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昭和のプロレス:履歴書だけのクロー技

2022-07-01 06:29:59 | 日記
看板タイトルの創出

 フォン・〇〇とくればプロレスファンは残虐非道なドイツ人レスラーを
連想します。
クロー技を引っ提げて大暴れしたフリッツ・フォン・エリックやバロン・
フォン・ラシクがその筆頭。
 しかしこの名は他にも多くのレスラー達が使っていました。
たとえば猪木のジャーマンを最初に受けたクルト・フォン・ストロハイム。
あるいは初期の新日本プロレスを襲った別のクルトなどなど。

 「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」では主役を盛り上げた脇役達を
取り上げています。
今週は「ドイツの戦犯クルト・フォン・ヘス」の登場です。

 196cm118kgの巨体、スキンヘッドに顎鬚。
有名外人レスラーには縁が薄かった1974年の新日マッにカール・フォン・
ショッツとのコンビで襲来しました。
 当時のパンフレットには<コンビ誕生は71年、あっという間にNWA
北米タッグ選手権を奪取し多くの挑戦者チームを退け、いまなおタイトル
を保持している。>と書かれています。
 日本での防衛戦は6月7日に行われましたが、ここで簡単にその座を明け
渡したのでは面白くありません。
猪木坂口の最強コンビを退ける予想外の強さを発揮してファンの興味を
俄然盛り上げます。
 再戦は暫しの間を空けての8月16日、しかも会場はロス。
最高の舞台設定で最強コンビに負け、新日のタイトル戦線にタッグの看板
王座を根付かせる種を蒔いたのでした。

タッグ専門

 再来日は77年の国際プロレス。
IWA世界タッグ王座を賭けたトーナメントにジョン・クインと参戦し、
3月25日の決勝戦に駒を進めます。
 この時ヘスに与えられたのは強豪クインとのコンビで暴れまくってタイ
トルに箔をつける役割。
見事優勝を果たすと、翌日に行われた草津・浜口相手の初防衛戦に
あっさりと敗れ、一日天下で終わるのでした。
 翌年も国プロに登場しトム・アンドリュースと、79年には新日に
再登場してボブ・ループと、タッグでの戦いを繰り広げますが大きな
戦績は残しません。

 80年には全日に初登場しPWF杯争奪タッグトーナメントにカール・
フォン・スタイガーとのコンビで出場。
久しぶりの大舞台でしたが1回戦で敗退しています。
 82年の全日ではシンやハンセンのパートナーを務めています。
日本ではタッグ専門を貫きましたが、これが最後の来日となりました。
 プロフィールによるとヘスの得意技はブレーンクローとなっています
が、その技が威力を発揮した場面は記憶にありません。
 78年の4月11日に行われた木村との一戦がYouTubeに残っています。
繰り返し鉄柱に叩きつける場外戦の中で、唐突に左手で木村の額を鷲掴み
し得意のブレーンクローを炸裂させましたが、それもほんの一瞬。
自ら技を解いて次の攻撃に移ってしまいました。
 ヘスにはエリックやラシクの様なクロー技への拘りは微塵もなかった
のでした。
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