「属」することは、本当に幸せなことなのだろうか。

お知らせです

2016-07-29 21:45:33 | 日記
お久しぶりです。
そしてお知らせです。

はてなブログさんのほうへ居を移し、「逢魔時堂」という小説の執筆を開始しました。
そちらも是非ご覧になっていただけると幸いです

よろしくお願い致します。
暑い日が続きますね。熱中症にはくれぐれもお気を付けくださいね!

逢魔時堂


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第一話 誕生日

最終章.ジグソーパズル

2016-07-03 18:00:00 | 小説
父と母が逝ってから、もう五年の月日が流れた。

母を見送り、その二週間後に父を見送り、私は喪主を務めた。
兄姉たちは何も言わずそのことを認めてくれた。

その後、度重なるストレスと疲れで声が出なくなり、
まる二年間仕事から遠ざかった私だったが幸いなことに二人の息子――特に県外に居住して帰郷がままならぬ長男の分も含めて、
いつの間にかすっかり成長し頼もしくなった次男が色々な面で私をフォローしてくれ、
なんとか健康を取り戻すことができたのだった。

そして同様にお店を閉店した後のバスの時間待ちの、
僅かな間をぬって慌ただしく立ち寄る私に、
黙ってメニュー以外の軽食を用意してくれていた近所のピザ屋のマスターや小料理屋の女将さん。

お店を辞めたあとも私をフォローし続けてくれ、今もことあるごとに駆けつけてくれるあやちゃんやいずみちゃん。
いつも黙って話を聞いてくれ続けたさっちゃん、うめちゃん、久美子さん。
仕事の上でも支援をし続け、見守ってくださっている沢山の方々。

あの時も今も、気が付けば私はなんと沢山の人たちから無償の愛をもらい続けていることだろう。

その人たちはまるで私がこの世に生まれ、
巡り会えた本当の家族のようだと、ふと思うことがあるのだ。

”家族”という言葉は表現として適切ではないのかもしれない。
なんと言ったらいいのか……あえて失礼を承知で言わせてもらうとしたら、
私が人生をかけて作ってきたジグソーパズルのピースのようなのだ。

幼い時から感じ続けた疑問や戸惑い、そして淋しさや苦しさ。
どこに何を置けばいいのかもわからず、縮こまっていた私の人生のパズルは、
その人たちの無償の愛や導きによって一つ一つ埋められてきたように思えるのだ。

なくてはならない人たち、私の心を埋めてくれた人たち、出来事。
そして風景、音、空気、空の色。
手さぐりをしながら書き始めた私小説ともいえるこの物語は、
驚いたことに日本はもとより海外でも読んでくださっていらっしゃるという。

私という人物がどこの何者かもわからないのに、
私が行ったこともない地方や外国、
出会うこともないだろう方々が「志穂」の魂の成長を見届けてくださったことに、
なんとお礼を言えばいいのだろう。

その方たちが寄せてくださった無償の愛も、
沢山のピースとしてこのパズルを埋めてくださっている。

なんとありがたいことだろう。
そしてなんと力強いことだろう。

私は決して一人ではない。
私はこの絵を一生をかけて作り続けていく。

去っていった人たち、逝ってしまった人たちも、大切な大事な思い出というピースなのだ。

そしていつか、私も一片のピースとなって誰かの心を埋める存在になり得るだろうか。
誰かの心にとって必要なものとして寄り添うものとなり得るだろうか。

不器用な私は何度もつまづき、幾度も立ち上がり、無駄とも思える時間を過ごした。
言い訳やら虚勢やらを繰り返した日々だった。

でもそれも私の人生のピースだと思う。
その部分を隠すつもりはない。なぜならばそれが私という人間なのだから。

まだまだ完成しないこのパズルに、私はこれからどんな一片を埋め込んでいけるだろうか。
そして若い頃に夢見た残り香のように誰かの記憶に残るような、そんな存在になり得るだろうか。

