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アラン・チューリング / 国の英雄天才数学者もゲイゆえの受難とは

2015年09月13日 10時51分24秒 | エッセイ

1996年イギリスBBC制作の"Braking the code ──Biography of Alan Turing"を何年か前に見て、アラン・チューリングという天才数学者のいたことを、自身の場合には初めて知った。彼を演じていたのは、当ブログで2013年3月23日投稿の画家フランシス・ベーコンに触れた記事でも書いた、映画でフランシス・ベーコンを演じた、デレク・ジャコビ。ベーコンの場合でそうだったけれども、非常に適役、と思わせた一方で1912年生まれのアラン・チューリングが亡くなったのが1954年。満年齢では、41歳。1939年生まれのここで演じているジャコビは、50代の半ば過ぎ。演技は素晴らしいけれども、老けすぎていてチューリングには可哀そうと思えるほど。「がっしりとした体格で、声は甲高く、話好きで機知に富み、多少学者ぶったところがあった」と言われるチューリング。「学者ぶったところがあった」というのは、そうであるのが当然の分野の人であるのだから、改めて言う程のことでもないように思えるけれども、そうしたチューリングを、がっしりとした体格をイメージさせない年を取りすぎているジャコビが演じているので、実際の若いチューリングが見えにくい。

 

                          アラン・チューリング

                   

 

残された彼の画像から想像などもするのだけれども、アスペルガー症候群の特徴を思わせる特徴もある人だったと知ると、それも図抜けた能力を備えた天才にはありそうな傾向にも思えて、彼という人の実際の印象に近づけそうな気もする。実際の彼からのものだろう、ドラマ最初に近いところでの、まだ10代半ば、パブリックスクールの生徒の頃の彼の家での母親、恋していたクリストファー・マルコムとのシーン。何かを一気に話そうとする時の、吃音。どもり。それから、爪も噛むのか、ともかく指を口に持っていくクセ。そこに見える彼の傾向は、そのままジャコビ演ずる亡くなる年齢のチューリングまで、変わらない。

 

画像は1929年。クリストファーがチューリングの家を訪れたシーンで。

 

  

クリストファー

 

 

 

14歳で1550年創立のパブリックスクール、シャーボーン校に入ったチューリングがクリストファーに出会ったのが1928年、16歳の頃。アインシュタインの一般相対性理論を読んで彼が定式化しなかった部分に言及し、後にそれが正しい指摘であったことが示されたという程に、数学、科学に抜きんでた能力(初等微分積分学も習っていない1927年に、もっと難しい問題を解いていた)を見せていた男子、チューリングだったけれどもそちらへの更なる関心も、数学者になることが夢だったという一つ年上のクリストファーの影響大だったと言われる。向いている学問の向きが同じ二人の交流、そして後に自分が幼いころからゲイであることを意識していたと語っていたとされるチューリングの同性の彼への恋。だが、1930年のバレンタインデー一日前の2月13日に、その恋したクリスファー・マルコムは、小さい頃に感染牛のミルクを飲んでいたことから、牛結核症を患って亡くなってしまう。チューリング、17歳。その死を機に、彼は神を信じることを止めている。

 

                              (、クリストファー)          

               

 

 

 

ケンブリッジ大学で学び、1935年に卒業。先見的な論文を発表し、1936年から1938年ま7月までアメリカのプリンストン大学で研究。純粋数学とは別に、暗号理論もそこで学び機器の試作もしている。1939年9月には、イギリスがドイツに宣戦布告。そうした時代の巡りあわせ。まだ20代のチューリングは、戦いに不可欠の、相手ナチス・ドイツの作戦暗号を解読するための、国の機関のメンバーに加わることになる。ロンドンの北西80キロのBletcheley parkにあって、Station Xと呼ばれた暗号解読機関。戦後、Station X内の全ての物が、処分、壊滅され、消されてしまうのだが、そこでのイギリスの命運のかかった、ドイツ・ナチスの暗号エニグマの解読。その解読機の設計に果たしたチューリングの役割。功績。彼の天才あってこその達成があり、それによって英国は対独戦の窮地から救われたという事実。だが、暗号という機密事項を扱う仕事柄から、家族も含め、外部の誰もがチューリングの仕事については、知らない。戦後も1970年代に至るまでその業績は、秘密とされた。そうした事情の中、戦後、国立物理学研究所、それからマンチェスター大学に移って研究を続けていたチューリングが1952年、同性愛に関わる出来事で、逮捕される。公然と世間から辱めを受けることになった。

 

上記BBCの「Breaking the code」は、それをきっかけに彼の同性愛行為が知られるところとなる、彼の家であった盗難の説明にチューリングが警察に行っているところから始まるのだけれども、つまりは盗みに入った泥棒の手引きをしたのが彼の性関係を持った若者だったといういきさつから、彼がただの被害者ではなく若者との関係も問われるという立場にもなってしまう。隔世の感があるが、当時のイギリスにおいては、同性愛は違法。処罰の対象。後日、住まいに訪ねて来た刑事には、その若者とどういうセックスがあったのかも、問われたりする。相互マスターベーション。それを言わなければならないチューリングの、困惑、苦痛は解る。映画には、母親を訪れて自分の置かれて自分の置かれている窮地を、話す場面もある。カミングアウトせざるを得ない現実。俳優にとっても、普通ならば難しい演技では? フランシス・ベーコンを演じ、アラン・チューリングを演ずるジャコビの演技には、何処のシーンでも彼でなければ出せない憑依があるとさえ思わせる。超えている感がある。だが、やっぱり30代終わりのチューリングではなく、髪の白くなった50代半ばのジャコビのチューリング。イメージは、相当に離れている筈。自分がゲイであることを母親に告白する彼。 

