聖なる国 日本

ジェロニモの聖地・パワースポットのプログ。

川崎【王禅寺の琴平神社】⛩️法然の道

2024-04-14 | パワースポット

【琴平神社】

神奈川県川崎市麻生区王禅寺318

王禅寺と言う地名にある神社⛩️


琴平神社の由緒は、江戸時代の名主の志村文之が、讃岐(香川県)の金刀比羅宮を勧請したことによる。

現在の宮司さんはその御子孫にあたるらしい。

 

【御祭神】 天照大神 大物主神 

他に境内には稲荷神社など幾つか摂社が祭られている。

 

銭洗弁天さまも坐されていて、金運アップの御利益があるそうだ。

 

 

天照大神と大物主神(大国主)が、相神の様に並んで祭られている珍しい神社⛩️

 

 

大物主神を勧請した名主の志村氏の出自は不明だが、

初代志村氏は天正15年(1587年)と言うので豊臣秀吉が天下統一に向け征伐に動いていた時期で、

関東はまだ北条氏の領地であり、志村氏の王禅寺村も北条の加護を受けていた。

 

 

王禅寺は、もともと『東の高野山』と呼ばれるほど栄えた東国の勅願寺で、平安時代に醍醐天皇が「王命による修験場」と言う意味で『王禅寺』と名付けた。

横浜市から東京目黒あたりまで寺領があったらしい。

 

徳川家康が関東にやってきてからは天領(幕府直轄領)になって、一部が二代将軍徳川秀忠の婚儀の賜物となったが、

徳川秀忠没後は、徳川家の菩提寺である『増上寺』の寺領になった。

 

東京芝公園にある徳川家菩提寺『増上寺』歴代将軍が眠られる。

 

✨✨✨✨✨✨✨

権力者が目まぐるしく変わった王禅寺村は、寺と村民の間に亀裂が生じていた。

もともとあった神明社(天照大神を祭る神社)を境界の伊勢山に祭ることで決着した様だ。

その後、増上寺側は志村氏を『名主』に任命する事で支配を固めた。


第13代目名主の志村文之丞により、四国金刀比羅宮の御祭神がこの地に勧請され、
⛩️天照大神(神明社)
⛩️大物主神(琴平社)

二柱の神を左右に祭る全国でも珍しい神社となったのが現在の琴平神社の起源だ。

名主の志村文之丞は、

16歳の時から諸国の金毘羅宮に参拝し、四国讃岐の金毘羅宮には45回詣でて御神霊を奉斎したと言われている。


金毘羅大明神は、=大物主神であり、

インド仏教の守護神 クンビラと同一神とされるが、

それにしても何故?

奈良の三輪山の大物主でもなく、

出雲の大国主でもなく、

讃岐(四国)の金毘羅樣を、遠く離れた武州(関東)まで勧請したのだろうか?

少し、繋がりを探ってみた。

 

 

 

✨✨✨✨✨✨✨

徳川家の菩提寺 『増上寺』の寺領の王禅寺村と、
讃岐の金比羅さんはどんな関係があるのだろうか?

現在、皇居の南の芝公園にある増上寺は、浄土宗の寺院で開祖は法然だ。

 


【増上寺法然】

 

南無阿弥陀仏

法然は念仏を唱えることで民衆に仏教を広めたが、既存の仏教勢力からは念仏禁止などの弾圧を受けて、75歳で讃岐の琴平(小松庄)に流罪になった。


どうやら、関東の増上寺と四国の琴平は法然の繋がりかもしれない。


流罪ではあったが法然は「遠くの人々に教えを説くことができる」と喜んでいき、
讃岐の琴平の側ででは「朝廷からの恩寵」だと喜ばれ大変歓迎された。

 

随所に法然ゆかりの史跡やエピソードが今も残されている。

琴平は九条家の荘園であった為、法然に出家した九条兼実に匿われていたとの説がある。


法然は生福寺に入ったと伝えられていて、この頃の生福寺は現在は分からない様だが、当時の荘園内の寺院は松尾寺のみだった。

松尾寺は、後にインド仏教の守護神である金比羅大明神が祭られ、金比羅宮となった。

王禅寺村の名主志村文之が45回参拝したと言う金比羅宮だ。

 

【讃岐金比羅神社】(金比羅宮)


現在、600社ある金比羅神社(琴平神社)の総本宮⛩️だが、


インド仏教の神クンビラを日本神話の神大物主として祭る神仏習合の影響の強い神社であり、

川崎市麻生区の王禅寺の金比羅大明神は、明治時代の神仏分離令の時には寺院として扱われそうになったが、日本神話の神『大物主』を祭る⛩️琴平神社となって、国家神道の時代を生き延びた。

寺領は無くなった現在は「王禅寺ふるさと公園」を挟んで、王禅寺と琴平神社がひっそりと鎮座している。

王禅寺境内には日本最古の甘柿があり、禅寺丸柿と言う品種として今も栽培され「柿生」と言う駅名の由来としても名を残す。

 

✨✨✨✨✨✨✨

最後までご覧いただきありがとうございました🙏


私はいま、たまたま王禅寺の琴平神社近くの病院に手術の為に入院していて、
このブログを書いている。毎朝、小鳥の囀りで目覚めるとても穏やかな場所だ😌、、にしても、右手が使えず書きにくい💦

 


奈良県【高鴨神社】⛩️出雲王朝の界隈

2024-03-24 | 古代ミステリー

【高鴨神社】

奈良県御所市鴨神1110



全国の賀茂氏(鴨一族)の神社の総社⛩️

(※御所市=「ごせ市」と読む)

