「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「お見舞い状」

2020年07月28日 | つれづれ噺

                                                               
                                                                 色鮮やかに咲き誇る、今を盛りのサルスベリ

今を盛りと色鮮やかに咲き誇るサルスベリ。百実紅と書いてヒャクジツコウという。照り付ける真夏の太陽の下、長く花の命を保つことから名付けられたことは、今さら言うまでもなく先刻ご承知の通りである。
この花が咲き乱れるころになると、慌てて暑中見舞いを書き始めるのが、小生恒例の年中行事の一つになっている。

ただ、今年の場合は、単なる暑中見舞いだけでは済まされない重苦しい空気がのしかかってくる。
「暑中見舞い」以上に心掛けるのが「コロナ見舞い」である。もっとも、コロナに感染した人に贈るお見舞いではない。
手洗いうがいのほか、自粛を守り、ソーシャルディスタンスを実行して「自分を守り他人をも守る」努力を重ねる善良な人たち全てに送りたくなるお見舞いである。そして今年の場合さらに今ひとつ。長く続く梅雨前線停滞による集中豪雨。線状降水帯に居座られた地域の人たちには「豪雨・氾濫」の雨見舞いが必要となる。

たった1枚のハガキに、これほどのお見舞いを欲張っていいものか、と自問自答しながら、受け取る相手の顔を思い浮かべてみる。
今年ばかりは、それほどまでに気を遣わせる夏を迎えている。そんな中で、これまでにただの一度も暑中見舞いなど出したこともない相手に「コロナ見舞い」を出したい気分にさせられる。その相手とは、複合型介護施設の主任看護師として働きながら、三人の男の子の孫をプレゼントしてくれた我が娘である。手前勝手な話ではあるが、介護現場の厳しい戦いの実態を少しでも理解していただけると有難い、という親心と思召せ。

彼女らにとってコロナとの戦いは半端なものではないことがはた目にもよーく解る。妻が入所している夫が見舞いに来るのさえ、2週間に1回、それも面会時間はわずか30分程度。1日4組の面会が許される。そこまで制限して、外部からの保菌者入室を徹底的に除外している。日々の介護内容も、コロナ発生以前の数倍のノルマが課せられている。ただこれからの季節、熱中症対策に対しても寸分の隙も見せられない。
小学校では「ボートレースの選手になる」のが夢だった娘が、いつしか看護師を目指し、今やその力を頼りにされている。

直接は言いにくいので、ここでそ~っと言っておこう。「コロナ&暑中見舞い申し上げる」。
立地条件の良さで、豪雨見舞いだけは言わなくて済むのがせめてもの慰みである。コロナよ、いい加減にどこかへ消えてくれ。

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