こうした事件が無ければ、その2年の後に彼が、自殺とはされているけれども死を遂げるというようなこともなかっただろうが、何にしても同性愛を違法とし、それによって人を裁くというのはどうなのか、ということを現代の感覚から思う。チューリングが戦時に暗号解読に携わっていた当時も、彼がゲイであることは知る人には知られていたわけだし、それまでの私生活で同性愛関係を持った相手は当然いた筈ということからして、法は法ながら、そうしたセクシュアリティは人間の中に、あっておかしくはないこと、と一般に見られていたことはあったはずである。 裁判の結果、チューリングは同性愛ゆえに有罪となり、入獄か化学的去勢を条件とした保護観察かの選択を迫られ、後者をを選ぶ。化学的去勢とは、女性ホルモンを注入されるということだったか。そうした条件というのも、根拠でもあるのか人に対するものとして異常である。少し以前にイギリスのゲイのリポーターが、同性愛が法律で禁じられているアフリカの国に入って危険を犯しながらリポートをするというビデオを見たけれども、かつてのイギリスもそういう酷な法を持つ国であったということ。

チューリングの天才。その生前の業績、昨年Oxford university pressから出た「Turing:Pioneer of the information age」のタイトルのように、現在のコンピューター、デジタル世界は彼によって切り開かれ、その評価は高まる一方で、ニュートンにも比肩するともされるようになろうという存在。それだけのものを彼は人類に残し、またイギリスは戦時に彼の天才によって、解読不能と言われた暗号エニグマ解読を果たして国の窮地を救われてもいながら、ごく最近に至るまで彼の同性愛による罪を、当時の法で正しく裁かれたものであるゆえに、名誉回復の請願があろうともそれに応えるわけにはいかないと拒んできたのである。 漸くにして正式に恩赦が発行されたのが2013年の12月24日。まるでEveのプレゼントのような日の選ばれ方だけれども、過去の法は正しい法であったのか? 考えてみたくなろうというものである。宗教絡みの理由とは解るけれども、チューリングは無神論者だったのだから、彼自身には法に縛られる感覚はなかったのにちがいないと思う。いずれにしても、同性を愛の対象とすることは彼には自然なことであったのだから。異性愛者が異性を愛するように。

1990年代に制作されたエニグマ解読に触れたイギリスのドキュメンタリーフィルムなどを見ていると、今は年齢い高い、当時X stationで仕事に携わっていたひとたちが様々に登場する。生きていれば80代のチューリングのことが思われる。彼の60代、70代もあったかもしれないのである。自殺とされる死、その誘因となった同性愛ゆえの逮捕、彼の心身への加害というようなものがなければ。そしてどれだけの恵みとなる科学的達成を彼から世界は得ることができていたか、ということも思ってみたくなる。そうした死によって終えた人生ではなく、栄誉と共にあるのことに思いを馳せたくなる。彼が示したような特別な能力を与えられた人間というのは、本当にかぎられているはずなのだから。

 

                     2012年が生誕100周年だった 

             

 

                                             

                                   ◆◆◆◆

 

 

大恩あるチューリングを同性愛で罰した当時のイギリスのことを思う一方で、では現在の状況はどういうことになっているのかと思わされるようなことが出てくる。積極的にそうした情報に触れようとしているわけではないので、入りこんだ理解ができない。ただ、以前見た2004年BBC2制作のテレビドラマ「When I'm 64」などから、本当にこうしたものを一般向けに放映できるもの?  と思わされたほどに日本にいて考える感覚からは限りなく遠いものを感じた。というのも、60代の男二人の恋だし、裸で抱き合い接吻をする、その先にはベッドのセックスも当然あることが解る展開などある、ドラマ。やはり、日本に置き換えた現実をもイメージしてしまう。ありえないと感じる。

 パブリックスクールの教師を定年退職し、長年の寮での生活から一般世間に出るジムの夢は、経験したことのない恋愛。それも、相手は同性。ジム役は、上のBreaking the codeでは、チューリングを問い詰める刑事役のAlun Armstrong。その彼を迎えに来たタクシーの運転手が、Paul Freeman演ずる、老フーリガンでもあり、妻は亡くしているが孫もいるレイ。そのように偶然に出会った二人、とりわけゲイなどとは無縁だったレイも、ドラマの終わりではジムとの新しい生活に向けて、息子たち家族を離れて旅立つ。個々にとって大切なものが何かを、考えさせるドラマ。チューリングの生きた時代から、いかに遠くまで来たことか。

 

 

 

 

                                              ◆◆◆

 

Trailerしか見ていないけれども、2014年の映画、The Imitation Game。アラン・チューリングは、姿を変えてそこにもいる。

 

   チューリングを演じるBenedict Cumberbatch

 

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