⛩️御祭神
阿遅志貴高日子根命
(あぢしきたかひこね)
またの名を
迦毛之大御神(かものおおみかみ)

妹の👰下照姫も祭られている。

 


鉱脈の上にある神社で、多くの気が出ていることで知られる。

 

 

神社の案内によれば、
『夏場に参詣されますと、涼しく感じられるのはその為です。「気」は身体にたいへん良く、ぜひ神域を巡られて神様の「気」をお受けになられ、心身共によみがえられることをお祈り申し上げます。』

とのことだったが、確かに
リトリート感のある神社だった。✨✨

 

 

そして、境内にたくさんの神々が祭られていたことも心やすけた。

 

 

 

 

鴨一族の始祖『アジスキタカ彦根』は

大和に繋がる古い神様だが、

大和より古い出雲に繋がりあった神様で、

出雲の大国主命多紀理姫の子。

農業の神様として祭られている。

 

 

 

創建不明だがこちらへ祭られたのは、
出雲の国譲り後かもしれない。


上鴨社⛩️高鴨神社

中鴨社⛩️御歳神社

下鴨社⛩️鴨都波神社

と、三社を呼ぶように、この地域は古くから鴨一族が拓いた農地だった様だ。

 

 

大和王朝にも繋がりが浅からずとしても

それより古い、

葛城王朝とも繋がりがあったと思われる。

 

 

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古事記では、

高天原から「出雲を譲れ」と派遣されたアメノワカヒコにそっくりだったと言うエピソードが記されている。

 

✨✨✨📖

高天原より国譲りの為に派遣されたアメノワカヒコは、出雲にやって来ると

アジスキタカネ彦根の妹💖下照姫と結婚して出雲側についてしまい、高天原陣営から殺されてしまった。しかし、

アメノワカヒコの葬儀に、
アジシキタカ彦根が現れると、

そっくりだった為に「生きていた!」
と驚かれる。

アジシキタカ彦根は、

「自分はアメノワカヒコでは無い」

と怒り、

下照姫もアメノワカヒコではないと否定する歌を詠んだ。

アメノワカヒコは、高天原を捨て出雲に亡命し

出雲の神アジシキタカとなったことを物語る様なエピソードであり、

当時は高天原より出雲の方が勢いがあったであろう事が覗える。

この後、高天原からの

三回目の遠征で出雲はとうとう

高天原側に王権を譲り渡し消滅する。

 

『アジシキタカヒコネ』を始祖とする鴨一族は

王朝を超えて在り続けてきた由緒のある氏族だったのだろう。

 

最後までご覧頂き、ありがとうございました🙏

✨✨✨✨✨✨✨

 

 

 


出雲大社の界隈⛩️Ⅲ

2024-03-19 | 古代ミステリー

今回はパワースポットではなく、

古代ミステリーの投稿です。

 

【スサノオの墓】
出雲大社から車で30分ほど。稲佐浜から海岸線を北上する。


日御崎神社方面、隠れが丘と言う地にひっそりとある。

鳥居をくぐり、暫し緑の参道をゆく。

 

 

スサノオ様の神魂がいつき祀られるところ。

 

 

もともと、美佐伎神社と言い日御碕神社と合わせ

⛩️『日御碕大神宮』と称せられていたのが、

明治時代に日御碕神社に改名されたらしい、、

 

 

【日御碕神社】

 

 

スサノオの墓については奈良説もあるが、出雲ではまずこちらが候補にあがる。


日本神話ではスサノオは、
高天原(新羅)を追放され出雲にやってきて、ヤマタノオロチに差し出されそうになっていた櫛稲田姫(稲田姫)と出会った。

 

【稲田神社】

稲田姫の生誕の地に祭られている。

島根県仁多郡奥出雲町稲原2128-1

 

スサノオはヤマタノオロチを退治して姫を守り、二人は結ばれてスサノオは出雲の王となった。

⛩️出雲大社も、スサノオに命じられた大国主が建てた宮であり、古代出雲の起源はスサノオ無しでは語れない。

 


【八重垣神社】
スサノオが櫛稲田姫をかくまった場所に祭られる

 

 

【須我神社】
スサノオと妻・稲田姫と結ばれた神社

〒699-1205 島根県雲南市大東町須賀260

日本の宮

 

スサノオが稲田姫に詠った

日本の和歌。

 

古事記では、スサノオは出雲の王になったと記されるが、

通説では、スサノオは初代『大国主』になったとされている。

出雲は、
方々の国々と婚姻合併を繰り返し連邦王国となって勢力を拡大した国であり、

出雲連邦王国の盟主の事を

『大国主』と言う。

 

 



四方を海に囲まれた日本列島では、

『海峡を制する者が日本列島を制する』

と言われた程で、

日本海の制海権を持てるかどうかが、
地上の支配にも大きく影響していた為、

日本海側にこうした連邦国ができるのは当然の成り行きだった。

 

朝鮮半島から日本列島へ向かう船は、
リマン海流で南下し対馬海流と合流すると、海流に乗って日本海沿岸の何れかに到着する事になる。

 

この日本海沿岸ラインの国々が、大国主により結ばれて連邦国となったお陰で、着岸地である出雲や越の国の人々は、大陸側半島からの最新式の武器や技術を手に入れられる恩恵を授かっていた。

出雲はその日本海勢力の中心国だった。

大国主(出雲連邦の盟主)と
 
九州の多紀理姫と湍津姫、

新潟の奴奈川姫、

東西との婚姻による大型合併がかなった事で、

九州→朝鮮半島

朝鮮半島→日本海沿岸の

海上ルートは、確実で強固なものになった。

 

 

 

