ピットブルのハヤコ

ハヤコとかあさん

12回目の誕生日会

2022-07-18 | かあさん

ハヤコ、12歳になった。

今年も、誕生日会を、した。

今年の参加者は、ハヤコと私ととうさんだ。

ハヤコは、自分の誕生日というものを、分かっているかは、わからない。

1年に1度、目の前で、でかいケーキに火をつけられ、暗闇でかあさんの歌を聞かないと、ケーキが食べれない。

「ハッピバースデ~♪~」

いい歳のおばさんが、本気で歌う、とても、イタイ、分かっている、自分で。

ハヤコは、「ああ、またか」とか、「このパターンか」くらいにしか感じてないかもしれない。

ケーキが食べられるまで、いつもより、時間がかかることは、知っている。

私は言う、「はぁちゃん、かあさんはあと3回はお誕生日会したいなぁ。」

とうさんが言う、「8歳のとき、あと4回とか、言ってなかった?」

私は、笑う、言ってたよと、8歳の時だけでない、9歳の時も、10歳の時も、11歳の時も、あと4年って。

12歳になったハヤコ、私にあと3回はと言われる、かあさんから課せられる生きるノルマが、一年短くなったか。

まだ、来年も、再来年も、その次の年も、できれば、ハヤコが元気で、まだ、ケーキを嬉しそうに食べるの、見たいなぁ。


追跡

2022-06-29 | ハヤコとかあさん

1センチ四方もないオヤツ、口を開いたハヤコに向けて軽く放る。

ハヤコと私とのいつもの間合いで。

 

オヤツが跳ねた、私の手か?それともハヤコの唇でか?ハヤコの歯でか?

一瞬でオヤツが消えた。

 

私は言う、「はちゃん、へたくそ」

ハヤコは頭を揺らす、「アレ?」

 

私は跳ね落ちたはずのオヤツを自分の周辺で探す。

が、ない。

ハヤコに言う、「ハヤ、探せ」

ハヤコは鼻を吸う、吸う、吸う、「フン、フン、フン」、腰を浮かせ、当たりを探す。

 

が、ない。

私も探す、自分のポケットに入ったか?カバンの中に跳ねたか?小物入れのカゴに飛んだか?

探すも、ない、ハヤコに言う、「はちゃん、探せ」

 

ハヤコは鼻を吸う、「フン、フン、フン」

私も探す、三回ほど、周辺を繰り返し。

 

そして、気が付く、ハヤコ、鼻吸ってるけど、匂いを捉えようとしているけど、頭動かしているけど、ほとんど、動いてない。

私の方がよく探している。

 

ハヤコに言う、「ハヤちゃん、探してよ」

ハヤコ、座ったまま、鼻を吸う、「フン」

私は言う、「ハヤ、探してよ」

ハヤコは、鼻を軽く吸った。

オヤツは欲しいが、深く探す気がない、ようだ。

 

犬は鼻が利くと、人間ではとてもかなわない嗅覚を持っているのが、犬だ、警察犬に限らず、大手柄な犬の話は、たくさん、ある。

そして、警察犬とかは、立派なお仕事をするためには、持久力や忍耐力が必要だと言われる、それくらいの知識は、私にだってある、だから、思った。

 

ハヤコに、追跡能力は、ないな。

オヤツをもらうことには執拗だが、消えたオヤツ1つには、執拗ではない、なんて、今時の犬なんだ。

ハヤコがもうすぐ12歳なる、おおおばあちゃんだという今頃、ハヤコにヤングを感じたよ。


STOP WAR

2022-06-24 | かあさん

テレビや新聞やネットで流れ届く言葉はたくさんある。

背景は、私なぞが語れるようなレベルのものではない。

 

私は、日本語以外、ほとんどわからない。それでも、多少の外国語の単語は、わかる、映像で聞き取れた言葉。

STOP WAR

 

