伝統ある英国の10吋ユニットで、いい音で音楽を聴きたい・・・・・

音楽好きの、古いオーディオ機器10吋TANNOYを改良そて聴くダメオヤジの金ちゃんです。

秋の恒例、日展「書」部門の六本木近くの国立新美術館を見学する・・・。

2021年11月18日 | 日本史の考察

最近日本は流行病も落ち着きさざなみ以下の様子になり外出もできるようになった。オリンピック開催当時が一番感染者の疑いのある人は多かった。このまま収束に向かうことを願うばかりである。

今回は秋の散策として、写真多くの掲載になります。
まず靖國神社参拝から、靖國神社は明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた招魂社がはじまりです。



明治7年(1874)1月27日、明治天皇が初めて招魂社に御親拝の折にお詠みになられた「我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき」の御製からも知ることができるように、国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社です。

銀杏の木も色づき始め冬が近づき始めました。紅葉の美しい時期になります。



私の母の実兄が先の大戦で、南方で玉砕し、御霊は靖国にに祀られてたと言っていた、母の弟はまだ元気で偶に合うと、当時予科練に志望して見事受かり、後少しで土浦出兵に行く間近に敗戦を迎えたと言う。叔父はは何度も靖国神社には訪れていると言っていた。筆者は関東に住んで居ても、参拝には訪れる機会もなく、親戚の叔父さんとの関係もあり今回、靖国詣を行いました。

私の実家蒲郡の三河湾を臨む三ヶ根山上に、東京裁判により昭和23年に絞首刑を執行された七人の方々の墓があります。
処刑には米・中・ソ・英の連合国代表が立ち会い、七人は陛下の万歳を三唱して台上の露と消えました。この時、マッカーサー司令部が七人の遺体も遺骨も家族に渡すつもりがないことが判明し、なんとか遺骨だけは手に入れたいと考えた人たちがありました。
彼らは深夜、七人が火葬された横浜市久保山の火葬場に忍び込み、苦心のすえに遺骨の入手に成功します。遺骨は横浜久保山興禅寺を経て、松井大将建立の熱海伊豆山の興亜観音堂に安置されていました。
当時、国の責任を極刑で一身にうけ、刑場の露となった殉国者に、日本の世情は冷たいものでした。長らく遺骨の埋葬さえ許されず、回向すら人目を避けて行わなければならなかったのです。
 殉国七士とは以下の方々です。
  東條英機氏(元首相・陸軍大将)
  土肥原賢二氏(元陸軍大将)
  広田弘毅氏(元首相)
  板垣征四郎氏(元陸軍大将)
  木村兵太郎氏(元陸軍大将)
  松井石根氏(元陸軍大将)
  武藤 章氏(元陸軍中将)
いずれも大東亜戦争開戦時に日本国の指導的立場にあった人たちです。日本の敗戦により「A級戦犯」の名のもとに裁かれ、遂には絞首刑を宣告されました。


実家に戻った時には七人の方々の墓のお参りもさせて頂きました。三河湾が一望でき晴天時は綺麗な三河湾が一望でき、また夜景も綺麗である。

我が国には今も、死者の御霊を神として祀り崇敬の対象とする文化・伝統が残されています。日本人は昔から、死者の御霊はこの国土に永遠に留まり、子孫を見守ってくれると信じてきました。今も日本の家庭で祖先の御霊が「家庭の守り神」として大切にされているのは、こうした伝統的な考えが神道の信仰とともに日本人に受け継がれているからです。
そして同様に、日本人は家庭という共同体に限らず、地域社会や国家という共同体にとって大切な働きをした死者の御霊を、地域社会や国家の守り神(神霊)と考え大切にしてきました。
靖國神社や全国にある護國神社は、そうした日本固有の文化実例の一つということができるでしょう。



鳥居が大きく壮大である、慰霊の庭「さくら陶板」が佇む。
この桜をモチーフにした”さくら陶板”は靖國神社御創立150年記念事業に際して、英霊にゆかりのある各都道府県の土を用いて現地の陶工達により制作・奉納されたものです。
英霊へまごころをこめ、伝統の技によりつくられた陶板一枚一枚が慰霊の心とその継承を表現します。



平日もある程度は参拝者もあり、最初見に入ったのは銅像であった、誰か案内を見ると「大村益次郎」の像であった。

明治26年、門人らの篤志(とくし)で完成したこの銅像は、日本最初の西洋式銅像で、たちまち東京の新名所となりました。
高さ12メートル。彫刻家 大熊氏廣(おおくまうじひろ)制作です。

筒袖羽織(つつそでばおり)に短袴(たんこ)を着け、左手に双眼鏡を持った大村益次郎銅像は、江戸城富士見櫓(ふじみやぐら)から北東方面の上野に籠もる彰義隊(しょうぎたい)を凝視している姿をモデルにしたとも言われています。
銅像台座の文章は三條實美(さんじょうさねとみ)による大村益次郎顕彰文です。
弓矢をデザインした鉄柵と大砲8門(もん)が配置されていましたが、昭和18年に撤去され、陸軍省に献納されました。

