ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

罰を与えない罰則

2021-07-31 08:38:22 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「きまりと罰」7月24日
 『ノーマスク ノー注意』という見出しの記事が掲載されました。『オリンピックの開会式で、一部の国の選手団が入場行進時に規則に従わずマスクを着用しなかったことについて、大会組織委員会は個別に注意しないことを明らかにした』ことを報じる記事です。
 とても考えさせられる記事です。この内容には、指導監督的な立場にある者が、心掛けなければならない、きまりと罰についての教訓が詰まっていると思われるからです。
 私は教員になりたての頃、子供をきまりや約束事とそれを破ったときの罰によって管理しようと考える未熟な教員でした。そうした発想そのものが教員として望ましいものではないのは当然ですが、それだけではなく、きまりと罰の難しさをよく理解していなかったことが未熟だったと言いたいのです。
 きまりと罰を定めた以上、それはきちんと遂行されなければなりません。そうでなければ、指導監督的立場にある者の正統性が失われてしまうからです。その際、犯しがちな失敗があります。まず、きまりが破られる事態が多く想定されるようなきまりには罰は作ってはならないということです。分かりやすく言えば、友人に暴力を振るって大けがをさせたら授業を受けさせずに相談室で聴取を受けなければならない、という約束事はOKですが、忘れ物をしたら授業を受けさせずに~というきまりはダメということです。そんなきまりを作ってしまえば、授業に参加しない子供が大勢出て、毎日の授業そのものが成り立たなくなってしまいます。
 コロナに対する状況も認識も、また順法意識についても異なる国々の間で、マスク着用に対する意識が異なることは容易に想像できることです。今回ように、マスクをしない選手が出てくることは想定内だったにもかかわらず、あたかもマスク着用違反についても処分を行うかのような広報をしていたことは重大な失策です。
 そして、各国を代表し、国民の期待を担って参加している選手に対し、『参加資格の剝奪▽大会からの除外』などの処分を下せばどのような事態に陥るか、これも容易に想像ができます。我が国に対する国民感情を悪化させ、将来にわたって関係性に大きな影響を与えるのです。私たち日本人だって、金メダルが有望な日本選手が、些細な違反で競技の機会を奪われたとしたら、不快な感情を抱く人が多いでしょう。
 それでも、規則があり、それを公表している以上、反発を覚悟して規則に則り処分を下すべきなのです。最初のケースで処分を躊躇えば、次からは処分はできません。不公平であるという苦情が殺到するからです。結局、処分は空文化し、それ以降、別の規則についての違反に対しても、処分は出来ず、秩序の維持ができなくなっていくのです。今大会においても、実質的にはマスク着用は自由ということになっていくはずです。
 ではどうすればよかったのか。違反が頻発しそうだが悪影響の度合いは小さいものには、違反行為が及ぼす悪影響を丁寧に説明し、対象者の倫理感に働きかけ、よく守れている集団に対しては称賛を、守れていない集団に対しては事実の公表をすることによって働きかける、悪影響の度合いが大きいものには厳罰を予告し、緻密な事実確認の上で反対論や言い訳には耳を貸さずに厳罰を科す、ということが必要なのです。
 私も若いころ、安易に「言うことを聞けないのなら教室に入れない」「3回々注意をされたら親に言って自宅に待機させる」などといったことを口走り、実際にはそんなことをするわけにもいかず、「先生は口だけ」と舐められてしまったものでした。

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