波に乗れ


うた

2022-06-18 | かあさん

私は、基本、陰鬱だ。

それを自分は持ってないかのように取り繕ぐ術は、少しは、持っている。

 

ハヤコはうたう。

 かあさんかえってきた

 かあさんおきんの

 かあさんおきろ

 かあさんあそぼう

 かあさんおでかけでしょう、でかけるんでしょ、でかけるんでしょ、あたしも

 かあさん、かあさん

 

ハヤコは、小さいころ頃から、あまり吠えなかった。

たぶん、元々そんなに吠えない気質のところに、私が、吠えないようにと、伝えてしまったことが更に声を出さなくなったのではないかと、推測している。

記憶としては、7歳くらいまで、ほとんど声を聞くことがなかった。

だんだん、歳を重ねて、今のハヤコは、心の願いや喜びが溢れている時には、声が、出る。

そして、その時は、私も、とうさんも、一緒になって、うたう。

 

ウォーー

 

共鳴。

そして、言う、「はーちゃん、ウォーが出るんか、そうか。」と、口元が緩む。

 

ハヤコは、ウォー、と、うたうのである。

私は、ハヤコが、声を出すことが、気持ちを出すことが、私に何か伝えていることが、私自身の存在を、認めてくれているから、とても、愛おしい。

 

だから、私も、ハヤコに合わせて、うたう、その時は、私がもつ蓄積した陰鬱を隠さなくてよいのだ。


2022-06-16 | かあさん

私は、嘘とか、嘘っぽいとか、それをジョークに話をするのは、ある意味、話術だとも思っている。

ただ、私は、それが、めんどうくさい。

少し、歳も、少し重ねていることもあるのだろうが、面倒くささが、増している気がしている。

 

嘘というのは、虚勢を含んだ、嘘だ。

私自身の虚勢も、嘘だ。

 

嘘というのは、とても面倒くさい。多くに、認識が通わないからだ。

人間の意識は、複雑だ。

私自身が、嘘だ。本当が、わからない。

 

ただ、ハヤコには、全てにおいて、嘘なぞ、通じない。

嘘なんて、ハヤコからの信頼を損なうだけで、私によいことなど何もない、ハヤコには、虚勢も嘘もいらないから、楽ちんだ。


踏んでしまった。

2022-06-11 | かあさん

ハヤコのうんこを、踏んでしまった。

 

一年に一回くらい、踏んでいる。

 

ハヤコのトイレは、我が家の外だ。

ハヤコは、勝手に家から出て行って、用をたして帰ってくる。

ハヤコのうんこ場は、一か所に限っておらず、大体ここらとココらと此処らと、数か所ある。

 

本日、外での水洗いに家の勝手口から出た私、「あ、ハヤコのうんこだ。」と存在を認め、「あとで取っとこう。」と、洗い物を片付ける。

そして、うんこ袋を家の中へ取りに行き、認めた存在へ戻り、踏み出し手を出した。

が、違和感。目の前のうんこからではない臭いを感じる、なぜだ、嗅覚の違和感を認識する前の一瞬に間接的に伝わった物質の微細な違和感が、足元で大きくなった。

右足を上げスリッパの裏を見る、ものすごい、自然な動きだ、勝手に足が翻る。

 

ああ、ここにもあったのか。

 

今日は、雨が降っていた。

勝手口にも多少の屋根はあるが、吹き込む雨で地面は全体的に濡れている。

晴れなら、被害が拡大しないよう、迷わず履いていたスリッパを置いて靴下で歩くだろうが、雨だと、靴下濡れるのもヤだなと、無駄な躊躇をする、うんこ踏んだスリッパで歩いて散らすより片付けはラくなはずなのに。

 

スリッパから足を外す、そして、潰れたうんこで知る、「ハヤコ、昨日のおいもさん、消化してないね。」と。

「昨日のおいもさん」は、昨日の夜にハヤコが食べたおやつのさつまいもスティックだ。

スリッパに削がれ残ったた床のうんこに、ハヤコのおやつが、あった。

 