八千矛神、大己貴命、大穴牟遅、宇都志国玉、葦原醜男、など

大国主命には沢山の名がある。

これは大国主命とは一人の人物の固有名詞ではなく連邦の盟主をさして言う王号であり、初代大国主のスサノオの様に、幾人かの王たちの呼び名ではないかとみられている。

大国主命には70人以上の兄弟と、150人にも及ぶ息子がいることからも、
一人の人物ではなく、歴代の人物と思われる。


最後の大国主命が、
天孫族に対して出雲を譲ったと言う
『国譲り』の場所。


出雲大社の西、稲佐浜の近くにひっそりとある。

 

出雲連邦王国は大和王朝に先駆けた前王朝である為、

大和王朝の歴史書である日本書紀には記されず、

古事記の神話の中に描かれている。

 

その描き出しは、征服王朝らしい正当性で勇ましい書き方をしているが、

出雲から大和へと、政権が譲られた

「出雲の国譲り」とは、実際は、

同族・同盟の中のお家騒動であり、嫡系争いによるクーデターの様なものだったようだ。

 

 

 

 

 

 

 


出雲大社の界隈⛩️Ⅱ

2024-03-09 | パワースポット

【出雲大社】素鵞社
(そがのやしろ)

出雲大社本殿の裏にあるスサノオを祭る神社。

「スサノオの御砂」で人気の裏スポット。

稲佐浜からとってきた砂をこちらの社殿の下まで持ってくると、社殿の下にある砂を御守りとして持って帰ることができる。

稲佐浜は、出雲大社から西へ徒歩15分ほど。

稲佐浜

まずこちらへ参拝し、足もとの砂を頂いて出雲大社へお参りをしてから、

その裏側にある素鵞社にお参りして御砂を頂く。



【杵那築の森】
大国主命の住居跡地。

神々が集まりここに大国主命の住まいを築いた事が「杵築」という地名の由来になったらしい。

もともと出雲大社も古来より、

『杵築大社』

と言う社名だったが、明治時代になり出雲大社に改名された。

なだらかな参道を下ってくると右手に開けた場所があるが、杵那築の森はその縁にひっそりと鎮座されている。



【御柱の跡】

大国主命はヤマトでスサノオと出会い、スサノオの娘スセリ姫と結ばれ、
『十種の宝』を手に入れた。

「お前は出雲に行き、兄弟たちを退けて大きな宮を造り大国主命となれ」

と、スサノオに命じられ、

天にも届く様な巨大な宮を造った。


20世紀になり、出雲大社の境内から直径 3mの巨大な柱の跡が発見された。

三本の大木を鉄輪で合わせ一柱の柱としていた。

最大のもので直径 6m、

出雲大社宮司の千家国造家に伝わるとおりであり、

出雲大社は15階建てに匹敵する

高さ48メートルにもなる巨大な建築物だったことが分かった。


古代では96mあったと記され、世界最大の木造建築だったようだ。


スサノオはその後、ヤマト(奈良県)で亡くなったとも、

最後は娘夫婦がいる出雲に行ったとも云われている。

最後まで御覧頂きありかどうございました。


✨✨✨✨✨✨✨

Other shot


…次回は、スサノオのお墓へ。


出雲大社の界隈⛩️Ⅰ

2024-03-02 | パワースポット

出雲大社摂社【命主社】⛩️

 

出雲大社の境内にはなく、境外の右奥にある。

 

出雲大社の銅鳥居をくぐらずに右手の社家通りを行くと、最奥にある密かなパワースポット⛩️✨✨✨

⛩️右折→

 

御祭神 神産巣日神(カミムスヒ)

大国主命の命を救った神。


樹齢千年の名木

 

 

社殿の裏に巨石があった場所とされる真名井遺跡があり、その奥の竹林に磐座が鎮座している。

 

諏訪のミシャグチ信仰の様に、

祠と木がピッタリ寄り添っている。

 

⛩️出雲教【北島國造家】

出雲大社は、 

本殿に向かって左右にある  

左・出雲大社教(千家国造家)
右・出雲教(北島国造家)

と、

中央の出雲大社と、

合わせて三組織が祭る神社がある。

 

【千家國造家】

 

出雲大社と命主社の間にある

『北島国造館』は静寂なスポット✨

 

 

 

結婚式も行なわれる。

 


北島國造館内の亀の尾の滝

 

 


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出雲大社の宮司は、代々、天穂日命の子孫である出雲国造が務めてきたが、
南北朝時代(700年ほど前)に、千家(左側)と北島家(右側)に分裂した。


紆余曲折ありの出雲大社は、

日本の宗教政策史上、極めて興味深い神社だ。

明治時代の「政教一致」と言う宗教政策では、日本は神国であり天皇は神の化身であるとして、明治政府は様々な取り決めを行ってきた。

 

神官の布教を禁止し、全国の神社は神社本庁の包括下に置かれ、伊勢神宮の天照大神を拝み、出雲大社の大国主命は遙拝されず、出雲大社も神社本庁下の神社となった。

しかし、出雲大社の神官らはこの支配からは離れて、千家國造家と北島國造家は、それぞれ別の宗教法人として独立した。

それが

⛩️出雲大社教

(出雲おおやしろ教と読む)と、

⛩️出雲教だ。

 


戦後は、GHQの宗教政策の影響を受け
出雲大社と出雲大社教は統合されたが、


本来、

宗教と信仰は別物であると言う事、

宗教とは民衆に広布する政策的なものだったと言う事が、歴史を通じて感じることができる。

 

 

出雲は、

近代の宗教政策のみならず、

武家社会、貴族社会、

部族社会の時代を超え、

古代、神代より古くから続く聖域で歴史が深い。

伊勢神宮に祭られる天照大神の一族に先駆け建国していた超古代国家であり、

国譲りで、国権を移譲しつつも神権だけは残り連綿と続いてきた。

 

