【シーズン6】人生が100倍楽しくなる、パスターまことの聖書通読一日一生(旧約聖書 新約聖書 聖書通読ブログ)

聖書通読は、モノの見方を変え、イエスと共に前に進む気を起こさせてくれます。ご一緒にしませんか?

レビ記26章

2022年01月20日 06時57分24秒 | レビ記
26章神への従順と不従順
レビ記も残すところ、あと2章となりました。この26章は、いよいよレビ記の締めくくりになる部分でもあるのですが、偶像崇拝を避け、まことの神の教えに従順であることが、その人の祝福と繁栄を約束するものであることが語られています。
1) 神に従う祝福(26:1-13)
 まず神は、ご自身を恐れ、従う者を祝福されると言います(1,2節)。偶像礼拝を避けよ、安息日を守れ、主を恐れよ、そうすれば、地は産物を出し(4節)、パンに満ち足り(5節)、安らかに住み、平和が与えられる(6節)、と。また、悩まされることもなく、悪い獣や剣からも守られ、敵がいても追い散らされ(7節)、多くの子を与えてくださる、と。イスラエルをエジプトから解放すると約束された主は、確かにその言葉を守られましたし、後の民数記を読むとわかることですが、荒野を彷徨った40年の間、神はイスラエルの民を天来の恵みをもって養い、守られたのです。今の私たちに対しても神は、同じようにしてくださるでしょう(9節)。かつて神がイスラエルの民と交わされた契約は(12節)、まことの神を信じる者全てに及ぶ、と信仰をもって受け止めたい箇所です。
2)神に従わない罰(26:14-39)
 ですから他方で、もし聞き従わず、契約を破るのならば(14,15節)、ここで語られていることは、同じように真実なものだ、と考える必要があります。主が祝福を約束されることを信じてその報いを受けるならば、その逆もまた然りなのです。神は言います。従わないのなら、神は、恐怖を臨ませ(16節)、敵を起こし、打ち負かされ、踏みつけられるようにし(17節)、地も産物を生み出さず(19節)、すべての努力は実を結ばない(20節)、と。畑は野の獣に荒らされ(27節)、疫病がくだされる(25節)。神が敵対し(24,27節)、祈りも聞かれない(31節)、と言います。36節「追いかける者もいないのに倒れる」とは、自滅の道を辿るということでしょう。神の契約は、良いことづくめではない。やはり従わないのなら、そこには逆のことも起こりうる、と語るのです3)悔い改めの報い(26:40-46)
ただ大切なのは、神は、基本的に愛のお方であり、最初は優しかったけれど、何かの拍子に、私たちに対して手のひらを反すような方ではない、ということです。神は、懲らしめを与えられつつ、いつでも悔い改める者に哀れみ深くあられます。神は敵対しても、人を見捨てることはありません(44節)。神はいかなる人も滅びることを望まれず、悔い改めて生きることを願っておられます(ルカ15:7)。わざわざエジプトから連れ出した民を、途中で投げ出して、滅ぼされることはしないのです(45節)。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである」(ヘブル12:5,6節)とあるように、神は、祝福に引き戻されようとして懲らしめを与えられるのです。
ですから、人が苦しみを通して学び、心遜るなら(41節)、神は再び契約を思い起こすとされます(42節)。ただし、その契約はその人と結んだ契約ではありません。その昔、アブラハム、イサク、ヤコブと交わした契約を思い起こすと言うのです。そしてその契約に基づいて、その人に再び恵みを注がれると言うのです。
これは極めて重要なことを言っています。というのも、私たちが神に不従順のゆえに裁かれた時に、神は私たちとの契約を思い起こすのではないのです。破られた契約は、そのまま、むしろそこでまだ破られていない契約を思い起こす。そしてその破られていない契約によって、私たちとの契約をまた再生しよう、と言うわけです。で、その破られていない契約と言う、他でもない、2000年前に、神がイエスと交わされた契約、十字架で完成された罪の赦しの契約です。神は、悔い改める者を見るならば、その度に、イエスが十字架上でなしてくださった契約を思い浮かべて、その人を赦してくださる、と言うのです。これは確実な罪の赦しです。私たちの状態によらず、神様の気まぐれな思いやりによるのでもない、ただ、十字架のイエスの業をもとに、誰でも、どんな裏切りでも、どんな敵対でも赦してくださるというのです。
神は、私たちの罪の赦しのために、イエスを十字架におかけになり、血を流し、肉を裂き、これを永遠の契約とされました。いつでも私たちはその十字架に立ち戻らなければなりません。十字架に私たちのすべての罪の赦しがあり、十字架に、私たちの回復の出発点があるのです。なお、34節、神への反逆者が罰せられている間、土地が休むことができる、とは興味深いところです。罪人によって散々搾取された土地、汚された環境が、回復の時を得るというのです。確かに、天地をお造りになった神を無視し、神に背を向ける人間の歩みは、人に対してのみならず、自然環境にも傍若無人な振る舞いをするものでしょう。天地万物をお造りになった神を覚える、そのような人は、自然環境も大事にし、その回復にも努めるようになるのです。では今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。人がヨベルの年を実施するなら、神は、その前に何年分の収穫があると約束しておられるでしょうか。答えは、3年分(レビ25:21-22)でした。まさに信仰を要求される神のご計画です。では、今日の聖書クイズを一つ。「高き所」は、単純に小高い丘や峰を指し、やがて偶像崇拝の場所とみなされるようになった場所ですが、これを積極的に国から取り除こうとした最初の王様は誰でしょうか?答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。

<天草さんのフォローアップ>
パスターまことの聖書通読一日一章をフォローし、さらに掘り下げにチャレンジしている、天草さんのサイトはこちら⇒「天草幸四郎」http://progress-to.jugem.jp/
私の願いは、聖書が国民の愛読書になることです!

最新の画像もっと見る