↑ 神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」(出エジプト記3:14)
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日本福音教団 富 谷 教 会 週 報
降誕前第6主日 2022年11月13日(日) 午後5時~5時50分
礼 拝 順 序
司会 辺見 順子姉
前 奏 奏楽 辺見トモ子姉
讃美歌(21) 355(主をほめよ、わが心)
交読詩編 77(神に向かってわたしは声をあげ)
主の祈り 93-5、A
使徒信条 93-4、A
司会者の祈り
聖 書(新共同訳) 出エジプト記3章1~15節(旧p.96)
説 教 「救いの約束(モーセの召命)」辺見宗邦牧師
祈 祷
讃美歌(21) 157(いざ語れ、主の民よ)
献 金
感謝祈祷
頌 栄(21) 27(父・子・聖霊の)
祝 祷
後 奏
〇 オン・ラインで礼拝に参加できます。090-3365-3019に、 申し込み下さい。
次週礼拝 11月20日(日) 午後5時~5時50分
聖 書 サムエル記下5章1~5節
説教題 「王の職務」
讃美歌(21) 402 16 27 交読詩編 18:47~51節
本日の聖書 出エジプト記3章1~15節
3:1モーセは、しゅうとでありミディアンの祭司であるエトロの羊の群れを飼っていたが、あるとき、その群れを荒れ野の奥へ追って行き、神の山ホレブに来た。 2そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現れた。彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。 3モーセは言った。「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」 4主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。神は柴の間から声をかけられ、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼が、「はい」と答えると、 5神が言われた。「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」 6神は続けて言われた。「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆った。 7主は言われた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。 8それゆえ、わたしは降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む所へ彼らを導き上る。 9見よ、イスラエルの人々の叫び声が、今、わたしのもとに届いた。また、エジプト人が彼らを圧迫する有様を見た。 10今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」 11モーセは神に言った。「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか。」
12神は言われた。「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える。」 13モーセは神に尋ねた。「わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。彼らに、『あなたたちの先祖の神が、わたしをここに遣わされたのです』と言えば、彼らは、『その名は一体何か』と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。」 14神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」 15神は、更に続けてモーセに命じられた。「イスラエルの人々にこう言うがよい。あなたたちの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主がわたしをあなたたちのもとに遣わされた。これこそ、とこしえにわたしの名これこそ、世々にわたしの呼び名。
本日の説教
創世記の族長物語は、アブラハム・イサク・ヤコブと続き、ヤコブの子ヨセフの物語(37章~50章)に入ります。ヨセフは兄達に奴隷として売られてエジプトへ行きますが、ファラオ(エジプト王)の夢を解いたことから出世し、エジプトの宰相になります。カナンの地が激しい飢饉に襲われたとき、ヨセフの父ヤコブと兄弟たち十一人の一族が、エジプトの宰相となったヨセフを頼ってエジプトに移住し、ヨセフの庇護のもと、ゴシェンの地に定住しました。紀元前1630~1520年頃のことです。そこでヤコブは死に、ヨセフも長寿を全うして死にます。そして出エジプト記に入ります。出エジプト記からは、族長の歴史ではなく、民族の歴史の叙述になります。
