信の信州からの贈り物

信州で単身生活 6年、その間に魅せられた信州の大自然。そして関東周辺の自然と花々を織り交ぜて発信しています。

下総水郷 佐原の街並み

2022年01月24日 | 街紀行



お早うございます、信です。
昨日も雲の多いどんよりした一日でしたが、今朝もその雲が残って青空が見えません。道路も昨夜夜半に降った雨の跡が残っているようです。

明日から大寒の次候になりますが、今朝はその寒さも和らいだ感じがします。
季節の移ろいも花が感じるように、春へ春へと向かっているのでしょうか。




さて下総水郷 佐原の街に戻ります。
こちらは東海酒造さんの堂々の門構えです


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佐原には30を超す酒蔵があったようです 


酔ってこんな感じで小野川の畔を歩いたものか


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また遊覧船のこたつ舟が往きます。船頭さんはうら若き女性です


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酒屋さんのレトロな看板


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街灯にも祇園祭の山車のオブジェ


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芋アイスの幟にそそられます


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川の北側です


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こちらは南側


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和紙の並木屋さん


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和雑貨の中村屋


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鰻のちよ福さん


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伊能忠敬さんの家もこの並びでした 

何気なく入りましたが
伊能忠敬さんにお迎え頂きました


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     豪華なひな人形です(これは香取市民の寄贈品でした)

     
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台所を抜けて


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何気なく測量の「御用」の幟と、測量の道具が置いてありました。

中庭へ


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     勝手口でしょうか
    
     
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こじんまりした商家でした


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測量法発布の昭和24年6月3日を記念して、平成元年に「測量の日」が制定されています


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     この中庭にあった伊能忠敬さんの銅像

     
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     駅前にあった銅像より親しみやすく、これが忠敬さんの実像に近いのだと思いました。
     意思は強いながらも、いかにも腰が軽く、いなせな好々爺を思わせます。

色んな測量の道具が締まってあったろうな蔵でした


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婿入りして隠居する50歳まで住まわれた旧宅です。
隠居してから、ここから江戸へ出て天文学等を勉強し、55歳で蝦夷測量旅を始めます


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伊能忠敬さんの家訓です


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伊能忠敬の作った家訓(1791年)

 第一 仮にも偽りをせず、孝弟忠信にして正直たるべし
    (少しも嘘をつかず、正直にしなさい)

 第二 身の上の人は勿論、身下の人にても教訓異見あらば急度相用堅く守るべし
    (どんな人のいうことでも役にたつことや、正しい意見であったら必ず用いて守りなさい)

 第三 徳敬謙譲とて言語進退を寛裕に諸事謙り敬み少も人と争論など成すべからず。
    (言葉と行動を緩やかにして,万事へりくだって、謹んで、少しの争論もしてはならない) 
(従心会倶楽部hpより)

関係資料 国宝2345点 
敷地内に大きな倉庫があったようですが、今は「伊能忠敬記念館」に移転されたようです。

伊能家の前の樋橋です


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元は小野川の水を、対岸の水田に引き込むための水路(樋)が両側にあって、水が溢れて通称「じゃあじゃあ橋」と云ったようです。
今は観光用に30分に一回、水路を開いて水を流しているのだとか

そのすぐ横が遊覧船乗船場です


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小野川の街並みを堪能して駅に戻ります。
鉢植えの蠟梅が良い香りでした


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     駅前の伊能忠敬さんの銅像です

     
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トリミングして比べてみましたが、私には旧宅の中庭にあったものが、実像に近いのではと思っています。
      

皆さまはいかがでしょうか。明日は成田山新勝寺です。


 撮影日: 1月22日
 撮影場所:水郷 佐原・小野川の街並み


それでは皆様、ご機嫌よう。








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2 コメント

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Unknown (takayan)
2022-01-24 19:26:54
こんばんは。
伊能忠敬の生誕地なんですね。
まともな測量機器もない時代に、今の地図と変わらない
日本地図を作り上げたことが信じられませんね。
立派なお屋敷が並ぶ古い街並みは、街道歩きが好きなはりさんなら、
興味津々で見ておられることでしょう。
「じゃあじゃあ橋」の風景は面白いですね。
寒い時期ですが遊覧船も賑わっているようです。
先日からの寒さも一段落し、こちらでも今日は10度くらいになり暖かい1日でした。
水郷佐原 ()
2022-01-25 08:32:35
takayan師匠>

お早うございます。
伊能忠敬の生誕地は九十九里町です。
佐原は17歳の時に婿入りした、伊能家の旧宅があったところです。
忠敬は伊能家の跡継ぎとして50歳になるまで、家業を守り、盛り立て、隠居して家業を長男に託し
趣味であった天文学の勉強のため江戸へ出ます。
本来はその先生との会話から「江戸から蝦夷までの、子午線の長さを測れば地球の大きさが分かる」というところから
忠敬の蝦夷測量御用が始まったようです。
その真摯で実直勤勉な性格から、あれほど正確な地図が作られたものでしょう。
はりさんもそうでしたが、この人の生き方は私も大いに興味を持ちました。
コメント有難うございます。

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