最近ある算命学者の友人と食事をする機会があり、
その友人が“継続は力なり”で毎日ブログを更新していると聞き、
ここ数年はブログ更新も滞りがちな自らの不精を恥じると同時に大変触発され、
このままではいけないと考えを新たにした。
そこでいまふたたび運命学の探求の原点に立ち返り、
算命学をはじめとするさまざまな占いとその土壌となる東洋史観について、
さらに広く運命学そのものについて、
もっと自由に、ボーダーレスに、そして継続的に綴ることにしたいと思い、
ここに新たなタグ「運命学の扉」を設けることにした。
その♯1は「占いと運について」綴ってみたい。
そもそも占いとは人の「運」を見る術である。では「運」とは何か?
「運」を辞書で引くと、
「①天命。②めぐってくる吉凶の現象。幸、不幸、世の中の動きなどを支配する、人知・人力の及ばないなりゆき。
まわりあわせ。③特によいめぐりあわせ。幸運。」(出典「広辞苑」)とある。
そもそも「運」には先天運と後天運、2通りの運がある。
先天運とは「前世から定まっている運命。」(出典「広辞苑」)のことであり、
人が生まれつき持っている運のことをいう。
「自分は生まれつき運がいい」という場合の「運」はこの先天運がよいということをいう。
この先天運を違う言葉でいうと「宿命」という。
「宿命」とは命が宿ると書くように人の命が母胎に宿った時に生じる運という意味であって、
人は母親の胎内からこの「宿命」を背負って生まれてくる。
いわば「宿命」とは、人がこの世に生を受けてから
その命が尽きる時まで一生背負い続けていかなければならない人生の“荷物”のようなものである。
では、この“荷物”の中にはなにが入っているのかというと、
その人の性格、才能、特質、親から受け継いだ因縁や業、
その人だけに科せられた生きていく上での条件や特典などが入っている。
同時に、この“荷物”は嫌でもそれを途中で投げ出したり取り替えたりすることはできない。
ゆえに、人は自分の“宿命”をよく知り、
それを活かしたり悪いものが表に出ないようにしたりして、
自分の“宿命”に寄り添った生き方をしていくと、比較的楽な生き方ができるといえる。
一方、これに対して人が生きていく中で後から出てくる運を後天運といい、
この後天運を「運命」という。
「運命」を辞書で引くと
「人間の意志にかかわりなく、身の上にめぐって来る吉凶禍福。それをもたらす人間の力を超えた作用。」(出典「広辞苑」)とあり、
人がそれぞれの人生という旅路の道中に起きる出来事のことをいうが、
「人間の意志にかかわりなく、身の上にめぐって来る」とあるように「運命」は予測不能である。
しかし、予測できなければ、人は「運命」の前に無力であり、なすがままになってしまう。
そこで、この「運命」をさまざまな方法によって先読みし予測していく術として“占い”が生まれた。
もし“占い”によって自らの未来、すなわち「運命」を予測することが出来るとすれば、
そこは溝があって落ちるとケガをする危険があるとすれば注意するし、
そこで出会いのチャンスや成功のチャンスがあるとしたり、それに手を伸ばしていけばよい。
こうすることで、途中で変えることはできない「宿命」と違って
「運命」は変えていくことが可能であるといえる。
畢竟、何よりも”よく当たる”占いによって自らの宿命を理解し、
自らの運命をより良い方向に変えていけるとしたら、
我々の人生はよりよいものになると考える。
では、何よりも”よく当たる”占いとはなにか?
――それは縦横無尽に使いこなすことが可能になった時の算命学であると考える。
算命学にはこれまでさまざまな占いにふれてきた私が求めていた答えがある。
さて、『渋谷の父ハリー』では、通常の対面鑑定、メール鑑定のほか、
skype、zoom、Facrbook、LINEなどによるオンライン鑑定も承っております。
いずれの鑑定を希望される方もお気軽に下記のホームページからお問い合わせください。
☆お問い合わせはこちらからどうぞ!