駄作でもいい。平凡でもいい。
そんな絵を作り上げて、私は宿題を終えられたらと思う。
それが次に命を育む人たちの大切な糧となるように。


そして、それはまるで役目を終えて次にその座を譲っていく杠の葉のように。


おしまい



ユズリハ 樹高H:2000mm




これにて五月より始まった「属」は完結となります。

こうして振り返っていくと、人生はどれだけ沢山の人に出会い、沢山の出来事があるのだろう、と
しみじみ思います。

読んでくださっている皆さんの「ジグソーパズル」は、
一体どのような絵になるのでしょうか。

約二か月もの間、決して明るく、楽しい話では無いにも関わらず、
沢山の方々に読んでいただいたこと、深く感謝を申し上げます。
本当にありがとうございました。



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またお会いしましょう

36.遺言

2016-07-02 20:37:50 | 小説
 こうして、思いもよらぬ形で母は逝った。

 母の葬儀には驚くほどたくさんのご友人や近隣の方々が参列してくださり、
私は受付に母の作品をいくつか展示して、個展のような趣きに演出をした。

 通夜・告別式の間中、携帯電話を握りしめ、
ひたすらこの間だけでも父の急変が無いことを祈り続けていた。

 父さん、こらえて。もうちょっとこらえて。
この二日間だけは踏みとどまって――とひたすら祈りながら。

 二日間何事もなく、とは言い難い相変わらずのトラブルはあったものの、
在りし日の母を偲んでくださる方々の心温まるお言葉は本当にありがたく、
母の遺影も心なしか微笑みを浮かべているようで私は少し安心した。

 母の葬儀の翌日、病院の父の元へ向かった私は部屋の前でぎこちない笑顔を作り上げて

「父さん元気? ごめん、仕事が忙しくってちょっと来れんかったの。淋しかった?」

 と明るく語りかけた。

 父は微かに笑い、小さく首を振った。
そして、私のお喋りに付き合ってくれているようだった。

 黙っているのが怖かった。私は無駄に口を動かし、無駄に笑っていた。
父は黙って私を見つめていた。ふと見ると口元が小さく動いていた。
最近はほとんど発語がなくなっていた父だった。

「なに?」

「父さん、なに?」

 と、私は父の口元に耳を寄せた。

 ぜいぜいという息遣いの中で必死で父は何かを話そうとしている。

「し」

「し?」

「あ」

「あ? あ? なん?」

「せ」

 せ? しあせ? しあせって何なのか? 
しらせ? それとも、しあわせ? なのか――。

 そのとき、私にふと蘇った一コマがあった。

 それは離婚して間もない頃、
父と私の二人だけの時間があって私たちは会話もなく黙って外を眺めていたのだ。
不器用な親子の時間が流れていて言葉にならない思いが時間を作っていた。

 そのとき、父がぽつん、と言った。

「時が解決してくれる」

 ぼんやりと父を見返した私に、

「志穂、幸せになれ」

 と、ぶっきら棒に言い置いて父は部屋から出て行った。

「父さん、幸せになれ?」

 父の目から涙がつう、と流れた。

「父さん、幸せになれって言うとるん?」

 もう一度尋ねた私に、父は小さく頷いたようだった。
そして、じっと私を見つめてもう一度微かに父は頷いた。

 これが私と父が最後に交わした会話らしきものだった。
後で聞くと母が亡くなった日に父は病室で大きく目を見開き、
じっと天井の一隅を見つめていたそうだ。

「お父様、ご存知だったと思いますよ。
お母様がお亡くなりになったこと。
黙って小さく何度も頷いてらしてね……
お母様が何かを伝えにいらしてたんでしょうね」

 その日宿直だったというナースが涙ぐみながら私に教えてくれた。
母はまっすぐに父の元へ行ったのか。
そしてあの日、父が最後の渾身の力を振り絞っての言葉は父と母の私への遺言だったのか。

「幸せになってほしい」

 これが二人が私に託した願いだったのか。

 幼い頃から「幸せな子」と呼ばれ続けてきた私は、
そんな二人にとっての祈りだったのだろうか。


つづく


いつもご覧頂きありがとうございます。
この「属」、次回のお話をもっておしまいとなります。

どうかもうしばらく、このお話にお付き合いお願い致します。

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また見に来てね

35.生命維持装置.3

2016-07-01 12:15:44 | 小説
 兄姉たちが引き上げた後も、私は母のそばから離れなかった。
そしてその日から真夜中に家を出てICUでこんこんと眠る母の元へ向かい、
長い間詫び続けるのが日課となった。

 心臓に病を持ち、既にペースメーカーを装着している母の心臓は動きが止まることはない。
そして人工的に呼吸させられ、人工的に心臓も動かされ、
母の意思とはあずかり知らぬところで生かされ続けている。

