むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

有賀城(長野県)

2021年11月17日 | 百名城以外の城
有賀城あるがじょう
別名天狗山城
構造山城
築城者有賀次郎
築城年代1219年~1222年(承久年間)
指定史跡
場所長野県諏訪市豊田有賀 地図

有賀城は、諏訪と辰野を結ぶ有賀峠の諏訪側の登り口にある
江音寺(館跡)の裏山に築かれた山城です。
諏訪と伊那谷を結ぶ交通の要所で、鎌倉街道、甲州脇往還としても重要な場所でもありました。
鎌倉時代から諏訪氏支族の有賀氏が存在しましたが、武田氏に背き有賀氏が滅びると
有賀の郷は以降千野氏所領となりました。




諏訪側から有賀峠を登り始めて間もなく
「有賀城跡」の看板が見えて来ます。
若い頃は何度もこの道を通ったのにまったく気付いていませんでした。


城裏橋

「城裏橋」と記された橋を渡って登ります。



裏道のようですが、しっかり冠木門があります。
ここから雰囲気創りがはじまっていますね。



運動不足でなければ楽勝な山道ですが、コロナ太りも手伝って
早くも息が上がってしまい、ボチボチと休みながら登って行きます。



いくつもの獣道のような枝道がありますが、江音寺と記された杭と樹に巻かれたテープを頼りに
進んで行くと迷うことなく城址の方へと行くことが出来ます。


竪堀

竪堀の看板が見えて来ました。
ここは主郭のすぐ裏手の大堀切になります。



堀は東西に竪堀となって落ちています。
その堀切を渡り、主郭へと登る道が付いています。


虎口

登りきると、主郭の虎口と平地が見えて来ます。


主郭

主郭に到着しました。
城の背後となる裏手側は、堀から取った土を主郭に書き上げた高い土塁が構築されています。
中の様子が見えない工夫がされていると考えられています。
その高い土塁が崩れないよう、二段の石積で土止めされています。



そして、振り返ると素晴らしい眺めです。
諏訪湖が一望出来て最高!なんですけど、ちょっと木が邪魔なんですよねえ。
高島城もみえているのですが、この写真では木に隠れてしまっています。
別の写真数枚にはちゃんと映り込んでいますが、狙って撮れよ!(すみません💦)


土塁

土塁から秋葉権現まで行って見ることにします。


石積

土塁の上から二段になった石積がとてもよく見えます。
先ほど土止めとして説明しましたが、中央に秋葉大権現の参道のように石積が切れているのが
見て取れると思います。
これを見ると、単に土止めとしているのか、秋葉大権現を祭るための石段なのか迷うところです。


秋葉大権現

秋葉大権現の石碑があるこの場所は櫓台があったのではなかという説もあります。
実際は、ここにこの石碑が無かったとしても櫓が建つほどの広さは無いような気がします。


案内看板

ここでも石積同様、土塁について土を盛ったのではなく地山を残して削った説になっています。
主郭の構造に関しては諸説あって、どのように造っているのかが明確ではありません。


横堀

横堀を使って西に連なる郭を見に行こうと思います。


二の郭(副郭)

主郭から見下ろすことが出来る副郭です。
主郭と副郭の間には大きな堀切があります。
ここで大きな段差が出来て守りを厳重にしています。


三の郭

この先、五の郭まで同じような規模の郭が段々に続きます。
しかも、先ほどの横堀は各郭を全部なぞるように掘られています。


四の郭

どの郭も上から下を見下ろして様子を窺うことが出来ますが、
下から攻め登って来ると、上の様子が見えない造りになっています。


五の郭

この連なる郭は天文18年の千野氏が入城した後に造られたとみられ、
織田軍の伊那方面からの侵入に備えられたものとして考えられています。



五の郭の先は江音寺へ。



江音寺の裏手に登城口があります。
江音寺がある場所が館跡になるので、本来有賀城への往来はこちらの道だったと思われます。
しかし、勾配がキツイとのことで私は裏手からゆる~く攻め入ってみました。


若かりし頃は、土の城にまったく興味がなかったのでここにこのような城跡があったとは
知らずに通過していました。
これからはきっと、ここを通るたびに「良い城があるんだよなあ~」なんて思いながら
通ることになるのですね。


令和3年10月10日登城


今回の参考本



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。