今日は、ハヤコの消化状況を、よく確認できたよ。


はらへりマンボー

2022-06-08 | かあさん

ハヤコの状態をとうさんに伝える言葉がある、「はらへりマンボー」、はらへりは、腹減り、だ。

ハヤコは、小さいころから、アレルギーの持ち主で、注射やら薬やら、対処法でずっと、今も。

もう、慢性的なもので、現在に至っては、かゆみを一気に抑える強めの薬と痒みをごまかすの軽めの薬を症状に合わせて使って、なるべく安定した低空飛行を続けている。

薬を与えれば症状が治まる、薬を与えなければ症状が出る、表現は簡単だが、それを操縦するのは、なかなかに難しい飛行なもので、私はよく症状の水準を落としてしまうのである。

 

水準が低くなると、強めの薬を与えるのだが、この薬の副作用は、空腹。

そうなのだ、これはツライぞ、ずっと、腹が減っているのだ。ハヤコは、ずっと、なんかくれと、はらがへったと、訴えるのだ。

 

ごはんもオヤツも、3倍、食べる。

 

私は、いつの頃からか、そんなハヤコの状態に、「はらへりマンボーはらへりマンボー」と言いながら、ごはんもオヤツも追加して、やる。

それはよいともよくないとも断言できないが、11歳のハヤコ、もう、そういの、いいとか悪いとか、もう、いっか、って、思うところがある。

 

身体に負担とか、長生きしないとか、愛犬を大事に育てるための知識や対応はもちろん必要だと思うが、それは基本の基本、そのうえで、応用の範囲で、ハヤコができるだけポカンと幸せであればいいかと、思うのである。

まあ、ただ、それでも気を付けておかなければならないと思うのは、箍を外し過ぎてこれ以上デブにさせないようにせねばとは。もともと応用の範囲が広めの私である。

 

ただね、ハヤコの体重が、増えないのだよ、きっと、生まれ持ったゴツイ筋肉が落ちてきているのだろうと、少し、いや、随分、さみしく、なるんだよ。

 

もしかしたら、もっと先には、はらへりマンボーは、幸せの、症状、なのかもしれないと、思う。


ふぐ

2022-06-07 | かあさん

家に帰り、冷蔵庫を開けたら、四角い皿に魚の身が、二つ、乗っていた。皮を剥がれ、内臓もない、そしてラップもかけられていない、きっと、朝からこの状態で、冷蔵庫の中で上表面の水分が乾いてしまっていることは、疑問もなく理解する、ジジイのすることだ。

 

こういうのに、うんざりするのだが、ラップをかけろとかビニール袋に入れろとか、冷蔵庫の中で干からびることを、どれだけ言えば、いつか、私の言うことが頭に入っていってくれるのか、死ぬまで無理だとも思っていながらも、分かって欲しい、聞いてほしい気持ちがあって、ずっと攻撃していたのかもしれない、そういうことは、魚の身だけのことではない、ほぼ、全てにおいてに渡ることなので、ずっとずっと前から、度々に、怒っては心を閉ざすことを繰り返し、未だに、どう心を持っていけばよいのか分からないが、少し前、また、衝突し、また、心の消化に苦しみ、まだ、まだ、残念ながらまだ、消化の仕方が分からないが、苦しさからの逃避か、それとも脱皮か、分かってもらいたい気持ちをもつことが、迷っているのではないかと、望むなと、何十年も無理だったことが、希望が伝わるわけないだろう、と、関心を諦める気持ちを手に入れかけた。

皮を剥がれた身がむき出しになっている魚を、見えなかったように、夕食を作ったが、片付けの時に思い出した、ああ、これ。

ジジイが食べればよいかと、放置していようとしていたが、なぜこんなことになっているのかも分からない、どうせ、食べぬだろうと、ハヤコに焼いてオヤツにしてやろうと、包丁で身を切った。

 