出雲に坐される神々は、

弥生時代より長い間

日本列島の変遷を見守り続けてきたのだろう🌌

声が聴けるものならば、教えを請うてみたい。

 

 

 

✨✨✨✨✨✨✨✨

最後までお読み頂きありがとうございました。🙇


GOD SAVE Theアース❄️風の岬【襟裳岬】

2024-03-02 | パワースポット

「やはり、今年は雪が少ないですか?」

「いつもは、毎週2〜3回は雪カキしとったのが、この冬はまだ3回くらいしかしてない」

襟裳岬の銭湯で居合わせた方に、話しを聴いてみると

こんな答えがかえってきた。

今年は、青森や北海道でも雪がなくて閉鎖するスキー場があった。

風極の地・北海道の襟裳岬でも、風が吹けば寒いが日差しが強く雪が溶ける。

風は冷たいが、陽射しの温かさは本州とそう変わらないのでは?と感じた。

真冬にフリース2枚で北海道を巡ったのも初めての経験だ。

何年か前、

「いずれ本州では温暖化により農作物が採れなくなり産業の中心は北海道に移るので今のうちに北海道の土地を・・・云々」等という話を耳にしたことがあったが、

本当にそんな日が来ることも、遠く無いかもしれない。苫小牧が首都?

今年2月20日横浜で25度を体験した。

それにしても、真冬に夏日って何なんだ…?!

気温も異常だが、それより

異常気象に対する危機感の無さを異常に感じてしまうのは

私だけだろうか、、

『SDGsは大衆のアヘン』とまで揶揄される様にまでなってきたが、

そんな言葉に酔わされたとて、このままでは持続可能な未来は難しいのかもしれない。

毎年ごとに、春一番の様な強風の日が増えている様にも感じる。

温暖化もただ暑くなるのではなく、

寒暖差と強風に揺さぶられながら進行していく。

この日の襟裳は、強い台風並みの風速43メートルが吹き荒れた翌日で、襟裳岬周辺は、ゆうにダフルオーバー(4~5m?)はありそうな波が寄せていた。

冬の北海道では、スノーボードよりも

サーフィンの方が人気になるという日もやがてやってくるのかもしれない🌊

しかし、そんなことより地球は大丈夫なのか??と🌏

襟裳は、本当に何も無い😂

と思ったが、そうでも無かった♨️

ラジウムのお風呂を見つけて寄ってみた。

銭湯なのか温泉なのかよく分からない。

お爺さんが1人浸かっていたが、

「垢がたくさん浮いてるから今、溢れさせて流してるところなんだよ」

と言う。😅

(それって家庭のお風呂でやるやつじゃないか😂)

確かにたくさん浮いている。😱きっちゃない風呂だ!(てか湯の花?)

お爺さん、自分の周りの水面を手でかきはじめて

「そっちの方に流れてくから、かいて流してくれる?」

と言うので、

「分かりました」😂

と、私は流れてきた垢らしきものを湯船の淵に向かって流しはじめた。

いきなり

見知らぬ爺さんと二人、

アカ取りをしていると言う謎の展開🤣🤣

面白すぎる🤣

しかも、アカは

なかなか無くならなくて、上がるに上がれないまま

たっぷり浸かってしまった💦

オープンなお爺さんのおかげで、

全く遠慮はいらず

温まってゆく事ができた。♨️

なんか、歌の歌詞のとおりになったみたいだ😌

風が吹きすさぶ襟裳だからこそ、温かい。

✨✨✨✨✨✨✨✨

最後まで、ご覧頂きありがとうございました🙏😌

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話しは変わって😌脱未来へ、

2ヵ月ほど前、

稲の多年草化プロジェクトで

斎藤幸平さんという方の講演を聴く機会があったが、

最近になってその著書

「人新世の資本論」を読み始めた。

大きすぎて見えない事でも、確実に目の前の事から変わり始め、

自然の恵みと共にある日本の農業は

新しい未来へ歩み始めている様に思えた。


皆神神社の界隈と「不思議な松」

2024-02-22 | 古代ミステリー

皆神山ピラミッドの投稿で紹介して以来、10年ぶりになる。

長野県の皆神神社と、その周辺の投稿。

 

雰囲気もなんとなく変わった。皆神神社を囲い込む様にあったゴルフ場はなくなった様だ。

 

⛩️侍従神社  

 

 

⛩️少彦名命

 

預言の的中が未だ有名な近代の宗教家・出口王仁三郎(大本教)の印象が強く残るあやしい感じはなく、小綺麗な石碑がさりげなく整備されていた。

 

 

開放されて広々とした、空気感が清々しい。

 

 

以前はゴルフ場だったので、裏手から観ることは出来なかったが、

木花咲耶姫が祭られている奥宮は、小さな古墳の様にもみえる。

 

 

 

 

ご祭神 木花咲耶姫を祭る⛩️浅間神社

鳥居の神額には「三国第一」と書いてある。

 

木花咲耶姫は山の神「大山祇神」の娘で富士山の神様。

山梨県の富士新倉浅間神社からの勧請だろうか。

 

「三国第一」をかかげる

富士新倉浅間神社

 

 

【小丸山古墳】

 

頂上の皆神神社から少し下ったところにある。

古墳時代中期の古墳で、このあたりの王の古墳と目されている。

古墳の上には、

大山祇神がひっそりと祭られていた。

 

 

 

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飛鳥時代、西暦645年の大化の改新で、蘇我氏の蘇我入鹿・蘇我蝦夷が倒された後、蘇我派であった古人王(古人大兄皇子)は、身の危険を感じ、