 それもこれも私が無知だったせいだ。
母さん、本当にごめん。ごめんなさい。
そうやって母の顔を見ながら何度も心のなかで詫び続けていた。

「志穂さん」

 いつの間にそばに来たのだろう。
年配のナースが私の背中をなでた。

「お母様がね、”私は延命を望みません”って首からプラカードでも下げていらっしゃらない限り、
これはどうしようもない――仕方がないことなんですよ。
あまりご自分を責めないで。
お母様は志穂さんのこと、わかってくださってます」

「でも……」

 私はその言葉をありがたく聞きながら、
でも言わずにはいられなかった。

「でも……こんなにむくんで……。
母はこの後もずっとこのままなのでしょうか。
こんな形で、こんな姿にしてしまって……」

 私はまた、新たな涙が溢れてきた。

「では……志穂さんはどうなさっていたら良かったと思われますか? 
私もね、数年前に母を見送りました。その時はね、できる限りのことをしたつもりだったんです。
でも今は、ああすればよかった、こうしたらもっと良かっただろうに……って思うんですよ。
親ってありがたいですよね。いつまでもそんな風に何かを教え続けてくれている。
お母様も、きっとそうなのだと思いますよ」

 私は母が入院して以来、ずっとあの一時間を後悔し続けていた。
そしてそれにも増して、母と交わした最後の言葉も。わざと音高く閉めたドアの音も。

 私は私が許せなかったのだ。自分の感情のまま母にあたった自分が許せなかったのだ。

 あのとき母は父から贈られた指輪を愛おしそうに回しながら独り言のように呟いていた。

「なるようにしかならんのよ、志穂。なるようにしかならんの」

 母さん、これが母さんの教えなん? 
どちらの道を選んでも後悔しながら、苦しみながら人は生きていくん? 
なるようにしかならんって、こういう事だったん? 
もう決まっていたことなん? 
私はもっともっと母さんと話したかったんよ。甘えたかったんよ。
買ってきたマフラー巻いてほしかったんよ。笑ってほしかったんよ。

 母の手を握りながら、さすりながら、私は母に問い続けていた。

 そしてそれから十日後の夜中。
まるで私が来るのを待っていたかのように機械のランプは点灯しだし、
母の脈拍は画面上で一本の線になって見守っていたりょうちゃんが静かに頭を垂れて合掌した。

 母は本当に逝ってしまったのだった。


つづく



尾西食品 アルファ米12種類全部セット(非常食 5年保存 各味1食×12種類 )

いつもご覧いただき、ありがとうございます。
間もなくこの「属」という話も終わりが近づいてきました。
どうかもうしばらく、このお話にお付き合い下さいね。

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35.生命維持装置.2

2016-07-01 06:00:00 | 小説
 救急車で搬送された母は、
ただちに人工呼吸器を気管に挿入する手術を受けていた。

 母がICUに入る前に、私はナースたちに既に
ICUに入っている父には絶対にわからないように
母の名前は呼んでほしくないとお願いした。
そしてできるだけ早く、できれば母がICUへ入る前に父を別室へ移して欲しいと頼み込んだ。

 私の気持ちは充分に伝わり、全員頷いてはくれたものの移動は部屋の準備もあり、
母がICUに入るまでには完了しないこと。
今はベッドの状況からどうしても父の斜め向かいになってしまうことを説明された。

 手術室から戻った母はナースたちが盾になり、
父の目に触れないようにカーテンを固く閉ざしたベッドに移動され、
全員声を出さず黙々と処理が行われた。

 私は駆けつけた姉たちにも一切声を出さないことを厳しく言い渡し、
父にも知らせぬように誓わせた。
今から思えば顔面蒼白になりながら涙も見せず、
目を座らせている私にはそれなりの迫力があったのかもしれない。

 そのとき、私たちは家族というチームで再結集したのだった。

 こうして母は脳死の状態で生き続けることになったのだ。
人工呼吸器は自発呼吸ができるようになれば取り外されるもの、と私は勝手に思い込み、
これが生命維持装置の一つであると知った時はどれだけショックを受けたことか。
愚かにも私は生命維持装置、という何か特別な医療器具があるのだと解釈していたのである。

 そして救急車を呼ぶということは、
取りも直さず救命を意味することであり、
一刻を争うこの場面では当然のごとく
命をつなぐことを優先するといったことすら
理解してはいなかったのだった。


つづく



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生命維持装置、という装置があると思っていたのは私だけなのでしょうか…

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