身の切れ具合から、「これ、ふぐか?」と感じた。

小さく切った身をフライパンで焼きながら、どうにも気になって、断絶状態のジジイに聞きに行く、「冷蔵庫の身の魚、ふぐか?」

返事か帰ってくる、「ああ、ふぐよ、食べよう思うとった。」、それから、「昨日肉買って食べて、腹が痛い、もうちょっとして食べる」とも。

私は返す、「肉に、ろくに熱加えんかったんじゃろ、あたったんよ。」、言い放ちながらキッチンへ戻る。

 

私は、焼いていた身の魚を、ハヤコのオヤツにするのは、やめた。

身の魚は、ジジイが漁で獲って帰って、ジジイが捌いたふぐの身で、まさかに、ハヤコが悶絶したら、大きな後悔をするから、やめた。

 

フライパンで焼いた身は、柄の違う四角い皿に移しラップをかけ、「もうちょっとして食べる」といったジジイの食卓の席に置いた。

 

とうさんが、問う。「おじいさんに置くの?」

私は、返す。「じいさんが自分で捌いて苦しむのはじいさんだけど、じんさんが捌いてハヤコが苦しんだら怨まんといけん。」

しかしながら、このブログに書いている今、すっかり夕食を終えたジジイは、いつもと変わらない、ジジイは、簡単に、苦しまないのだよ。

 

犬と人間を比べた扱いの重みの構図ではない、ハヤコとじいさんの大事さを比べる構図でもない、私にとっての救いが、ハヤコだという構図。


およそ3年の間に

2022-06-04 | かあさん

ブログを再開しようかと、昨日投稿。投稿の仕方は記憶から操作。フォーマットは大きく変わっていなかったから、たどたどしくも投稿できたが、やはり、3年という年月は、そりゃ変わる。

なんか、進化、していた。そりゃそうだが。

 

ハヤコの話をしよう。

ハヤコは、とても、かわいい。

ハヤコは、とても、かしこい。

ハヤコは、とても、愛おしい。

ハヤコは、とても、とても、大事なのだ。

私は、ハヤコがいつかいなくなることは、分かっている、だが、私は、どうしたらいいのだろうか、私は私が不安だ。

 

これは、およそ3年の間に、現実が、近づいている、現実だ。


再開しようかと、思った。

2022-06-03 | かあさん

ブログの入力の仕方さえも、たどたどしい。

そもそも、ブログという媒体自体、古臭い媒体の世だろうとも、感じるが、ある意味、一国一城の主だ、寝ていた主、私とハヤコはその城で起きる。

 

約3年か、豪雨災害にあったとか、ばあちゃんが亡くなったとか、あった。

生活の基盤は少しづつ、少しづつ、少しづつ、そしていつかの時点から比べると、結構、変わっている。

歳も、取る。私も、とうさんも、ハヤコも、そしてジジイも。

 

ブログは、放置していた、時折、管理者サイトからの自動配信メールに目を通すくらいで、今の世で当たり前のSNSもロクに使わず、かといって、自分の目で見えている実世界で何か輝くものに惹かれていたりしたわけでもなく、ただ、陰鬱な感覚に支配されぬよう自分を保つことが、精一杯だったのかもしれない、それは、まだ今もだと、思う。

 

放置していたブログに向けて、声をかけてもらった、時を超えるかのようだった。

縁。ブログを通して、言葉を交わした、一度だけ、滅多にいくことのない東京へ行った時、会えるかもと尋ねた、ピットブルのゆうちゃん、蘇る、記憶。

色。色を脳内で映し出すと、記憶の匂いまで脳内に湧き込んでくる。数年前の色と匂い。

 

ゆうちゃんはハヤコと年齢がそんなに違わなかった記憶。

ハヤコは、11歳。7月で、12歳だ。

おばあちゃんだ。

ハヤコと同胎の兄弟は、既に亡くなってしまっている。

ハヤコも老いを感じざるを得ないこの頃、できるだけ、長く、ハヤコが自分勝手に私と暮らせることを、私が願っている。