後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「覚えていらっしゃるでしょうか下村湖人の書いた『次郎物語』」

2024年04月26日 | 写真
昔、下村湖人の書いた『次郎物語』読んで感動しました。しかし内容の具体的なことは忘れました。小金井市には下村湖人が『次郎物語』を執筆した家があります。「浴恩館」は小金井市が保存し公開しています。その屋敷跡には巨木が茂り大きなツツジが綺麗な花を咲かせています。新宿から開館と同時に移植したツツジです。先程「浴恩館」とツツジと巨木の写真を撮って来ました。その写真をお送り致します。


次郎物語の簡単なあらすじ;
内容説明 次郎は生後まもなく里子にだされ、五、六歳になって実家に帰ってくるが、自分に対する家庭の空気が非常に冷たく感じられ、乳母が恋しくてたまらない。 大人の愛に飢える次郎は、周囲に対して反感をいだいて、わざと噓をついたり、乱暴をするようになる。 つらい運命に耐えながら成長する次郎の姿を深く見つめて描く不朽の名作。
昭和11年に書き始め、昭和29年に完成しました。

 下村湖人
明治17年(1884)佐賀県神埼郡千歳村(現神埼市千代田町)に内田家の次男として生まれる。  下村は婿養子先の姓、湖人はペンネーム。
生母が病弱で母乳が足りなかったため里子に出され、4歳のときに戻された。
 中学時代から内田夕闇(うちだゆうあん)の名で中央の文芸雑誌に詩歌や短歌を寄稿、年少詩人として認められ、文学者を志したが大学卒業後、家庭の事情で大いに嘱望された文学の道を断念し、帰郷して学校教育に専念した。
 母校佐賀中学校教師や鹿島中学校校長等を歴任。教職辞任後は、同郷で高校・大学同窓の田澤義鋪(たざわよしはる)に従い、小金井市の日本青年館別館[浴恩館」に設置された大日本青年団講習所の所長となる。
 その後の半生は、勤労青年を対象にした社会教育と文筆の世界に生き、文学と教育の両分野に大きな功績を残した。
また、鹿島高等学校、唐津高等学校の校歌の作詞もてがけている。
 湖人の代表作「次郎物語」は、自伝的小説といわれ、ラジオ放送や映画化もされ、ベストセラーとなった。
 「次郎者語」は第7部までを予定していたが病を患ったため果たせなかった。昭和30年(1955年)71歳で病没す。 

次郎物語の原文は下記にあります。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001097/files/42692_21002.html 

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