「日本陸軍の父」といわれ、司馬遼太郎作「花神(かしん)」の主人公ともなった大村益次郎(村田蔵六)は、長州藩の出身で蘭学にすぐれ、維新政府に参画して、近代的軍隊の基礎を作りました。



本殿にて参拝する。秋晴れの気持ちの良い時の靖國詣であった。近代日本史を再度見直してみることの大切さを感じます。


最近の支那の振る舞いは遺憾砲では限度があり、今までの様な国の守りには十分とは言えず、強固な準備する必要が要する時代になってきた様である。



遊就館は明治10年の西南戦争が終わるころ設立の構想が出され、同12年に陸軍卿・山県有朋を中心に、「御祭神の遺徳を尊び、また古来の武具などを展示する施設」として構想され、イタリアの雇教師カペレッティーの設計により、明治14年にイタリア古城式の建物が竣工し、翌15年2月25日に開館式が行われました。



遊就館には零戦52型が展示されている、近い距離で細部が見られ、当時は従事ビスはなく、マイナスネジで作られ、注意深く良く細部を覗くと、如何にも手作り感のある、丁寧な仕事がされた美しい機体を見ることが出来た。

噂では北京冬季オリンピック終了時以降危ないとされる、支那と台湾関係に歪みが入れば対岸の火事では済まなく、尖閣・沖縄・九州も含め日本も参戦になる、日本の親中議員の態度は如何に?危機存亡の時のようである。

現在製作中の第6世代とも言われる、令和の令戦F3も当然このような美しい機体とが仕上がることと、平和が続く事に期待しましょう。


栄エンジン搭載の、日本を代表とする艦上戦闘機零戦52型の勇姿である。よく見るとオートメーション作りではなく、大切に作った戦闘機でもある。当時の戦闘機の中でも日本産の航空機は実にスマートで美しい機体が特徴であると思えるのは筆者でけであろうか?同時代活躍した陸軍の隼も美しい機体である。

昔から海洋国日本は海と共に発達を遂げた国であるが、今や台湾を初め、尖閣を含めた島々が危険なシグナルを出し始めている。
今や時間が余りにも無く、平和ボケした国民が多く、遺憾砲では間に合わない状態となったようである。



丘蒸気C56も展示してある、黒船が日本に来て、その黒船の模型を僅か一年程で作り、種子島に伝わった火縄銃も刀鍛冶の作った種子島が有名で、最近の火縄銃の大会でも日本製のものが命中率は高いそうである。

又日本は遺跡がが多く、徐々に明らかになって行く、日本の歴史も新しいテクノロジーによって解明されていく今後どのような発見があるか楽しみでもある。



靖国神社前近くで友人と待ち合わせ、六本木近くの国立新美術館に彼の車に便乗する、但し駐車場探しが苦労する。



この後は私の妹は、子供次代から「書」を嗜み以前から日展の応募していたが、この度入選となり、国立新美術館の日展会場に筆者の友人と訪れた。

国立新美術館は、コレクションを持たず、国内最大級の展示スペース(14,000m2)を生かした多彩な展覧会の開催、美術に関する情報や資料の収集・公開・提供、教育普及など、アートセンターとしての役割を果たす、新しいタイプの美術館です。



建物前で記念写真を・・・・・こうして見ると都内も意外と木々が多く、自然が感じられる町並みは世界的にも話題となる都市と思う。


内外から人やモノ、情報が集まる国際都市、東京に立地する美術館として、「美術」を介して人々がさまざまな価値観に触れる機会を提供し、相互理解と共生の視点に立った新しい文化の創造に寄与します。

この建物は黒川紀章・日本設計がデザインされこの美術館のコンセプトは “森の中の美術館”手前には青山霊園があり、都心にありながら周辺は割と緑豊かな環境となっています。
工事時期は4年程ですが、設計も含めると実に20年以上もの時間をかけてプロジェクトに取りかかっています。



設計段階で相当、国と揉めたんではないかと想像してしまいます…。
ちなみにこの敷地は、二・二六事件ゆかりの旧日本陸軍歩兵第三連隊駐屯地の跡地であり、旧歩兵第三連隊兵舎が一部現存された別館があります。
その兵舎の全体像の模型が、美術館の入口近くに展示されています。




そして「書」会場に多くの入選作品より意外と苦労して妹の「書」を見つける、以前と比べバランスが良くなった様に感じた。

下記が入選作品であった。写真に認めた


名前も記念にカメラに収めた。



今後も続けて入選すると良いですね、益々の精進を期待する限りです。

そしてIFにて寛ぐ、勿論コーヒータイムである。天気も良く表のデッキで頂くコーヒーは美味く、表の木々も秋色に染まり始めている。確かに東京は意外と自然が多くこの街並みは好きである。


記念に写真を撮ってみました。


この時期の屋外での温かい珈琲は実に美味い。


モニュメントでもある、ガラスの茶室である。


前から一度参拝に行きたかった靖国神社詣と、黒川紀章デザインの国立新美術館見学は有意義な1日であった。
そして近くの駅まで友人の車で送って頂き帰途につきました、ブラボー!

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