油屋種吉の独り言

オリジナルの小説や随筆をのせます。

十三歳の頃って。

2024-03-26 10:53:42 | 随筆
 中学二年生をあつかっていますけれど
どうだったのかな。
 その頃の自分って?

 今の歳からみると、ずいぶん昔の話で
すね。
 でも、ちょっと振り返って考えるのも
ありじゃないか。勉強になるんじゃない
か。

 そう思い、つらつら思いだしながら書
き綴ってみることにしました。

 もちろん、それを通して、今どきの中
二のみなさんの思いに少しでも触れれば
最高ですよね。

 昭和三十年の後半でしたね。
 あれは確か、三十七年だったか。
 そうですね、池田勇人さんが総理大臣
だったでしょう。

 最初の五輪をひかえ、国民ひとりひと
りがわくわくどきどきしていました。
 橋幸夫さんと吉永小百合さんが歌った
「いつでも夢を」
 その歌が当時を象徴していました。

 親の手伝いをさせられた時代でしたね。
 五右衛門ぶろをわかす仕事やら、にわ
とりの世話、それに飼い犬の世話。

 堀っこに行って、にわとりが食べられ
そうな草を摘んで来たりね。卵を失敬す
るのが大変でしたよ。たまに見つかって
つつかれる騒ぎでした。

 中二の数学がかいもく理解できないわ
たしは、「教えてあげるよ」とおっしゃ
る方の家へと、平城旧跡を横切り、えっ
ちらおっちら自転車で向かいました。

 ああそうそう、恋の物語ですもの。
 初恋の話をしなくちゃね。

 当時はベビーブームの世代。
 全部で十五クラス、二学年全員で六百
七十人いました。

 定期テストの成績が廊下の壁に貼りだ
されましたよ。
 百五十人だけ順位と氏名が公表されま
した。

 わたしのお気に入りの子は、常に百番
以内をキープしていました。
 わたしはどんじりです。

 なんとかして、彼女に近づきたいと必
死で勉強したものです。

 算数は小学校の頃から大の苦手。
 普段から教わったことをしっかりおさ
らいする。
 数学など、それがとても大切だったの
でしょう。
 でもわたしは釣りやじゃこ採りに夢中
でした。

 わたしは神経質な性格。彼女は元気は
つらつ。言いたいことをズバズバいう。
 「あんたはピテカントロプス、北京原
人に近い顔だね」
 「く……」

 お互いに明と暗みたい。
 プラスとマイナスかな?
 ねくらなわたしが、彼女にひかれるよ
うになりました。

 結局、その可愛らしい恋はみのること
はありませんでした。
 ポプラの葉っぱとともに、散ってしまっ
たことです。

 「あの子、好きなんや」
 と、男友だちにもらすのが精いっぱい
でしたもの。

 この初恋をもたらしたエネルギー。
 すごかったですよ。
 わたしを、勉強好き人間に、変えまし
たもの。

 「お宅のお子さんって、なんだか変わっ
てますね」
 当時、担任をなさっていたM先生が家
庭訪問の際におっしゃったことです。

 みなさんの中学二年生時代ってどうだっ
たでしょう。
 ふりかえると、きっと自分が愛しく感じ
られるでしょう。

 文化クラブや運動クラブはありました。
 でも、全員参加型ではない。
 授業が終わったら、掃除当番をのぞいて
全員帰宅できました

 
 
コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ポケット一杯のラブ。  (5) | トップ | ポケット一杯のラブ。  (6) »

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (sunnylake279)
2024-03-26 11:20:16
おはようございます。
中学時代のこと、よく覚えていらっしゃるのですね。
若かりし種吉さんが目に浮かびました。
私は軟式テニス部で、学級委員をしたことを覚えています。
あまり細かいことは覚えていないです。
革のカバンがとても重かったことを、今思い出しました。

コメントを投稿

随筆」カテゴリの最新記事