ヤコブ一族のエジプト寄留期間は430年(出エジプト記12:40)とあります。イスラエルの人々の数は驚異的に増え、ますます強くなって国中に溢れました。ヨセフのことを知らない新しいエジプト王、セティ一世(1291-1278)と思われますが、イスラエル人の増加を恐れました。王はイスラエル人の力を抑えるために、イスラエルの人々に強制的に重労働を課して虐待しました。さらに王は、ヘブライ人の勢力を弱めるために、イスラエルの民に生れる男の子を殺してしまうように助産婦に命じました。当時イスラエル人は、ヘブライ人と呼ばれていました。「ヘブライ」とは「渡って来た者」という意味です。ユウフラテス川の向かうから来た民だからです。そんな中でモーセが生まれたのです(1280頃)。
モーセを生んだ両親は、王の命令を恐れず三か月間モーセを隠していました。両親はだれかに拾って育ててもらうようにと赤ん坊をかごに入れ、ナイル川の葦のなかに置きました。運よく水浴びに来たファラオの王女に赤ん坊は拾いあげられました。王女は、父の意に逆らって、泣いている赤ん坊を不憫に思い、養子にすることにします。この赤ん坊の姉ミリアムの勇気ある気転で、実の母が幼子の乳母として王女に依頼されました。モーセはヘブライ人の実母によって育てられたので、もっとも大切な幼児期に、母親から民族の精神と信仰心が植え付けられました。この子が大きくなり、王女のもとへ連れて行かれ、王女の子となりました。王女は彼をモーセと名付けて言いました。「水の中からわたしが引き上げた(マーシャー)のですから」と。「モーセ(モーシェ)とは「引き出す」という意味です。ナイル川から引き出されたから付けられた名です。それは同時に、イスラエルの民族を引き出し、約束の地カナンへ導いていく使命を担った名でもあります。
成人したモーセは、同胞のヘブライ人が重労働に服しているのを見ました。モーセは、一人のエジプト人が、一人のヘブライ人を殴っているのを見て、そのエジプト人を殴り殺しました。このことをファラオが知ったら、自分は殺されることを恐れ、モーセは、エジプトからミディアンの地に逃亡しました。ミディアンというのは、アカバ湾の東、アラビヤ半島北西部を根拠地としていた遊牧民の名です。モーセはその人々の所に身を寄せました。「それはモーセが40歳の時の出来事(使徒言行録7:23)」でした。
モーセはミデアンの地で、祭司レウエル(「神の友」という意味)の保護を受けます。レウエルは、アブラハムの第二の妻ケトラから生まれたミデアンの子孫です。モーセは娘ツィポラを与えられて結婚し、子を持ちます。彼はその子をゲルショムと名付けました。彼が、「わたしは異国にいる寄留者(ゲール)だ」と言ったので、付けられた名です。
「それから長い年月がたち、エジプト王は死んだ(2:23)」とあります。死んだエジプト王とはラメセス二世(1279-1212)と思われます。モーセの年齢は、68歳頃になります。40歳でエジプトから逃げたモーセにとって、すでに28年経過したいたことになります。「その間イスラエルの人々は労働のゆえにうめき、叫んだ。労働のゆえに助けを求める彼らの叫び声は神に届いた。神はその嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。神はイスラエルの人々を顧み、御心に留められた」とあります。
ここから、3章に入ります。モーセは、しゅうとであり、ミディアンの祭司であるエトロ(2章18節のレウエルのこと)の羊の群を飼っていました。あるとき、自分が住んでいたミデアンの地から百キロ以上も離れている、シナイ半島の荒れ野の奥にある神の山ホレブに来ました。これはモーセが80歳の時の
出来事です(出エジプト7章6節参照)。ホレブ山というのは、シナイ山の別の言い方です。シナイ山は、エジプトとアラビヤの間のシナイ半島の先端にある山で、海抜2500メートルほどの山です。砂漠地帯にある山としては高い山です。そのとき、モーセは柴が燃えているのに、燃え尽きない不思議な光景を見ました。
柴は、山や野に生えている小さな木々、雑木のことです。モーセは見ようと近づいたとき、神が柴の間から声をかけられました。「モーセよ、モーセよ」と名前を二回呼びました。これは、逃亡者モーセに対しての親しい呼びかけです。彼が、「はい」と答えると、神が言われました。「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」これは、神の臨在するところは聖く、厳かであることを教えるためでした。「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセに語られた神は、モーセの父と共にあり、モーセの先祖アブラハムと共にあり、イサクと共にあり、ヤコブと共にあった神であると語ったのです。モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆いました。
主(ヤ-ウェ)は言われました。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの声を聞き、その痛みを知った。それゆえ、わたしは降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地・・・へ導き上る。」「わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々を連れ出すのだ。」
主は「民の苦しみをつぶさに見」「叫び声を聞き」「痛みを知」る神です。さらに「降って行き」「救い出し」「導き上る」のです。「わたしは降って行き」と主なる神は言われました。神は、天の高みから、この地の上に降って来ると言われたのです。そして、イスラエルを救う。これが出エジプトの出来事です。これは、天の高みにおられる神の独り子が、地の低きに降り、すべての罪人を救い出される為に十字架にお架かりになるという神様の御業を予表しています。この出エジプトの出来事を起こされた神様は、イエス様をお遣わしになった神様なのです。
モーセは答えます。「私は何者でしょう。」モーセはエジプトから逃亡した、異国にいる寄留者です。40年もの間一介の羊飼いとして暮らしてきたのです。年齢もすでに80歳です。当時最も権力を持つエジプトの王ファラオのもとから、イスラエル人を連れ出すとは、「私はいったい何者でしょう」と言って断りました。
「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える。」と神は答えられました。
あなたがイスラエルの民をエジプトから導き出した時、この山で、あなたたちは神と契約を結び、神に仕える。これが神がモーセをエジプトに遣わすしるしである。わたしは必ずあなたと共にいる、と約束されました。
モーセは神に尋ねました。イスラエルの人のところに行ったとき、「あなたを遣わした神の名は何か」と聞かれた場合、なんと言ったらよいのか、「あなたの名前を教えてください」と頼みました。当時のエジプトの民が信じた神々は、多神教でしたが、中心的な神は太陽神でラーという名前の神でした。神はモーセに「わたしはある、わたしはあるという者だ」と答えられました。
神は、更に続けてモーセに命じました。「イスラエルの人々にこう言うがよい。あなたたちの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主がわたしをあなたたちのもとに遣わされた。これこそ、とこしえにわたしの名これこそ、世々にわたしの呼び名。」
神は、モーセの問いに、二つの自己紹介をしています。その一つは、「わたしはある。わたしはあるという者だ」という答えです。「わたしはある」というヘブライ語は、<エヒイェ>という語です。この語は、神が先にモーセに語った、「わたしは必ずあなたと共にいる(キー・エヒイェ・イマフ)」という言葉の中で使われていた語です。直訳すると、「必ず・わたしはある・あなたと共に」となります。この場合、「ある(有る)」は、ただ神が存在するということではなく、神は、すべての創造の源であり、真のいのちを持たれ、永遠に存在する方であることを示しています。神は「あなたと共にいる」と言われます。イスラエルのために存在する神であり、インマヌエルの神です。主イエス・キリストがこの世に来て下さったことによって、この「インマヌエル」の恵みが実現するのです。
もう一つの神の自己紹介は、「わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主」とあります。ここでは「主」は、原語では「ヤーウェ」という言葉を使います。ここで用いられている「ヤーウェ」は、先祖と契約を結んだ神の名の固有名詞です。神は「わたしはヤーウェ」であると、モーセに実名を名乗ってくださったのです。
私たちが信じる聖書の神は、抽象的な、漠然とした神ではなく、何よりもまず、このように具体的に、イスラエルの歴史に現れた神であるということです。その神は、ただイスラエルの神であるだけではなく、全世界の人々の神であります。わたしたちと共にいます神であり、インマヌエルの神です。
【付録】
主(ヤーウェ)と訳されている言葉は、「 יהוה 」という四つの子音文字(右から左の方へ読む)からなるヘブライ語です。これに母音記号を付けると、①「ヤハウェיַהְיֶה」固有名詞の主
②「アドナイיְהוָה」(普通名詞の神)イスラエル人は「アドナイ」を固有名詞として使用しています。
③「(イェホワ)יְהֹוָה 」エホバの証人は、神をエホバと呼びます。
しかし「ヤハウェיַהְיֶה」と読む方がより本来の発音に近い、と言われています。