●この道の向こうに夢がある…。昨日は令和5周年であり、令和6年のはじまり。私は昭和を46年、平成を30年、令和を6年合計82年生きてきました。ということは激動の昭和の人間です。終戦が3歳、防空壕へ逃げた記憶が残っています。生まれた時に太平洋戦争が始まって半年、真珠湾攻撃から南方洋へ進軍と高揚感のある時期だったようですが、戦況がその後厳しくなり敗戦とつながっています。高校卒業後状況、東京オリンピックへ建設が音が響き高度成長の昭和30年から50年の中で北本市に転居して、平成15年に北本市議会議員に初当選昨年4月には6回目の市議選で当選し、令和の今も議員です。
●82年も生きているといろいろありましたが、忘れてしまったことが多く、つらいことも、うれしいことも、特段こだわることもなく、いつも次に向かっています。アントニオ猪木さんとは同じ年齢でしたが、「元気ですか!元気であれば何でもできる。ワン・ツウ・ダアー」とアグレシブルでした。好奇心を失わず、失敗を恐れず、権力者につまらない忖度せず、ストレートとカーブとドロップを使い分けて「翻弄」できれば愉快なり、愉快なり。この道の向こうに夢がある…。