半島への亡命を試み、長野方面から日本海側へ抜ける拠点があった善光寺を目指して逃げた。しかし道半ばで落命し、皆神山付近のどこかへ埋葬されたのではないかという説がある。

一般的には小丸山古墳が『古人王墓』とする説が通説だが、

小丸山古墳は古墳時代中期(約千五百年前)の古墳とされているので、

飛鳥時代(1350年前)の古人王の時代とは違う可能性もあり、古人を祭っている⛩️皆神神社の方が有力なのかもしれない。

 

 

皆神神社の他に、古人大兄皇子を祭る神社は寡聞にして知らない。

 

蘇我氏の甥にあたる古人大兄皇子は、王には即位してなかったとされるが、後に中大兄皇子(天智天皇)が古人大兄皇子の娘・倭姫を皇后にしていることなどから実際は王だったのではないかと云われている。

娘の倭姫に後を任せて出家までして逃げ様としていた事からも、倭姫は姫ではなく王女(皇太女)だった様子もうかがえる。

 

 

なんとなく古墳の様にも見えなくはない。

 

 

小丸山古墳の大山祇神と、

娘の木花咲耶姫を祭る皆神神社

父娘の祭祀は、古人王と娘の倭姫の存在を想起させられる。

 

 

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最後に…。

他に古人王が坐される処は無いのだろうかと皆神山の中を探し、何となく辿り着いた場所。と、『不思議な松』

 

 

なんとなく、、というよりも普通は辿り着かないと思われる場所。

 

 

地域の方が大切にしている聖地というか墓所の様なところだ。

不思議な松、

 

何が不思議かと言うと、

とある石塔を覆う様に斜めに伸びている。

周りの松の木と比べ、斜めに生えているが、

あり得ない角度で横向きに立っている。

 

 

一見して倒木の様にも見えるが、ちゃんと立っている。しかも、

先端は別段他の木に支えられていると言う程でも無い様だ。

何故、倒れないのだろう?

 

根に他の木の根が絡み支えになっているのだろか?

それにしても曲り方がおかしい🤔

 

通常、神木はあり得ない様な伸び方をする事は多い。

木の下には然るべき存在が眠られているのかもしれない。

しかし、大抵は支柱に支えられていて

支えもなく、自重で折れることもなく、

成長を続けている木は見た事がない。😳

不思議な松だった。

 


茨城県パワースポット【⛩️大洗磯前神社】藤原氏の時代

2024-02-07 | パワースポット

【大洗磯前神社】

茨城県東茨城郡大洗町磯浜町6890

⛩️御祭神  
大己貴命(大国主命)
少彦名命
 
縁結びの神様❣️と医薬の神様💊


 

文字どおり、

大洗海岸の磯の前にある神社。

水戸藩主・徳川光圀公(水戸黄門)
の命により今の拝殿・本殿が建造されたとの事。

本殿の、茅葺屋根の曲線美が見事😍

茅葺のこうした意匠は珍しい。 


  

創建の由緒は、

865年、


大己貴命・少彦名命が降臨し、
「東の海で国造りをしていたが、 
また民を救う為に帰ってきた」と言い
建立されたと言う。

⛩️摂社

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大洗磯前神社が創建された

865年は、

藤原良房により天皇の実権が握られ、桓武天皇以来、69年ぶりとなる国家祭祀執り行なわれた年であり、

この創建エピソードは、神社の社伝などではなく「文徳天皇実録」に残されている為、決して無関係では無いと思われ、

当時の中央と東国の関係を考える上では、大変興味深い。


藤原良房を恐れた政敵が、皇太子を東国へ逃がそうとしていた事から、

藤原良房は政変を起こし、皇太子を廃して自分の甥を皇太子にしてしまい、文徳天皇に擁立して実権を握った。

藤原良房は、

日本初の人臣太政大臣・摂政となり藤原氏の摂関時代を開いた大人物であり、

他氏や他藤原氏が排斥され、天皇の実権が藤原良房のものとなった真っ只中に、

大洗磯前神社が創建された事が日本「文徳天皇実録」に記されていると言う事は、常陸の国と天皇家(藤原氏)の関係からも深堀りしてみたくなる。

(🙄古来、東国と言うと鹿島神宮だったが藤原氏系の新たな拠点として刷新されたとか?)

当時は、国造(地方官)が神社の祭祀を掌握していた様な時代だ。

降臨されたと言う、大己貴命様と少彦名命様は、この頃より千年近く前の人物であり、実際には両神に投影される人物がいたのかもしれない🤔


常陸の国と言うと、

鹿島神宮がタケミカヅチを祭っているが、

北へいくと、50㌔間隔程度で

⛩️大洗磯前神社
⛩️御岩神社
⛩️国魂神社
⛩️いわき大國魂神社

と、大己貴命(大国主命)を祭っている
パワースポットが続いている。

まずは、いつかこの

大己貴命樣の四社参りをしてみたい。🙏⛩️

✨✨✨✨✨✨✨✨

最後までご覧頂きありがとうございました。


弥生時代の【金印】の謎

2024-01-31 | 古代ミステリー

【古代ミステリーシリーズ】

久しぶりの聖なる国 日本のユーチューブ配信です。

「金印」について。

約二千年前の弥生時代、日本は中国から金印を二回も授かっていますが、

これらの事は古事記・日本書紀など日本の史書には一切記されてはなく、

何故贈られたのか?? 詳しい事はよく分かっていません。

「日本がそれだけ認められていた国だから」では根拠がなく、

日本の何がそんなに凄かったのだろう?と疑問に思う方もいるかもしれません。

「国」とは言えないほどの村の様な小さな国の、竪穴式住居に住む人々に、

中国の皇帝が金印を送るほどの理由があったのでしょうか?