渋谷の父 ハリー田西 “渋谷占い”
その友人が“継続は力なり”で毎日ブログを更新していると聞き、
ここ数年はブログ更新も滞りがちな自らの不精を恥じると同時に大変触発され、
このままではいけないと考えを新たにした。
そこでいまふたたび運命学の探求の原点に立ち返り、
算命学をはじめとするさまざまな占いとその土壌となる東洋史観について、
さらに広く運命学そのものについて、
もっと自由に、ボーダーレスに、そして継続的に綴ることにしたいと思い、
ここに新たなタグ「運命学の扉」を設けることにした。
その♯1は「占いと運について」綴ってみたい。
そもそも占いとは人の「運」を見る術である。では「運」とは何か?
「運」を辞書で引くと、
「①天命。②めぐってくる吉凶の現象。幸、不幸、世の中の動きなどを支配する、人知・人力の及ばないなりゆき。
まわりあわせ。③特によいめぐりあわせ。幸運。」(出典「広辞苑」)とある。
そもそも「運」には先天運と後天運、2通りの運がある。
先天運とは「前世から定まっている運命。」(出典「広辞苑」)のことであり、
人が生まれつき持っている運のことをいう。
「自分は生まれつき運がいい」という場合の「運」はこの先天運がよいということをいう。
この先天運を違う言葉でいうと「宿命」という。
「宿命」とは命が宿ると書くように人の命が母胎に宿った時に生じる運という意味であって、
人は母親の胎内からこの「宿命」を背負って生まれてくる。
いわば「宿命」とは、人がこの世に生を受けてから
その命が尽きる時まで一生背負い続けていかなければならない人生の“荷物”のようなものである。
では、この“荷物”の中にはなにが入っているのかというと、
その人の性格、才能、特質、親から受け継いだ因縁や業、
その人だけに科せられた生きていく上での条件や特典などが入っている。
同時に、この“荷物”は嫌でもそれを途中で投げ出したり取り替えたりすることはできない。
ゆえに、人は自分の“宿命”をよく知り、
それを活かしたり悪いものが表に出ないようにしたりして、
自分の“宿命”に寄り添った生き方をしていくと、比較的楽な生き方ができるといえる。
一方、これに対して人が生きていく中で後から出てくる運を後天運といい、
この後天運を「運命」という。
「運命」を辞書で引くと
「人間の意志にかかわりなく、身の上にめぐって来る吉凶禍福。それをもたらす人間の力を超えた作用。」(出典「広辞苑」)とあり、
人がそれぞれの人生という旅路の道中に起きる出来事のことをいうが、
「人間の意志にかかわりなく、身の上にめぐって来る」とあるように「運命」は予測不能である。
しかし、予測できなければ、人は「運命」の前に無力であり、なすがままになってしまう。
そこで、この「運命」をさまざまな方法によって先読みし予測していく術として“占い”が生まれた。
もし“占い”によって自らの未来、すなわち「運命」を予測することが出来るとすれば、
そこは溝があって落ちるとケガをする危険があるとすれば注意するし、
そこで出会いのチャンスや成功のチャンスがあるとしたり、それに手を伸ばしていけばよい。
こうすることで、途中で変えることはできない「宿命」と違って
「運命」は変えていくことが可能であるといえる。
畢竟、何よりも”よく当たる”占いによって自らの宿命を理解し、
自らの運命をより良い方向に変えていけるとしたら、
我々の人生はよりよいものになると考える。
では、何よりも”よく当たる”占いとはなにか?
――それは縦横無尽に使いこなすことが可能になった時の算命学であると考える。
算命学にはこれまでさまざまな占いにふれてきた私が求めていた答えがある。
さて、『渋谷の父ハリー』では、通常の対面鑑定、メール鑑定のほか、
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いずれの鑑定を希望される方もお気軽に下記のホームページからお問い合わせください。
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