顕宗天皇陵から北へ2キロ程北に位置するのが、悪虐非道の暴君とされる第25代武烈天皇の陵です。
人家も疎らな郊外の道を重い足を引きずりながら歩き続けます。
バス路線がわからないので、JR線化か近鉄線以外乗り物が利用できません。
程なくして生垣に囲まれた、天皇陵と思しき場所に着きました。
宮内庁の表示板や鳥居が見当たりませんので、まずは突き当りを左手へ向かいます。
陵墓の西側と思われる場所に来ましたが、やはり入り口はありません。
それにしてもこれまで訪ねたどの天皇陵よりも、けた違いに広大な規模を誇っています。
最初に突き当たった場所まで戻り、陵の東側に回り込むことにします。
道路から見える陵墓内に竹林もあり、なんだか荒れた感じがします。
東側にも入り口はなく北側に回り込んでようやく、それらしい参道が見つかりました。
広大な陵墓を3/4周歩いたことになります。
陵墓のスケールに合わせて、長大な石垣と生垣が巡らされています。
曇り空で定かではありませんが、この御陵は北向きではなのですか。
法律に詳しかったものの裁きとお仕置きに終始した武烈天皇陵の石段、足を掛けるのがちょっと躊躇われました。
顕宗天皇の南陵に対して北陵ということのようです。
複雑な気持ちで黙祷しました。
自分自身何か後ろめたいことがあるのでしょうか?
鬱蒼とした森で、宮内庁では山形墳墓としています。
実際は古墳ではなく、自然の山であるという見方をされているようです。
悪行ばかりで善行は一つもないという記述は日本書紀、対して古事記では非道に一切触れられていないことから、この天皇も実在性を疑問視する説があります。
10歳で即位して18歳で崩御。
子供がないことから、16代仁徳天皇以降続いた皇統を断絶した天皇と言われていますが、真偽はどうでしょうか。