 

書籍版「聖なる国 日本」の方でも書いていますが、

九州の志賀島で発見された【漢委奴国】の金印は何故、

日本に贈られたのか??

可能性のある根拠について、探っています。視聴時間9.46分

興味のある方はご覧ください。

 

https://youtu.be/160smwMULk4?si=KxvIRXDIttMAyfOJ

 

〜 今回は、BGMを入れてみました。無料で使える著作権フリーのユーチューブ・ミュージックライブラリからのセレクトです。

単発の効果音と違って、音量のバランス決めるのが難しかったです。トークのボリューム10に対して、BGMは1/10ぐらいの音量にしてみました。

正解はあるのかな?

 


母娘で行きたいリトリートスポット✨耕三寺

2024-01-31 | パワースポット

広島県しまなみ海道🌊生口島『耕三寺』

昭和の実業家・金本耕三が、母の慈愛に報いようと昭和11年〜30年余りをかけて建立した浄土真宗のお寺。

全国の歴史的な古建築を模して建てられた堂塔が並び、

西の日光「母の寺」とも称せられる。

新しい寺院だからこそ、歴史的な粋の全てを纏めて建造する事ができる。

古い由緒はないが近代仏教的な世界観は、長い仏教の歴史を持つ現代人に近しい。


 


難しい仏教の教えを学ぶのではなく、

感じるだけで充分なスポット。

まるで魂の壮大なテーマパークの様だ。

 


本堂の右側に、『千佛洞』
と言う地下へ降りていく洞がある。

まずは、地獄絵図から始まり

「六道輪廻」
畜生道や餓鬼道など、人の道から外れたジオラマが続き、

人の道へと進んでいく。

更に進むにつれて、人の道の先には天界が展開され

千の仏さまが並ぶ。

順路は上がりになり、外から差す

光が導きとなり、昇天するかのように

登っていくと、外へ出たところで、

救世観音大菩薩さまが坐されている。 

人の世に生まれ、仏に導かれ、

魂の旅を続けてきた感じがする様な

拝観ルートだった。

 

これで、おしまいかと思いきや、ここから

『未来心の丘』へと、上昇は続いていく。

奥院?ではないが、寺院の奥にある

『未来心の丘』は、

広島出身の世界的彫刻家・杭谷 一東が、

「家族」をテーマに

12年の歳月をかけて2000年に完成した大理石庭園だ。

5000㎡の敷地に、3000㌧の大理石を使って

大小様々なモニュメントが造られている。  


未来の心象風景を、

家族をテーマに造り上げられた世界は、

イタリア🇮🇹やローマ、地中海を彷彿とさせる様な造りでありながらも、

仏界を経た人の心に染み渡る様な

不思議な世界だった。

 

最後は、頭頂に立つ『光明の塔』✨をくぐって終わる。

経典も偶像崇拝も無く、

ただただ仏に導かれた

光の道を辿る様に

光明の塔に至る。

✨✨✨✨✨✨

エーゲ海ではなく瀬戸内海ですけど、

何処にいるのか忘れるくらい不思議な世界でした。

 

 

この場所に、導いてくれた方に感謝✨🙏

 

『母の寺』

という事でしたが、家族や親密な人と行ってみたいスポット✨

 

入館料 1400円

ネットですと高いとの声もある様ですが、

気にはならないほど、心が洗われる様な場所でした。

 

🙄おデコが光っている ✨

 

耕三寺 広島県尾道市瀬戸田町瀬戸田553-2


秦氏の古都『松尾大社』

2024-01-21 | パワースポット

【松尾大社】京都府京都市西京区嵐山宮町3

ご祭神

⛩️大山咋神 ⛩️市杵島姫(中津島姫命)

701年 文武天皇の勅命で、秦氏の拠点に松尾山の神霊が遷座され創建された。

 

秦氏の拠点、太秦(うずまさ)から車で15分程。松尾山の山麓に鎮座されている。松尾橋を渡ると正面に大鳥居がある。

 

794年に平安京が遷都された時は、秦氏は財産を投げうって都の造営にあたったという。

 

 

平安時代には「東の厳神、西の猛霊」と称され、松尾神社は西の王城鎮護社に位置づけられたが、

京都に都が遷される300年以上も前に秦氏が朝廷より賜った拠点であり、一帯は秦氏の古都とも言える様なエリアだ。

 

秦氏は、古代最大の渡来氏族で、日本列島に漢服・呉服の機織りや、養蚕を伝えた。

帰化した後はずっと大蔵省を務め、機織りや養蚕、干拓や製鉄などを伝えて全国に殖産を拓いてきた。

稲荷神社や八幡神社など、全国の神社の半数以上は秦氏由縁の神社だ。

 

御祭神の1柱である『大山咋神』はお酒の神様として崇敬を集めていて奉納酒が並ぶ。

 
 

【境内】

縁結びの松

 

上古の庭と神宝館

館内では、秦氏が崇敬するもう一柱の御祭神『市杵島姫』さまの木像や、秦氏の系図が拝観できる。

 

裏手の松尾山側にもひっそりとしたスポットがあった。

 

滝御前宮

 

丁度、御来光タイムだった。

 

✨✨✨✨✨✨✨

秦氏と言うと、メディアでは古代ミステリー的な表現で取り上げられている事も多いが、

こちらは、そうした喧騒からは離れ、

秦氏のリアルな軌跡を感じられるスポットだった。

 

付近には、秦氏ゆかりの古跡が多い。

 


