論語を現代語訳してみました。
子罕 第九
《原文》
子見齊衰者、冕衣裳者與瞽者、見之、雖少、必作。過之、必趨。
《翻訳》
子 斉衰者〔しさいしゃ〕を見るとき、冕〔べん〕衣裳者〔いしょうしゃ〕と瞽者〔こしゃ〕と、之〔これ〕を見るとき、少〔わか〕しと雖〔いえど〕も、必〔かなら〕ず作〔た〕つ。之を過〔す〕ぐるとき、必ず趨〔わし〕る。
《現代語訳》
〈あるお弟子さんが、次のように仰られました。〉
先師(=孔子)が〈魯国の大夫だったころ〉、喪に服されている人とお会いするときや、卿󠄁大夫や楽師などとお会いするときは、それがたとえ、先師よりも身分の低い人であっても、必ず敬意を払われていました。
しかし、その人が礼を失することがあったときは、必ずやそばへ駆け寄り、小声でそれとなく諫められていました。
〈つづく〉
《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。
この語句の意味するところしては、孔子自身が為政者だったころとして、「同じ為政者に対して、それが如何に自分よりも身分の低い人であったとしても、きちんと敬意を払い、さらには、その人物の作法などが礼を失していたとしても、その人物の人格を損なわないように気を配りながら、そっと駆け寄り、小声でそれとなく諫められたのでした」としてみたのですが、孔子の相手が誰であろうとも、真心を尽くそうとする姿勢が、思い浮かばれてきますね。
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考