カトリック情報 Catholics in Japan

スマホからアクセスの方は、画面やや下までスクロールし、「カテゴリ」からコンテンツを読んで下さい。目次として機能します。

公教要理図解:第10図 罪の赦しを信ず

2021-12-01 02:55:40 | 要理(カテキズム)
「第10図 罪の赦しを信ず」『公教要理図解』ワグネル神父、1910年

使徒信経
われは天地の創造主 全能の父なる天主を信じ
また その御独り子、われらの主イエズス・キリスト
すなわち 聖霊によりて宿り
童貞マリアより生まれ
ポンシオ・ピラトの管下にて苦しみを受け
十字架につけられ
死して葬られ
古聖所に下りて
三日目に死者のうちよりよみがえり
天に昇りて
全能の父なる天主のの右に座し
かしこより 生ける人と死せる人とを裁かんために来たりたもう
主を信じたてまつる
われは
聖霊
聖なる公教会
諸聖人の通功
罪のゆるし
肉身のよみがえり
終わりなき命を信じたてまつる。アーメン


罪の赦しということは、御主イエズス・キリストが、我々の罪を赦す権利を、公教会に与え給うたということである。


罪を赦す権利は、元来天主おひとりが握り給うものである。
旧約時代には、天主おひとりがこれを使って、人々に与え給わなかった。


御主イエズスは、天主としては、御父とともに、罪を赦す権利をもっておられる。救世主として、天主の性と人の性をあわせ、人間となられたから、その権利を自らも使用し、また人に与え給うことも自由に出来るのである。

マタイによる福音書の9章2節から8節までにある、イエズスが一人の患者を癒し給うたお話は、ちょうどその一つの証拠である。


御主イエズスがこの世におられたとき、聖ペトロに罪を赦す権をおあたえになり、また、御復活の日に、他の使徒たちと彼らの正当の相続者にも賜ったのである。次は、マタイによる福音書16章13節から20節までと、ヨハネによる福音書20章19節から23節までに出てある。


ヨハネによる福音書の20章23節によれば、公教会が赦すことができない罪は全くないのである。(もっとも、覚悟の不十分なる人は、その罪の赦しを与えられない)そして、公教会で赦された罪は全く消滅するのである。


救霊と罪の赦しは、まことの教会に限ったものであるので、それ以外には、どこにも罪の赦しを得る道がないのである。


公教会は洗礼と悔悛の秘跡によって、人々の罪を赦すのである。


罪が赦されるのは、全く御主イエズス・キリストが我々を救うために、十字架に釘付けられ、死し給われた御功徳によることで、我々自身の功力ではない。


使徒たちが、罪の赦しのことを使徒信経に加えたのは、天主の全善と慈悲とを示すと同時に、また、罪人に頼もしい心を起こさせるためである。

◎絵の説明
10
この絵は御主イエズス・キリストが聖ペトロに罪の赦しを与える権利と与えざる権利とを授け給う表象として、天国の鍵をお渡しになるところを見せたのである。






最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。