三角鳥居で有名な、木島坐天照神社 

 

 

広隆寺(太秦寺)

聖徳太子(上宮法王)と、秦氏由縁の寺。秦河勝による。

 

 

 

⛩️大酒神社 

秦の始皇帝や弓月君を祭る

秦氏の拠点だけあって

古代の大陸から渡来した古族らしい、古跡が残されている。

松尾大社の周辺は、1日かけてゆっくり周りたい

古代日本を偲ぶスポット。

 

✨✨✨✨✨✨✨

最後までご覧頂き、ありがとうございました🙇

 


和歌山県【紀伊の国ノ宮】⛩️日前神宮・國懸神宮

2024-01-09 | パワースポット

和歌山県和歌山市秋月365

和歌山県を横切る中央構造線の近くに、鏡を御神体とする神宮が二社並ぶ。総称して『日前宮』とも。

珍しく短めの投稿です、、😌

 

 

 

左側⛩️日前神宮(ひのまえ神宮)
御神体🧿日像鏡

御祭神
天照大神(日前大神) 
思兼命
石凝姥生命

 

右側⛩️國懸神宮(くにかかす神宮)
御神体🧿日矛鏡

御祭神
玉祖命(豊玉神・天明玉命) 
天目一筒神
細女命

 

天照大神の岩戸隠れの時、岩戸を開く為に力を合わせた神々であり、

ニニギ命の天孫降臨の時には、
天照大神に命じられ同伴した神々が祭られている。

 

天孫族直属の鍛冶職人でもあり、
皇室と繋がりのある神宮の名に相応しく、
古事記の神話の世界と、日本書紀の現実の伝世品の世界を繋ぐ神々たちで、

鏡、勾玉を作った神々(鍛冶職人)

 

摂社

 

 

 

 

✨✨✨✨✨✨✨

御覧頂きありがとうございました。


辰年に行きたい🐉【龍の神社10選】

2024-01-01 | パワースポット

辰年【10選シリーズ】🐉龍の神社。

画像の投稿です。

 

1. 埼玉県『聖天宮』五千頭の龍🐉

 

五千頭の龍が圧巻の🐉龍づくしの台湾の神社。

台湾から宮大工さんらが来日し、15年の歳月をかけて竣工された。

 

 

 

2. 神奈川県⛩️箱根神社『九頭竜神社』

 

九頭竜神社奥宮 

 

平和の鳥居

 

 

3.熊本県⛩️神龍八大龍王神社

 

4.新潟県白山神社⛩️黄龍神社


白山神社の境内にある摂社




5. 奈良県⛩️室生龍穴神社 

 

ご祭神 善女龍王

 

 

6. 熊本県「幣立神宮」摂社・東御手洗池

 

 

7. 琵琶湖竹生島🐉宝厳寺八大龍王黒龍様

八大龍王様は中国からの伝来仏教の龍神様。

琵琶湖に浮かぶ竹生島の宝厳寺には、八大龍王の一尊「黒龍」様が坐されている。

 

 

 


8. 長崎県「壱岐の島」龍光神社✨七本爪の龍

 

 

龍は爪の数によって神格が違う。通常は三本爪だが、中国皇帝は五本爪の龍を祭る。

こちらの龍はなんと七本爪。

 

 

9. 京都府⛩️籠神社奥宮【真名井神社】 

 

伊勢神宮外宮に祭られる豊受妃大神を祭る。

 

龍神を祭っている神社ではないが、狛犬のかわりに「龍」が迎えてくれる目珍しい神社。

 

 

 

 

10. 長野県⛩️『戸隠神社奥宮』九頭竜神社

 

本殿の手前にある九頭竜神社

 

✨✨✨✨✨✨✨✨✨

 

龍のいる📷Other Spot

 

🐉江ノ島神社

龍神さまは奥宮の奥に坐される。

 

 

🐉千葉県 玉崎神社⛩️五本爪の龍

有名な玉前神社より北に50㌔ほど行った所にある。

見事な五本爪の龍

 

 

🐉熊本県白川吉見神社🔮白川水源水晶館の竜

 

 

↓↓↓こちらは、行きたくても行けないかもしれない、、貴重な龍神さま。

🐉奈良県【八大龍王姫松明神】

 

奈良県の玉置神社に行く途中、密やかに坐されている。

 

 

 

🐉東京『金吾龍神社』

こちらは、マンションの一室にある。貴重な龍神さま。

東京都渋谷区代々木2-26-5バロール代々木510

お一人でされている様で、室内でもあり多くが参拝することはできない。

予約優先で、数時間待ってお参りできる場合も。

画像は、北海道金吾龍神社の龍がうねる様な枝。

北海道、最古の龍神と言われ東京に移る前は小樽に祭られていた。知る人ぞ知る神社。

今はもう閉鎖されていてお参りは出来ない様だ。

 

✨✨✨✨✨✨✨✨ 

龍は中国の伝説上の存在で、

八大龍王が、北伝
九頭竜様が、南伝
と、言ったところだろうか🤔


南方の香港九龍城や、九龍半島などで使われている様に、「九」は中国では縁起の良い数字。

八大龍王は、 
インド仏教の蛇神が中国に伝わり、中国人が蛇神を全て龍神に変えてしまった事で生まれた中国仏教の守護神。
 
日本でも「蛇神も龍神も同じ」として一緒にしてしまう考え方もあるが、  

インドでは、蛇神はどこまでも蛇神であり、龍神と言う発想はない。

中国も、仏教の八大龍王を除けば、

蛇神は蛇神、龍神は龍神で、

辰年、巳年、とある様に龍と蛇はきっちり分けている。

来年巳年には、蛇神特集を投稿してみたい。

🐍いよいよ還暦だ💦

 

