは、「さまざまな事情で、偏見にさらされても、公正さを失わないでいられる」そうした態度とはかけ離れている。「精神世界」関係の多くにともすればそれが欠けているのも、先の科学主義と同様である。シュタイナーの神秘学に向けた態度は、特別の人びとにのみ許された「神秘の知識」が問題なのではない「神秘の認識」への態度が問題なのだ。 哲学・思想ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年11月25日 06時10分06秒
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