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AWAKE見た。今のAIや将棋を楽しむために2015年ころの歴史を復習するのにいいかも!

2021-01-24 14:07:12 | AI・BigData
昨日(1月23日)、映画のAWAKE見てきた!

多分、森田千葉県知事が、「吉川君!}とか言っていた自分の青春ドラマを見たらこんな感じなんだろうな・・・というような感触。、もう、今の時代となっては、ずっと昔の青春物語ですよね。5年しかたってないのに・・・

とんかく、2015年当時の将棋に生きる人と、AIに人生を賭ける人の描写という点ではこの映画、よくできている。たぶん取材と考証の人がしっかりしていたんでしょうね。今の時代の感覚で見てしまうと、「うん?」という感じだけど。。。

なので、今のAIや将棋を楽しむために2015年ころの歴史を復習・キャッチアップするのにいいかも!(ただし今のAIに、この感性で触れると???になる)

以下ネタバレなので、これからの人で、内容を知りたくない人は見ないように・・・




 特に違和感を感じるのは、コンピューター将棋ソフトAWAKEと対決する、若手プロ棋士の浅川陸が「彼が作ったコンピューターソフトと戦う」という発言をしてしまうところ。

 この前にAWAKEは「機械学習だ」と言っていて、「過去の棋譜を読み込む」と言っている。そのうえ中身はBONANZAを見て使ってるともいっている。つまり、これは過去の棋譜を踏襲した先人の知恵が詰まったソフトと戦うことになる。だから、戦っているのはコンピューターソフトのように見えて、実は「先人の知恵」、これに勝つには先人の思いつかない新たな手を切り開くことで、これこそまさに人間がすべき仕事。

と、今なら思うけど、たしかに当時の風潮はそこまで行ってなくて、「彼が作ったコンピューターソフトと戦う」になっていましたよね、確か。

 そして、これ、実は最後の電王戦の伏線なんだよね、多分。ソフトの作成者に勝ったのではなく、ソフトの弱点をついて勝った。コンピューターソフトと戦ってんだから、こういう勝ち方もありだし、当時のマシンスペックでは、先人の知恵を生かしきれず、コンピューターの限界で負けちゃう感じでした。はい。

 ただ、「天才」を見たことがある人、今だとみんな藤井二冠という天才を見ているので気づくと思うんだけど、そういう天才を見た人たちから、この物語でのAWAKE作成者、清田英一をみると、たぶんプロの棋士にも、世界的なAI研究家にもなれないだろうなと感じると思います。

 プロとしてやっていくには、3つの要素が必要です。

   一つ目、才能
   そして、努力
   最後に、世界観

 その人なりの世界観、歌だと、何が歌いたくて歌うのか、その歌いたい何かが突き動かされて歌ができると、それが届いてお金を払って買ってくれるようになる。将棋も、どう指すかの世界観がないと(藤井二冠の場合、普通の人がすぐに捨ててしまう手にも、妙手があるのではないかと考え抜く)、プロとしてやっていくのは難しい。清田英一にはそれがない。だから、プロ棋士は難しいと思う。

 AIでも、研究を進めていくにつれ、そういう世界観が重要だけど、清田英一は、AWAKEに機械学習を採用したのは磯野に言われてだし、AWAKEはコンピューター将棋で優勝したけどそれは過去の棋譜を入れたからで自分の世界観ではない。たぶん本当にAWAKEを作った人には世界観があったと思う(でないと優勝はできない)。でもそこを描いていないのは、わざとだと思う。

 つまり、社会は3つのグループでできている

   一つ目、新しい世界を切り開いていく天才、大体学校で多くて1、2人
   そして、大企業の管理職など、いわゆるエリート、偏差値60くらいの人
   最後に、それ以外の一般労働者

 天才は幸せな人も居るけど、不幸せな人も多い。エリート層は概して幸せ。
 2017年の清田英一を、海外にでるエンジニア(たぶん、エリート層)として、これから待っている幸せそうな人生を描くことで、あ、本人気づいたんだな、よかったよかった。ってなる。もし、あれでAWAKE続けてたら、一発屋になっちゃうもんねあ(^^;)
(あ、実際のAWAKEじゃないよ、この映画設定のAWAKEの場合)




 そして、一番最後の飛行場の場面、これ2017年になっているけど、確かにそうだよね!このころのAIと人間の関係がこんなかんじ。

 当時、2通りの関係があったと思う。それを両方とも表している。
  一通りは、浅川陸を自然や問題(課題)の代表、清田英一をAI、子供を人間とみなし、人間があれこれ判断するのを、AIに尋ねて問題解決するという形。
  もう一つは浅川陸を人間、清田英一をAIとみなし、AIが出す先人の知恵の答えに人間が生きざまから出てくる新たに拓いた新境地の答えをぶつけていくという形

 どちらにも見れる形で、わかりやすく、きれいに最後終わってる。
 もうほんと、この絵を取りたいがゆえに2時間、いままで「フリ」じゃないの(^^;)と言いたくなるほどキマッていた。




それ以降について復習しておくと、一つ目の形、
「人間があれこれ判断するのを、AIに尋ねて問題解決するという形」は人間にも聞かず、判断基準さえあれば、機械が勝手にデータを生成して判断して学習していくというGANの形に発展していく。

 二つ目の形は、「ずっと真夜中でいいのに。」の「ハゼ馳せる果てるまで」の歌詞に出てくるように、人工知能(歌詞では人口知能)は、「簡単に正解」をだしてくる(「ばらまい」てくる)けど、それは「綺麗事」(=正解データ)が正解になるように「価値を根付けている」からで、つまり、きれいごとから外れたら、コンピューターは、どうなるかわからない、って言うのがAIの品質管理問題(石川先生、吉村先生の世界)

 で、人間の社会はきれいごとでは済まされない。キレイも汚れも引き受けて、その中を生きるのが人間。という立場で、AWAKEに対する浅川の態度を見ると、勝つためには卑怯な手でも使うっていうのに、人間臭さがあっていいわけ。そして、今の時代になると、そもそも卑怯ってなんだよ、綺麗事ってなんだよっていう時代になる。分断の社会に正解はない。

 そしてこんな状況を打ちやぶる一人の天才が将棋界に現れ、世の中がぐっと変わったわけ。それが「3一銀」この手を出してくるのに、「普通の人がすぐに捨ててしまう手にも、妙手があるのではないかと考え抜く」という世界観から出した手に、コンピューターはマジで、本質的に「人間に抜かれたかも」となった。機械学習は世界観は関係ない。価値は世界観とは無関係にデータを忖度して(というかバックプロパゲーションで)きめる。

 そして、そのコンピューターを超えた藤井二冠がなぜ豊島竜王に勝てないのか(コンピューターなどの読みの世界と、豊島竜王の大局観の世界)などが、将棋の世界の話題でしょうか。

 なので、今の2020年あたりを扱った作品を、藤井二冠、ないしは豊島竜王視点で映画なり、トークショーなどを見てみたいっていう気がする…

…けど、AI知らない人が、これがAIだと思われると困るなあ・・・
これ、AIの世界では時代劇で、今はもっと進んでるからね・・・

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