最後まで御覧頂き、ありがとうございました。

🙏

 

山口県岩国市『白蛇神社』

2023-12-29 | パワースポット

【岩國白蛇神社】⛩️

山口県岩国市今津町6-4-2

 

ご祭神 

宗像三女神
✨田心姫 湍津姫神 市杵島姫

宇迦之御魂神

 

 

 

 


岩国市今津には、世界でも珍しい『白蛇』が棲息していて、古くから白蛇への崇敬があった。

 

 

白蛇の信仰は水の女神弁財天と習合され、

金運の神として崇められる様になり、

地域の白蛇保存会の人々の手により、

広島の厳島神社から宗像三女神を勧請して

半世紀をかけて平成24年に建立された

新しい神社だ。

 

 

信仰と宗教は、本来別ものだが、

信仰がまず先きにあった典型的なかたちかもしれない。

 

 

弁財天は、もともと
インドのサラスヴァティーという水の女神・音楽の神様だったが、

インド仏教が中国に伝わると、
中国の才能と財運の神様『弁財天』になり、

弁財天が中国から日本に伝わると、

宗像三女神の

市杵島姫と習合される様になった。

聖名を変えながら旅をしてきた女神様だ。

白蛇とは、直接関係は無いと思うが、

金運✨財運✨

と言う御利益では、強力な組み合わせなのだろうか🤔

 

 

 

 

白蛇資料館では白蛇を拝観する事ができる。

 

 

白蛇様の信仰は各地にあるが、

実際に白蛇の棲息地に祭られる神社は、

世界で一つ、唯一無二かもしれない。

 

 

 

 

最後までご覧頂きありがとうございました🙇✨


不思議なパワースポット✨養父神社⛩️

2023-12-19 | スピリチュアル

パワースポットですが、久しぶりにスピリチュアル系で投稿します✨

 

知る人ぞ知る『養父神社』✨⛩️

 

歴史的興味から行きたいと思いつつ、

なかなか行く機会がなかったが、

今回は、ピンポイントで兵庫県養父市を目指して行った。

 

横浜から向かう途中🚙、滋賀県甲賀市で一泊して

翌朝、ホテル近くの神社にお参りしてみたら

ナント!😳そこも養父神社だった。⛩️

 

【滋賀県⛩️養父神社】

養父神社と書いて「やぶ」神社という。

 

養父神社は兵庫県養父市(やぶ市)から、西日本に広がるが、

こちらが最東端の養父神社かもしれない。

何れにせよ、関東人にとっては珍しい神社だ。

 

 

御旅所(神輿で廻ってきた神様が留まる所)があった。

 

朝のお参りを済ませ、⛩️養父神社から200キロ離れた

兵庫県養父市の⛩️養父神社へ向かう繋ぎ参りに🚙

 

 

【兵庫県⛩️養父神社】

ご祭神

倉稲魂命(ウカノミタマ)

少彦名命(スクナヒコナ)

大己貴命(大国主神)

丹馬道主(谷羽道主命)

船帆足尼命

 

養父神社は、山陰本線沿いにある。かつてあった下の参道は、明治時代に開通と共に削り取られててしまった。

 

参道下の見事な竹細工。ライトアップされたらさぞ幻想的だろう

 

 

 

養父神社は日本海側から大和へ向かう途中の拠点があった場所で、

高句麗や魏国(燕国)の慕容氏とも関係があると考えられている。

 

歴史的所以は深い重点的な場所で、コウノトリの群生地としても知られていた。こちらは三宮になり、頂上が奥宮だったらしいが、御祭神でもある丹波道主の居城だった様だ。

日本国時代は、国内での争いの為の要衝に拠点が築かれたのに対し、

もっと古い、古事記が編纂されるよりも数百年前の

和国時代は、海外からの侵攻や上陸の為の要衝に拠点が築かれていたのが特徴的だ。

しかしそうした歴史的な興味とは別に、何と言うか、 ただならぬ感じが漂う空間だ。

 

宇宙飛行士が宇宙から光の柱が見えたという場所にある茨城県の御岩神社、

発行現象や群発地震で有名な長野県の皆神山ピラミッドの登頂の皆神神社のような印象を受ける。🤔

ここで 出口王仁三郎や竹内文書などの所以などがあれば ミステリースポットとしても紹介できそうな雰囲気だが、そうした感じではなく由緒はもっと古い様だ。


知る人とぞ知るスポットで、

全国から霊能者や医師など様々な人が訪れるという。

 

 

本殿は江戸・明治で移設されているが、聞くところによれば本殿である養父神社は実は本殿ではなく、右の奥にある山野口神社こそが本当の本殿とも言われている、

 


本殿の前にある狛犬と、狼が2基並んでいる。

後ろで尻尾を上げている方が駒狼で、

この狛犬と狛狼が並んでいる間はパワーゾーンになっていて、この間に立つと良いという。

 

 

 

【山野口神社】

御祭神 大山祇神

大山祇の神さまは厳格な神様で、お参りする時は、

頭を直角に下げる。

 

山野口神社は不思議な現象や、不思議な写真が撮られることでも密かに知られている。

丁寧にお参りをしてから、どうか不思議な写真を撮らせてくださいと、お願いしてみた。

 

着いたばかりの頃は黒雲に覆われ雨もちらほら降っていたが、

にわかに雲が割れ陽が顔を出し、なんとも不思議な写真が撮れた。

 

 

光量の変化だと思うが、不思議な写真であることには違いない。

 

 

 

 

 

不思議なスポットだった。

 

お読み頂きありがとうございました。✨✨✨✨